14・15・16・17日。

11月14から17日まで。


14日の日曜日は、起きてからまず『阿Q正伝』を読んだ。
阿Qは惨めな人間だ。
だが、独特の「勝利法」を身に付けている。
それは例えば昇進している人間を見ては「私は地位にこだわる人間ではないのだ」と己を誇り、ぽかりと打たれては「私はあのようなつまらぬ人間の打擲にすら耐えた」と己を誇り、虫けらと呼ばれては「私は虫けらとまで自ら謙遜して見せた」と己を誇るような、歪んだ自己正当化の手法である。
そんな阿Qが、「革命」に目覚める。
なんのことはない。
「革命」と口にすれば誰もが恐れおののくから、便利にその言葉を使っているだけの話だ。
だが本当に革命が勃発するとき、誰一人阿Qの助力を求める者はない。
革命の徒が思う様略奪を済ませて街を去るころ、ようやく官吏がやってきて、革命を盛んに煽り立てていた阿Qを逮捕する。
そんな話だ。
僕は最後の一文に打ちのめされてしまって、読み終えた直後にがっくりと脱力して「こえーよ!勘弁してくれよ!」と叫んだ。
阿Qによく似た僕には、その結末は「死刑宣告」のように響いたのだ。
恐怖が肩口から忍び込んで肩甲骨のあたりをぐるぐると回り続けた。
症状はかなり重篤で、『アポカリプト』という映画に出てきた「恐怖は病だ」という言葉を幾度内心で繰り返しても、効力を発揮することはなかった。
風呂に入ったり、サミットに買い物に行ったりして、なんとか逃れられないものかと無駄な抵抗を試みる。
抜けない。
怖い。
けれどサミットで買った真鯛(半額)で奥さんがパッパと作ったカルパッチョはとても美味しかったりする。
夜には『日曜日には鼠を殺せ』を観る。
スペイン内戦から話は始まって、敗北した人民戦線のマヌエル・アルティゲスは戦後もなお伝説の英雄であり続けている。
そのマヌエルに、ある少年が父の仇討ちを依頼する。
彼の父は、マヌエルの居場所を吐かなかったために拷問されて死んだ。
拷問を行ったのは警察署長ビニョラスだ。
そのビニョラスを殺して欲しいと少年は言う。
マヌエルはすぐには取り合わない。
そのビニョラスは権力を傘に着た、いかにもという人物で、当然のように愛人を囲っていたりする。
その愛人宅に正妻から電話が入る。
彼は憤りながらも、その電話に出ざるを得ない。
妻は言う。「お邪魔だったかしら」
「でも大事なときには誇りを捨て、義務を果たさなくては。」
妻の言いつけを守って警察に電話を入れると、警部補から「マヌエル・アルティゲスの母親が危篤状態」であることを知らされる。
アルティゲスは必ず来る。
ビニョラスは緊急警備体制を敷くため、急遽署に戻ることにする。
罠へとおびき寄せる署長側の密通者と、近付くなという母の伝言を知らせるための神父がマヌエルのもとを訪れる。
「早く母のところへ」という密通者。
「行ってはいけない」という神父。
マヌエルは神と教会への怒りを露わにして神父を退けようとするが……。
というお話。
マヌエル役はグレゴリー・ペック
苦みばしった大人のたたずまい。
シブイ。あと手がでかい。
神父役のオマー・シャリフは、暗い画面のなかで大きな涙目を光らせていると、本当に良心の塊のように見える。
『阿Q正伝』と『日曜日には鼠を殺せ』。
どちらも主人公の死で物語は終わる。
夕飯はひき肉たっぷりレタスチャーハンとピザでした。
どーゆうこっちゃねん。


15日の月曜日は昼前に起床。
一食目はハンバーグサンド(これ三度目。)
カリッと焼いたトーストの一枚にスライスチーズを乗せ、もう一枚にはマスタードを塗って、レタスとハンバーグと目玉焼きをサンド。ソースはハンバーグに添付されていたデミグラスソース。
三回作って三回とも気付きませんでしたが、サンドのレタスは使う前に「パチン」と潰すといろいろ乗せやすいし、食べるときにソースがこぼれたりしにくくなっていいと思います。
日々のサイト巡回を終えて、ツイッターする。
恐怖に捕えられた僕を、励ますようなツイートの嵐。
勇気付けられて、プルーストの話を書いているうちに少しずつ元気が出てくる。
加えて、前に住んでいた要町で、友人が迷子になっていることが発覚。
グーグルマップとツイッターでナビゲートしてもまったく効果なし、という事態がなんだか愉快で仕方ない。
そんなこんなで、いつの間にかすっかり元気を取り戻してしまった。
お、今日ブログ書けば二日分だから楽勝だぞ、ということに気付いて、サクサク書き始めようとするも、食べたものが思い出せなかったり、印象深かったはずなのに記憶が曖昧だった点をつい確認してしまったりするうちに、時間がどんどん過ぎていく。
夕方は塩ラーメンに煮豚とメンマともやしと卵をトッピングして食べる。
それから仕事へ。
期末テスト前日で、休んでいる生徒が多い。
そうしなくても済むように、計画的に取り組むことの重要性をいつもアナウンスしているんだよ。
授業後ミーティング。
帰宅したのは11時半ごろ。
真鯛の刺身や湯豆腐、枝豆をつまみにまずは一杯。
ブログの続きを書いたり、サミットで買い込んだトンカツ(半額でも175円。でも分厚いのだ。)でカツ丼を作って食べたりする。
寝たのは4時くらい、かな。


16日の火曜日も昼過ぎに起床。
ツイッターのタイムラインに溢れていたのは、ノーベル平和賞の授賞式に中国からの要請により、出欠判断を留保する日本の首脳陣に対する非難の濁流だった。
なぜか僕に向けられた言葉のようで笑いが止まらなくなってしまい、某式典への出席を決意する。
顔を潰すわけにはいかないかな、とか、更新を止めてまでプレッシャー掛けてくれてるわけだし、とか、いいぜ殺されに行ってやる、とか、鼻を明かしてやるんだ、とか、とか、とか、とか。
めったやたらに走り回るあぶくのような考えの群れはきっと幻で、申し込んだ身体に真実は宿っているんだろう。
それでも、申し込みを済ませてからの半日僕に付きまとっていたのは、「君はだあれ?」という一言で崩壊してしまう、儚い世界の幻影だった。
どん兵衛の天ぷらそばに、卵ともやしと水菜を乗せて食べる。
夕方から仕事へ。
文章題演習の題材は、七月に逝去したばかりの森毅の書いた、『ベンキョーなんて、けっとばせ!』。
内容を一言でまとめてしまえば、「間違いのススメ」ということになる。
いま偉人として称えられている人たちのほとんどは、たくさん間違えた人たちだった。
けれどその間違いだらけのなかに、文化文明の礎となるような発見や発明があったのだ。
その功績だけをクローズアップしてしまえば、彼らは奇跡的な発見をした天才として祭り上げられる。
けれど本当に大事なのは、彼らが「間違いを恐れなかったこと」なのだ、と森毅は語る。
「ものの本に書いてあるような『正しい』ことを、いくら並べたところで、それが発展しないようでは、有効性はない。」
「本にある『正しい』ことと違うといって、誤りをバカにするのは、本のなかでしか『正しい』ことを見たことがない人間だ。」
そんなことが書かれている。
論の大筋には同意する。
けれど、この論はどこかで順序を逆転させてはいまいか、という疑念は拭えない。
普通の人の恐れる「間違い」を恐れずにいられたからこそ彼らは「偉人」「天才」となりえたのであって、恐れずにいられるのならそれは元々「偉人」「天才」の素質を持っていた、ということになるのではないか。
啓発本にはいつでも「デキル」人間のメソッドが書かれているものだけど、そもそもそれがデキル人間に限りがあるから彼らはデキル人として認知されるようになったのであって、普通の人に同じやり方を強いたところで、結局他にしわ寄せが行くだけなのではないか。
こんな言い方もできる。
間違いを恐れることなく生きて、偉人にも天才にもならなかった人物は、天才や偉人の数万倍も存在するかもしれない。
間違いを恐れなかった天才達がいる一方で、間違いを恐れた天才達もいたかもしれない。
そんなことをあれこれ考えた挙句、僕はこんなことを子供達に話す。
「これからものすごくややこしい話をしますから、十分に注意して聴いてください……この文章には、本に出てくるような『正しさ』だけを信奉して他人をバカにするような真似はすべきではない、ということが書かれています。ですが、この文章もまた『本』に収められていたのです。ではこの文章に書かれている内容を鵜呑みにして、本に書かれたことばかりを『正しい』と思っている人間をバカにすることは、果たして『正しい』のでしょうか。」
小学6年生には難しかったよね、きっと。
「哲学は子供のオモチャではない」ということを言っていたのはレヴィ=ストロースだったかな。
そのとおりだと思う。
どうせなら「間違いなんて指摘するのもされるのも気分が悪いからやめちゃおうぜ」ぐらいのことを言ってしまえばいいのに、という気すらする。
僕個人に関して言えば、違うなら違うと言ってくれたほうが手っ取り早くて助かるし、自分の過誤を発見したときに感じる「恥」の感覚は、いつまでも大事にしていたいと思う。
仕事を終えて帰宅すると、おでんがぐつぐつと煮込まれていて、ビールを飲んで、のんびりお喋りしながら晩ご飯を食べる。
慶應の内部進学生の学部別序列の話、など。


17日の水曜日。
11時頃起きるとやっぱり奥さんが隣で寝ている。
もう有給使い切ったとかいう話があったような……。
ま、それはいいとして、日々のサイト巡回をしながら、コーヒーを淹れて、ハムチーズレタスサンドを食べる。
火曜日の夜に東武ストアで買っておいたクノールのコーンクリームスープも飲む。
ふだんは3袋入りが150円以上して「特売」ということになっているんだけど、なんと8袋入りが278円で売っていたのを、やや興奮気味に二箱購入しておいたのでした。
クノールのスープは本当においしい。
小確幸」の有力候補であります。
ブログに書くために『日曜日には鼠を殺せ』を観返したりしているうちに、あっという間に夕方になる。
みそラーメンに煮豚と卵ともやしとメンマ。ナイス。
仕事へ。
特筆すべき事はなかった。
帰宅して再度おでん。そして諸々のおつまみを前に、ぷはり。
義姉さんと長電話した。
ブログを書き終えると、四時を過ぎている。