2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

大江健三郎/火をめぐらす鳥

すこし批評ということを意識し過ぎているのかな、という気がしたものだから、普段しているような読書をするつもりで一度読み通してみた。ひとつひとつの語句や文の意味にこだわり過ぎることなく、判断することなく、ただ目から入ってくる文字のすがたが自分…

大江健三郎/マルゴ公妃のかくしつきスカート

歴史小説を書かない小説家のもとに、歴史に関する問い合わせが入ることがある。それは小説家が、ラブレーの研究に生涯を捧げた恩師、W先生の著作集の編纂に携わったことが知られているから。小説家に連絡を取ってきたのは、以前ロシアでのテレビ撮影でカメ…

大江健三郎/ベラックヮの十年

小説家はダンテの「神曲」からの引用を散りばめた一冊を仕上げた。その作品に向けられた多くの批評のなかにひとつ、胸にこたえる指摘があった。それはベラックヮのこと。小説家は批評に応えてベラックヮにまつわる忘れがたい思いを語り始める。 「神曲」がい…

大江健三郎/「涙を流す人」の楡

静謐に満ちた一篇。 舞台はベルギー、ブリュッセルまで小一時間ほどの大使公邸。文学賞を受賞した小説家と妻はその離れに宿を借りて一夜を明かす。翌朝、N大使夫妻と囲んだ朝食の食卓で、小説家は昨夜のパーティーでも感じとった鬱屈をN大使の表情から読み…

大江健三郎/「河馬の勇士」と愛らしいラベオ

とっても珍しいことに爽快感のある一篇。 前作は様々な反響を生んでいた。テレビ・ドラマ化の話。「河馬の勇士」にどうしても連絡を取りたいという若い女性からの連絡。「河馬の勇士」への取材に協力してほしいという報道写真家からの手紙。物語は若い女性と…

大江健三郎/河馬に噛まれる

作家は山小屋のなかで地方の新聞紙を手に取った。そのなかのある記事に注意を引かれ、かつて文通をした青年と、その母親でマダムと呼んでいた女性についての追憶を語り出す……。 この「河馬に噛まれた」青年は昔文通したあの子なんじゃないか、というのん気な…

タルコフスキー/ストーカー

──自分で映画を見てからでなくては、なんともいえないなあ。 タルコフスキー映画はずっと見たかったし、いい機会だと思って見てみることにした。なぜか昨日は犬の散歩をしている人をよく見かける日で、 ──お前も大江の言いなりかよ。このワンコロが。 とか偶…

大江健三郎/案内人

イーヨーとマーちゃんとオーちゃんと重藤さん夫妻でタルコフスキーの「ストーカー」についてあれこれあれこれ語る話。その話が終わった後、イーヨーとマーちゃんとで電車に乗ろうとして、イーヨーが突然発作を起こす。マーちゃんはイーヨーを必死で支えて……。…

大江健三郎/静かな生活

大江健三郎ほど叩きづらい小説家も珍しいような気がする、と書いておきながら、その理由に書けなかったことがある。 その書かれなかった言葉は、もしかしたら読んでくれた人の脳裏をよぎったかも知れない。いまこの言葉を書こうとしながら、私はかなり強い抵…

大江健三郎/泳ぐ男──水のなかの「雨の木」2

語り足りないのでもう少しだけ。文学と性、というテーマもまた永遠のものなのだろうと思う。 私の出発点は「触覚にもっとも挑戦するジャンルとしての官能小説」といったあたりで、これは読書という営みから最も遠いものでありながら文学が決して言うことをや…

大江健三郎/泳ぐ男──水のなかの「雨の木」

どうしてこの中篇を省いてしまったのだろう、というくらい出来のいい作品。 それは大江健三郎自選短篇と名づけられた本だからだよ、という声が聞こえてきそうだ。いちおう説明しておくと、「新しい人よ眼ざめよ」には、この自薦集には収録されていない「雨の…

大江健三郎/新しい人よ眼ざめよ

この小説もまた応答から始まる。 Responsabilité、ポリフォニーといった概念を持ち出して擁護することもできなくはない。それは私が「頭のいい『雨の木』」について書いた後に思い出したことでもあった。けれど私にとって、そうしたくなる小説ではなかった。…

大江健三郎/落ちる、落ちる、叫びながら・・・・・・

主人公の小説家は、まだ中学の特殊学校に通っていた息子をプールに連れて行っていた時期の思い出を語り始める。イーヨーはまるで泳げない。水に浮かぼうとする意志すらないようだと担当教諭からは言われている。 プールには奇妙な集団がいた。率いるのはかつ…

ペニー・マーシャル/レナードの朝

ロビン・ウィリアムスの笑顔と、レナードが薬剤投与によって一時的に得た光を失いつつある時のダンス・シーン。彼女がレナードの手を自分の腰に押し付けるさり気ない仕草。 その二つの場面だけで見る価値のある映画だと思う。 オリバー・サックス死去のニュ…

大江健三郎/怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって

とにかくタイトルと冒頭がずるい。「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」というタイトルで始まって、冒頭で《無垢(イノセンス)は、知恵とともに住んでいるが、無知とは決して共生することがない》と来る。これだけで完全に持っていかれる。どちらもウィ…

大江健三郎/無垢の歌、経験の歌

大江健三郎ほど叩きづらい小説家も珍しいような気がする。 その理由は明白で、大江はとにかく主人公の小説家がひどい目にあってヘマばっかりやって頓珍漢なことを言っては落ち込んだり無力感に苛まれたりしている様子ばかりを描き出すからだ。若い人はだいた…

大江健三郎/さかさまに立つ「雨の木」(2)

読み終えて第一に語ることの難しい小説、という印象が残った。 このブログを書くためにざっと読み返して、書くのはさらに難しくなった。この小説のことは小説自体が一番よく語っているから、わざわざ外から言葉を差し向ける必要があるようには思われない。そ…

大江健三郎/さかさまに立つ「雨の木」(1)

まるで私の批判が届いたかのような書き出しだった。 小説は主人公を非難するペニーの手紙から始まる。こんな言葉の書かれた手紙だ。 「フィクショナルなものとアクチュアルなものと、その境界が、あなた自身にもあいまいになっているのではないか?」 主人公…