大江健三郎/マルゴ公妃のかくしつきスカート

歴史小説を書かない小説家のもとに、歴史に関する問い合わせが入ることがある。それは小説家が、ラブレーの研究に生涯を捧げた恩師、W先生の著作集の編纂に携わったことが知られているから。小説家に連絡を取ってきたのは、以前ロシアでのテレビ撮影でカメラを担当していた篠君だった。その人物にも、また自分である程度下調べをした上での質問にも好感を持った小説家は、親身に篠君の相談に乗ることにする。
質問はマルゴ公妃に関してだった。色情狂(ナンフォマニー)で、18年ものあいだオーヴェルニュの山のなかに軟禁された不幸な公妃。彼女のふくらんだ大きなスカートのかくし(・・・)には、死んだ愛人の心臓が十数個も入れられていたという。問題の部分のコピーを送ろう、という小説家の申し出に、その前に自分の話を聞いて欲しいと篠君は願い出る。
色情狂(ナンフォマニー)、という言葉が16世紀フランスの公妃と富良野のホステス、そして篠君が保護している池袋のフィリピン人女性を結ぶ。フィリピン人女性、マリアに恋着する篠君は彼女を数人の男に囲われるような生活から救い出そうと奮闘するが──。


色情狂、防腐処理を施した心臓をスカートの(かくし)に入れていたマルゴ公妃。部屋から見つけ出された9人分の干からびた嬰児。セックス。フェルナンデス青年とマリアの宗教的な交わり。マリアが絶対に手離さないほとんど空っぽのようなトランク。


刺激的なイメージはいくらも出てくるけれど、さすがにここまで自薦集を読み続けてきた読者には慣れがある。むしろ気になったのは、篠君の相談に乗り、意見や助言を与え、そのことを小説に描きながらも、小説家の側に精神的な動揺がほとんど見られないことだった。それどころか、自ら描く事件に何も感じていない気配さえ感じられる。


虚無的な不気味さを秘めた作品。
感傷のようなものはここにない。