庄司薫/赤頭巾ちゃん気をつけて

時は東大紛争真っ只中。
ひとりの東大志望者だったショージカオルくんは大学進学そのものを取りやめ、自らの知性を自分自身の力でどこまで伸ばすことができるのかを試す賭けに出る。
──自らの知性を伸ばすために大学に行かない?
大学が知性のための場所だと考える向きには違和感のある表現かもしれない。けれどカオルくんには彼なりの考えと思いがある。それが、「うまく言えない」という思いを孕んだ極めて複雑なものであったとしても。そんなものを代弁できるわけはないのだから、これから先は本人の言葉を借りるとしよう。


「つまり、うまく言えないのだが、たとえば知性というものがほんとうにぼくの考えるような自由なもので、もともと大学とか学部とかには無関係なものであるとすれば、ぼくがたまたま(恐らくはぼくの幸運から)決めていた東大が入試中止になったからといって、大あわてでガタガタするのはおかしいじゃないか。ここであわてて、次にいいのは京大だ一橋だと騒ぐのは、それこそぼくが結局「ああ、あれか」という東大受験生だったことを認めることになるんじゃないか、などといったようなことを考えたのだ。もちろんぼくは他にもそれこそいろいろなことを考えた。そしてでも要するにぼくは、結局一つの賭けをしてみようとでもいう気になったのだ。つまりこの入試中止をむしろ一つのチャンスのように考えて、ぼくはぼく自身を(そしてちょっと大袈裟だが敢えて言うならばぼくの知性を)自分の力でどこまで育てることができるかやってみよう、と。」(庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」(中公文庫)P.34-35)


カオルくんはそんな気持ちをわざわざ説明してまで誰かに理解してもらいたいとは思っていない。彼はガタガタ言わなくとも理解してくれる友人や肉親に恵まれていて、ふだんは喧嘩ばかりしている恋人未満の女友達だって、実はそういうところはすんなり理解してくれる物分りのいいひとだったりする。


じゃあカオルくんがそういう人たちとばかり接していられるか、と言えばそれはまた別の問題なのだ。何しろ僕らは生きているのだし、その避けがたい生活のなかには近所づきあいというものもある。それだって避けようと思えばいくらでも避けられる生活を送る現代の僕らには理解しづらくなっている問題なのかもしれないけれど、少なくとも彼の生きる時代はそうではなかったのだ。


教育に高い関心を持つ、これも一昔前の言葉を使えば「教育ママゴン」とでも呼べそうな女性に「つかまっちゃった」後のカオルくんの独白をしばらく書き写すことにしよう。そのなかに、僕が君に読んでほしいと思う箇所がある。


「あーあ、ぼくは、この学校群なんかの問題には全く弱いところがあるのだ。というのは、彼女のちょっと挨拶のしようもないほど明らさまな見解は、或る意味で事実そのものであって、この学校群やなんかのことでぼくが考えたり感じたりしたことの枝葉の部分を(実はここがぼくにとっては大事なのだが)うっかり苅り込むと、まさに彼女の意見に要約されかねないような気がするのだから。つまり、ぼくは確かにいわゆる「学校群以前」の日比谷の最後の生徒で、学校群によって、まさに見事というかなんというか、すっかり変わってしまった日比谷の姿をいわば砂かぶりで眺めていたわけなのだ。そしてまあ実にいろいろなことを感じ考えた。どう言ったらよいかよく分らないのだが、要するにまず以前の、つまりぼくが一年生だったころの完全に学校群以前の日比谷高校というのは、或る意味であんなにもいやったらしい学校はおよそどこ探してもなかったといっていい。それも、よくみんなが考えるような、受験第一の優等生が勢揃いしたいやらしさなんて、そんな可愛げのあるものじゃないのだ。つまり、当時の日比谷といえば東大受験競争の総本山みたいなものだってことは分りきったことなのに、入ってみると試験なんて年に二度っきりで、成績の発表なんてものもないから、誰ができて誰ができないのかという優等生にとって肝心なこと(?)すらさっぱり分らないような仕組みになっている。その上授業そのものも、ほとんど生徒が交替で勝手な講釈をやっているなんてわけだ。そして馬鹿でかいオーケストラがしょっ中演奏会をやってたり、おかしな雑誌がボコボコ出たり、とにかくクラブ活動が滅多やたらとさかんで、生徒会活動の方もいつも超満員の生徒総会を中心に猛烈に活潑で、といったありさまで、これを要するに、なんてことだ、学校中が受験競争なんて全く忘れたような顔をして、まるで絵にかいたような戦後民主教育の理想みたいなものを演じていたってわけなのだ。まさに欺瞞的というかキザというかいやったらしいというか、どうしようもないインチキ芝居を学校全体で足なみ揃えてやっていたといってもいい。そして生徒たちときたら、下級生にやたらと丁寧でやさしい上級生を初めとしてみんなそろいもそろって礼儀正しく、女の子には親切で(女の子は数も男の三分の一で、それに他を落ちて「日比谷に廻されちゃったの」なんていう可愛い足弱さんがいっぱいいるってな、ちょっとした西部劇の雰囲気なんだ)、とにかく上から下まで一人前の紳士面をしてやっていたし、先生も先生で、息子同然の思春期のニキビ生徒たちが一人前の顔をするのを寄ってたかって持ち上げる、つまり生徒の主体性を尊重するというお芝居を一生懸命やっていたわけだ。なかでも傑作なのは、学年の変り目に、なんと生徒の方に、その年とる講義と先生を選ばせる儀式で、これはもう先生も生徒もキザが過ぎて気が狂ったみたいなものだった。つまりぼくたちは、或る朝一学年全員が校庭に集まってきて、それぞれの思惑に従って、一課目ごとに好きな先生を選び、そして好きなクラス担任を選んでその旗のところに集まる(先生方は、昔の茶店のおやじよろしく、ほんとうに旗を立てて、どうぞ私の店へってな調子で待っているんだから呆れちゃう)。当然、沢山の生徒が集まる先生と集まらない先生が出てくるわけで、そうすると生徒同士の折衝が始まり、じゃああっちの課目おれが譲るからそっちの組へ入れろ、なんて取引きやなんかが校庭中で始まるって寸法だ。もちろん生徒たちは、それぞれ気に入った仲間と徒党を組んで、その徒党は大小さまざま無数にあり、また一匹狼なんてのもウロウロするからこれはえらい騒ぎで、たった九つのクラスがどうやら決るのは日も落ちかけた夕暮になるなんて話になる。もちろんその間、あっちに並んだりこっちに並んだり、取引きしたりぬけがけしたりウロウロキョロキョロ大体は立ってるわけだから、終った時にはクタクタだ。そして帰りがけに新しい担任の先生に、よろしくお願いしますなんて言われて、生徒の方もこちらこそよろしくなんてお互い嬉しそうにやってる図は、どうにも相当ないや味じゃなかろうか。つまりこれは、例の生徒の主体性を尊重するという名のもとに行われるお芝居の典型みたいなものなのだが、それを生徒と先生が一緒になって、それこそ朝から晩まで一日がかりで全員フラフラになってやるなんてのは、まさにキザもいや味もここに極まって気が狂ってでもいなきゃできないのじゃあるまいか、といったところがあったのだ。そしてここにさらに例の芸術派の大活躍が加わる。芸術派は文学派にしろ音楽派にしろ美術派にしろみんな大天才みたいな顔をしていて、あっちこっちでしょっ中雑誌は出るわ音楽会はあるわ展覧会はあるわで、それに他の連中もみんないっぱしの批評家面をしているのだからそのまあいや味ときたらたまらない。つまり(まだまだかつての日比谷のことを語り出したらほんとにきりがないけれど)日比谷って学校は、先生や普通の生徒はもちろん、こういった口うるさい芸術派やそれに革命派までもが呼吸を合わせて、受験競争なんてどこ吹く風、みんなその個性を自由にのばしているのだといった大インチキ芝居を、学校をあげて演じていたというわけなのだ。そして役者と同様、いつの間にかほんとうにその気になったりして、ここに誇りと自信に溢れた、つまり言いかえればこの上なくいやったらしい日比谷高校生ができあがるってことになる。ほんとに、こんなに持ってまわったいやらしさってのは、ちょっと他に考えられないのじゃないだろうか? さっきも言ったように、優等生が集まって受験受験でガリガリやっているなんていうのはまだいいのだ。全国の高校生がみんな頭を悩ましている受験競争を、そのまさに焦点にいながら全く無視したような顔をしていること、これは(たとえそれが表面だけのことにしろ)まさに激烈なる現代の生存競争への一侮辱であり、鼻持ちならぬ傲慢さであり、この民主主義社会では許すべからざるエリート意識なのではあるまいか。この意味でぼくは、民主教育の徹底をはかるという趣旨の学校群制度ができ、それによって日比谷が完膚なきまでに変ったのは、或る意味で当然のことだとも思うのだ。
 そして実際問題としてこの学校群制度は、この日比谷のいやったらしさを実に見事に一掃したものだ。要するに、インチキお芝居は終った何もかも、ということになったのだ。まず影響は芸術派に現われた。芸術っていうのはいつの時代でも一種の贅沢品なのかもしれないが、とにかく受験生には余計なものだってことなのだろう。芸術派はもちろん曲者や変り者は少なくなり、オーケストラも雑誌も各種クラブ活動もいつの間にかだめになり、そして生徒総会も空席が目立ちはじめ、やがて半分にそして三分の一にと減って死んでしまった。かつてぼくたちの半円形大講堂で開かれた生徒総会はいつも満員で、保守派・革命派・まあまあ派なんてのが入り乱れて演壇に駆け上り、一人前の市民面をした満員のうるさ型ぞろいの聴衆をうならせるべくあの手この手でせり合ったりして、まあ考えてみればこの上なくキザでいや味な図だが結構面白いインチキ民主政治芝居をやっていたものだ。でもいまやそんな欺瞞的行為は許されないということになった。年二回の試験なんてカッコよさもぼくたちを最後に終りとなり、実力テストが繰返されるようになり、もちろん例の旗立てて先生を選ぶなどという大インチキ儀式もかっきりぼくたちで最後となった。下級生の一部からは、こういう変化に対する反撥の抗議やら署名運動も起ったけれど、それもほんの少数でもう誰もついてきはしない。みんな小サラリーマンのように受験受験で明けくれて、上級生が生徒総会に誘っても、勉強がありますから、と平然と断る生徒が入ってくるようになったのだから。要するにお芝居はやめよう、キザなインチキはやめて、受験生は受験生らしく素直に受験勉強に邁進しようということなのだ。クラブ活動だとか生徒会活動だとかいった鼻もちならぬ欺瞞はやめて、受験競争という赤裸々な現実を直視しよう、お互い受験競争では敵同士なのだから変な紳士面はやめて卒直に戦おう、とまあそういった素直な高等学校が下から確実にできあがってきたというわけなのだ。
 もちろんぼくは、こういうなんていうか、いわば現実を直視するスタイルに一種の美しさがあることは認める。何故って、ぼくたちが生きている限り、誰だって否応なしになんかの形で、この現実を直視するスタイルをとらざるを得ないにちがいないんだから。だからつまりぼくが言いたいのは、ただ、たとえば(いまになるとつくづく思うことだけれど)、あのかつてのいやったらしい日比谷をどうしようもないほどがっちり支えていたようなもの、つまりあの現実を無視したインチキ大芝居なんてものが、実はほんとうに脆いものだったなあというようなことなんだ。つまりぼくは、ぼくの下級生たちが、たとえ学校群という福引みたいな形で入ってきたとしても、実際問題としてそんなにも極端に程度が落ちたとは思わない(それに、考えてみれば、下級生たちはむしろ気の毒なんだ)。でも問題はそんなことではないのだ。ああいうキザでいやったらしい大芝居というのは、それを続けるにはそれこそ全員が意地を張って見栄を張って無理をして大騒ぎしなければならないけれど、壊すだんになればそれこそ刃物はいらない。誰かほんの一にぎりの生徒が、この受験競争のさ中になりふり(・・・・)かまっていられるか、と一言口に出せばもうそれで終り、誰か一にぎりの生徒が「勉強がありますから」と平気で生徒総会を欠席すればもうそれで最後といったそんなものだったのではないだろうか。もっともこれは日比谷だけではないかもしれない。芸術にしても民主政治にしても、それからごく日常的な挨拶とかエチケットといったものも、およそこういったすべての知的フィクションは、考えてみればみんななんとなくいやったらしい芝居じみたところがあって、実はごくごく危なっかしい手品みたいなものの連続で辛うじて支えられているのかもしれない。まあいずれにしても、ぼくがここで言いたいのは、いまになってみると、あのかつての日比谷のいやったらしさ、あの受験という現実を忘れたふりをしたお芝居に全校あげて熱をあげていたみたいな光景が、時々なんていうか、妙に懐かしいようにそしていじらしいように思い出されるっていうことなのだ。もっとも、こんな感じ方をすること自体がぼくの時代錯誤を証明するのかもしれない。いまや、受験生は受験一筋に、そして次いではゲバ棒をとってすべてのインチキくさい知的フィクションを叩きつぶすというのが、ぼくたち若者をとりまく時代の方向らしいから。ぼくみたいなのは、だからこの奥さんの言うとおり、下からは学校群、上にはゲバ棒というまさにその間に「板ばさみ」になった、なんとも馬鹿げたシーラカンスなのかもしれない。
 でも、それにしてもかつての日比谷高校ほど、あんなにもいやったらしくキザで、鼻持ちならぬほどカッコよく気取っていた高等学校はなかったのだよ。そしてこれだけは確かだけれど、ああいう学校はつぶすのは簡単だけれど、これをまた作ろうとしたってもう絶対に、それこそちょっとやそっとではできはしないんだよ。もちろんぼくたちを含めて、これまでのどんな日比谷の卒業生にきいてもみんな、(賭けてもいいが)あんないやったらしい高等学校はなかったと言うにちがいない。あんなにいや味でキザで鼻持ちならぬ欺瞞的学校はなかったと。誰にきいたって、日比谷が素晴しい学校だったとか世界一いい高等学校だったなんてほめはしない。何故って、絶対に、意地でもそんなことは言わない生徒をあの学校は育てていたのだから。気取っていて見栄っぱりで意地っぱりで紳士面していて受験勉強どこ吹く風で芸術などというキザなものに夢中でまわりくどい民主政治にえらく熱心で鼻持ちならぬほど礼儀正しくて馬鹿みたいに女の子に親切で、つまりどこから見てもいやったらしい生徒ばかり育てていたのだから。だからぼくだって絶対にほめやしない。ぼくだってかつての日比谷ほどいやったらしい高等学校はなかったと言うのだ。あんな学校がどうなろうと、別に世界の歴史が変るわけでもなし、まあどうってことはありません、学校群でダメになったといっても、それは考え方の問題だと思います、なんて、あくまでもかつてのいやったらしい日比谷高校生、鼻持ちならぬ日比谷高校最後の生徒らしく、気取って頑張って答えるのだ。」(ibid., P.79-87)