大江健三郎/泳ぐ男──水のなかの「雨の木」2

語り足りないのでもう少しだけ。

文学と性、というテーマもまた永遠のものなのだろうと思う。
私の出発点は「触覚にもっとも挑戦するジャンルとしての官能小説」といったあたりで、これは読書という営みから最も遠いものでありながら文学が決して言うことをやめない「五感を大切に」というお題目のバリエーションみたいなものだ。性について──というよりは広くエロスについて──その後多少の進展はあったけれど、それは追々小説のなかで語っていければと思う。ま、これはいつもの「書く書く詐欺」なので今のうちは軽くスルーしといてください。ということで、小説に書きそうもない話ばっかり書いちゃいます。

性について考えるとすぐに「純粋小説」という言葉が立ちはだかる。これは私の知る限りではジッドが提唱した概念で、これに触発されたように日本でも横光利一がその名も「純粋小説論」という論考を発表している。他の手法では表現不可能な、ただ小説だけが表現しうるものを追求すること。それが純粋小説という言葉が私に与えた課題で、まあ厄介なもんを背負わせてくれちゃったよという恨みもないではないけど、とにもかくにも折に触れては考えたりしている。
高校生ぐらいの時に聞いた、今は落語家になったヤツが言ってたのは、
「AVが一番低級で、その次がグラビア。漫画があって、文学があって、なにもないのが一番高級。」
なんて話だった。とにかく想像力を働かせれば働かせるほどいいってことだ。立川談志が好きだったから、きっと談志の受け売りだったんだろう。その談志が坂口安吾の影響を受けてたのは談志が死んだ後で知った。いや、冗談じゃなくてね。文学がずいぶん上のほうにあってありがたいとは思うけど、実際のところどうにも小説は分が悪い。テキストじゃどんなに丁寧に描写したって画像や動画の表現力には敵わない。だから文学はどこかで具象を離れるべきなんじゃないか、そんなことを考えてきた。それにとどめを刺すようだったのが、前に読んだE.L.ジェイムズって作家の記事だ。この人は「マミー・ポルノ」と呼ばれる主に中高年の女性向けのソフトSMみたいな小説で一年間に9500万ドルも稼いでしまった。ついでに見た読者インタビューの動画では、文章だってひどいものよ、とおばあちゃんみたいな年齢のひとが嬉しそうに話していた。電子書籍として売り出し、やがて紙の書籍にもなって世界中で販売されたこの小説の来歴はどこかで「レイプ・妊娠・中絶」さえ書いときゃいーんでしょ?的なケータイ小説を思い出させるけれど、まあまあ、僕のことだから「文学だけが語りうるものなんて誰も求めてないのか」なんてショックを受けたりもしてたんだよ、残念なことに。
でも文学は性を語り続ける、という現実もあって、その現実を代表するのは村上春樹でいいでしょう。


鼠はまだ小説を書き続けている。彼はそのいくつかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる。昨年のは精神病院の食堂に勤めるコックの話で、一昨年のは「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしたコミックバンドの話だった。あい変わらず彼の小説にはセックス・シーンはなく、登場人物は誰一人死なない。(「風の歌を聴け」)


なんだかね、こんな風に書かれるとセックス書かないとまずいのかなあと思うじゃない?でもあんまりセックスは、てな人にオススメなのはミシェル・フーコー。彼は、性は無限の言説生産装置で、人々は性を語ることを強いられている、と書く。フーコー自身ゲイでエイズで死んでしまった人だから、異性愛者が健常であると暗黙のうちに前提とするような大半の性的言説にうんざりしてたんだろなあ、なんて書いてしまうとまたまた台無しになってしまいそうだから、このくらいにしておこう。


僕?僕はまあ自分が表現したいと思うものにセックス描写が欠かせないと思えばそりゃ書くだろうと思うよ。でも実はまだ下手っぴなんだよね。だからこっそり練習してたりはする。


とまあ、こんな話をつらつら書いてきたのは「泳ぐ男」が初っ端でけっこう濃厚な性的描写を重ねるからなんだな。「オマンコ」だの「キンタマ」だの書いておきながら後半で「decency」を連発する不思議な小説であったりもするのです、この小説は。おっと、誤解しないでください。私は高尚な芸術作品について語っているのです。


さて、この小説についてはもうひとつ語っておかなければいけないことがある。
それは私が散々悪口を書いてきた引用や文体やストーリーテリングについてで、この小説ではそれらの欠点がほとんどすべて解消されている。その原因は、この小説がもともと長編として構想され、途中まで書かれながら大半を廃棄されて中篇として生き残ったからなのではないだろうか。正確を期すにはまた本箱まで行って大江健三郎の長編小説を漁ってみないといけないんだけど、今日のうちは確認までするような気力なーし!


はい、それじゃこれでおしまい。
はー、すっきりすっきり。