13日土曜日

11月13日。


13日土曜日は昼頃起きて、ミシマ社のWEBマガジンに連載されている「遊牧夫婦」をもりもり読む。
オーストラリアから出発して東チモールインドネシア、マレーシア、ブルネイ、タイと徐々に北上していきながら、行く先々の風習や制度、歴史、そして現地の人々や旅行者との交流を描いた紀行文だ。
5年半の全旅程のうち、まだ1年と少々しか連載内の時間は経っていないのだけど、かなりの分量がある。
大連に行ってから現地のことをこんな風に書ける仕事があったらありがたいんだけど、とか、でも大連だときっとかなりの情報の蓄積があるはず、それでもなお求められるような大連の「昔と今」なんてあるのかな、とかいろいろ考える。
記事で印象的だったのは、タイの寺院でのインタビューだ。
そこで僧侶をしているカナダ人の青年には守るべき戒律が227ある。
にもかかわらず、彼は筆者からの「現在の生活の最大の喜びは?」という質問に対して、こう答える。
「自由だ。」
宗教的逆説の一言では片付けることのできない奥行きと深みを、僕のような人間はつい想像してしまう。
カントなら、「与えられてある戒律」に従うことを「他律」として退けてしまうだろう。
けれども僧侶自身が自由を感じているという事実(少なくとも彼が自分の感覚を「自由」と呼んだという事実)は、仮にそれが幻想であっても尊重されねばならない。
自由という概念そのものが僕のものとは違う可能性のほうが大きい。
僕にはまだ己の追究すべき自由を描き出すことはできないけれど、それが「不可能性」から出発しなければならないものであることだけは確かだ。
それはもしかしたら、戒律に従うことと、どこかしら通低する部分を持つことになるのかもしれない。
夜。
奥さんの「ブログぐらいで『文学』なんて言わないでよ」という何気ない一言に僕が猛然と噛み付いたことで、バトルが勃発する。
戦場でワルツを』を観ていたんだけど一時中断。
僕は「僕がブログで書き連ねてきた言葉のどれ一つとして、あなたの心を動かしたことがないとでも言うつもりか」というようなことを言い、奥さんは「面白くないとは言ってない。でもブログで満足して欲しくないと言っているだけ」というようなことを言う。
僕は奥さんの「面白くないとは言っていない」という言葉にすら、どこかで「私は『面白さ』を理解できないような朴念仁ではない」という見栄が働いているような印象を抱いて、「どうせわかったふりなんだよそんなのは」と思っている。
「まあ、女房の目に英雄なしなんて言うしね。」
と僕は僕で見栄を張り返して見せれば、
「稼ぎのない英雄なんていないよ。」
と奥さんは文字通り僕の横面を張り飛ばす。
追撃の手は緩むことなく、
「最近ちょっと私のこと書きすぎなんじゃないの?仕事のこととか、相手のあることだし、あまり書いて欲しくないんだけど。」
と畳み掛けてくるので、
「君は作家の妻になる覚悟なんてできてないんだ、ホントは。」
「契約書だの社内規約だのなんて、守る必要がないことを知っていなければサインできないような代物ばかりじゃないか。」
とこちらもかなり真剣に応戦する。
最終的な落ち着きどころとしては、
「僕は僕よりも僕の文学のほうが大事だけど、君は僕の文学よりも僕のほうが大事なんだよ、きっと。」
「それは事実だよ。別にあなたが作家になるひとだから好きになったわけじゃないし……でも。」
「でも?」
「いつか作家になるひとだと信じてもいます。」
「……うん。」
てなところではありました。
こういうのを「フォリ・ア・ドゥ」って言うんじゃないかな。よくわかんないけど。
僕達はかつてこんな会話を交わしたことがある。
「僕は小説家になれれば、あとはどうなってもいいんだ、もう。」
そのとき目の前にいたのは僕の奥さんになる前の彼女と僕の義理の姉になる前の彼女のお姉さんだったけれど、二人には、自分達が「あと」に含められている可能性については一瞬たりとも吟味した形跡は見受けられなかった。
それでも僕は彼女らの「がんばってよ」だの「応援してる」だのいう言葉を信じているふりを続けてきたのだ。
こんなこともあった。
奥さん(になってからの彼女)は僕に、
「あなたはまだ『女』ってものがわかってない。」
と言った。
そう言う彼女の複雑な表情のどこかに、僕は自分勝手に
「だから私はあなたが『女』を知るためになにかトラブルを起こしたとしても、それを受け容れる準備がある。」
という言葉を読み込んでいたのだ(これはすぐに誤解だと判明した)。
僕達は結局、お互いにお互いの願望を読み込んでばかりいる。
こんなことを書きながら、僕だってきっと自分でも気付かないうちに自分を正当化しようとしてばかりいるんだろう。
僕は確かに一度、「小説家になれれば、あとはどうなってもいい」ということを思ったし口にもした。
けれど最近の僕の振る舞いが教えてくれるのは、僕は「どうなってもいい」なんてこれっぽっちも思っていない、ということだ。
手段を選んでばかりいる。
媚びることができた。
根回しすることができた。
男娼になることだってできた。
出来レースに乗ることだってできた。
卑屈にへりくだってみせることだってできたはずだ。
それらの手段を取れば作家の肩書きを手に入れられたかどうかなんてわからない。
けれどここで重要なのは、「僕にはそれらの手段を取ることができ」、かつ「取ろうとはしなかった」ということだ。
どうなってもいいなんて、思ってはいなかった。
少なくともそれだけはわかった。
理解しなければならないことは、きっとまだ山積している。
戦場でワルツを』はその晩のうちに観終えた。
「お前はシオニストを肯定するというのか?」
投げ掛けられた問いがあまりにも重いので、誰かに放り投げてしまいたくなった。
できれば苦労しないけど。


そういえば、この前「今ある古典を押しのけてでも、自分の作品が読まれ残ればいいと、本当に思っているのか?」と問われたばかりだった。
その点にはあまり自信はない。
池袋のジュンク堂で棚を巡っていたときは、居並ぶ全集の前で「オレにこんなに時間と手間は掛けて欲しくない」と思った。