木曜と金曜。

18日の木曜日は、ブログを書き終えて早朝4時を過ぎてもまるで眠くならなかった。
ということで、今週の週刊少年ジャンプを読む。
マンガは制作時の分担範囲が出版社やマンガ家によってかなり変わるらしいので、「作者」とされている人がどこまで「作者」なのかよくわからない。
しかし作者名の後に(もしくは担当編集者かアシスタント)という断りを逐一入れるのも面倒なので、ここでは「責任者」くらいの意味合いで作者名を使わせてもらうことにする。
久保帯人は普通の人の生活にはあまり興味がなさそうである。
空知英秋は「意味なんざまっぴら御免だぜ」と言わんばかりのセリフで原稿を埋め尽くしている。
不思議な人である。
つねづね書いている通り、「意味」とは「あいだ」に存在するものであって、単一物に内在するものではない。
そして、「意味」の存在証明を行うのは「あいだ」を「行き交うもの」である。
翻って空知英秋の『銀魂』を読むに、登場人物はさかんに「ボケ」と「ツッコミ」を繰り返している。
行われているのは高度な言語コミュニケーションである。
とすれば、そこには「意味」が存在する、ということになる。
「マンガを描く」という行為は多くの意味(関係性と言い換えても構わない)抜きには考えられない。
300万部も発行される週刊の商業誌が舞台とあれば尚更のことだ。
ほとんどのマンガ家は同業者や編集者、アシスタント、読者、また先行作品や同時代作品との間で言語や図像や貨幣のやり取りを行っている。
「意味」を否定することは、それらを否定することである。
すくなくとも理論的にはそうである。
空知英秋はどうも冗談の好きな人らしい。
もしも長年の週刊連載で「意味(しがらみ、かな。)」に「疲れてしまった」ということなのであれば、しばらく骨休みされてはいかがだろうか。
銀魂』ほどの作品の抜けた穴を埋められるギャグマンガ家はそう多くないだろうが(『ピューッと吹く!ジャガー』の後継も難しそうである)。
個人的には『太臓もて王サーガ』など好きであった。
卒業以来連絡を取っていないが、作者の大亜門は高校の同級生である。
いまも元気でいるだろうか。
ま、身内びいきと言われれば返す言葉もありませんが。
ジャンプを読み終えて就寝するころには、朝の6時を過ぎていた。


起きたのは昼の1時半ごろ。
今週はコーヒー豆の消費ペースが早かったらしく、水曜日に豆が切れてしまった。
コーヒー豆を買って油そばも食べるべく、急いでシャワーを浴びて出かける。
池袋から、要町駅のそばにある麺舗十六まで歩くそれほど長くもない道のりを行くうちに、手足がじわりと痺れてくる。
週の始めに雨が降ったあたりから、冬みたいに冷え込むようになった。
油そばを食べて温まる。
店を出て大通りに戻り光文社ビルの前を通り過ぎると、右手に祥雲寺というケバケバしいくらい立派な寺がある。
門前の石畳の上には、季節を追いかけるように散り急いだ落葉がところどころに積もっていた。
コーヒー豆はブラジルを400g購入。
DVDは返却するだけで新しくは借りなかった。
また池袋駅のほうに戻り、マルイのはす向かいにあるドトールで一服してから王子に帰還する。
帰宅してから、今度はスーツに着替えて仕事に行く。
再度職場近くのドトールに入る(ホントに好きだな)。
列に並んで順番を待っていると、前の女性が飲み物を受け取ってからバッグに財布をしまうのに少し手間取っている。
まだメニューの前に立たない僕に向かって、カウンターの向こうに立っていた男の子が一歩踏み出し、注文を訊いてくる。
動作や目つきや声音に、若干の強張りを感じる。
レジの前に「あの子」がいるのに気付いて、「ああ、昨日僕が帰ってから何か話したんだな」ということを理解する。
昨日、同じように注文するため列に並んでいたときに、ぼんやりと厨房を眺めていた視線の先にあの女の子がいた。
入ってまだ数ヶ月、たぶん高校生の新人アルバイトだ。
数度顔を合わせただけで「この人、知ってる!」とばかりにパッと人懐こい笑顔を見せてくれるようになった、ずいぶんかわいらしい女の子なので、きっとお客さんのなかにもファンは多いだろう。
その子が何かの拍子にくるりと振り返って、たまたまそちらを眺めていた僕と目が合った。
すこし間があって、彼女が「ども」という具合にぺこりと頭を下げたので、僕も「こんちは」という感じで目礼を返した。
それだけの話だ。
それだけの話なのだけど、今日カウンターの向こうには軽い緊張感が走っている。
ポイントカードやお釣りを渡す彼女の手は、平静を保てずに震えている。
なんだか恥ずかしくて顔を上げられなかった。
僕が「キモいおっさん」だと思われていたのなら、男の子は「彼女はボクが守る」とばかりに力んで女の子は恐怖に震えていた、ということになるし、正反対に「素敵なお客さん」だと思われていたなら、男の子は「彼女はボクのものだ」と淡い恋心を露呈し女の子も胸の高鳴りを抑えきれずにいた、ということになる。
できれば後者で、しかもこれがきっかけになって男の子は自分の恋心を自覚して女の子に告白、彼女もためらいがちに承諾して若い二人は青春の一歩を踏み出しました、という展開になってくれるのを期待する。
男の子は背の高いハンサムさんなので、女の子が彼氏持ちでなければ、ありえない話ではないと思います。
てゆーかはやいとこ元通りになって。後生だから。
仕事はいつもどおり。
帰宅するとビールが切れていて、冷蔵庫の前でがっくりと膝をつく。
赤ワインが一本あったので、奥さんが「じゃあ今日はイタリアンにしようか」といって料理を作り始める。
僕はなんだか手持ち無沙汰で、しかも疲れもなかったものだから、結局料理ができるのを待っている間にサミットに行ってビールその他を買ってきてしまった。
夕食はゴルゴンゾーラのリゾットと、舞茸、ほうれん草、ベーコンのガーリック炒め。
どちらもとても美味。赤ワインにもよく合う。
やはり料理は奥さんに一日の長がある。
その後ほろ酔い加減でネットを見ていたら、トラブル発生。
「私達は常に言い足りないか言い過ぎるかのどちらかである」という箴言と、真冬のような寒さが、痛いほど身に染みる夜になった。
風呂に入り、一本ビールを飲んで、寝る。


19日金曜日。
昼過ぎまで寝ていて、起きても何も手につかず、ネットを観てもいまいち楽しめない。
ほぼ日刊イトイ新聞で連載されている『新宿鮫』は2週連続で更新量が減少している。
洗濯でもしようと思いながらダラダラ過ごしているうちに、あっという間に夕方になる。
洗濯機のスイッチを入れてから洗剤が切れているのに気付く。
不貞寝でもしそうになるところを、えいやっと気合を入れて買い物に出る。
王子駅東口の一本堂と東武ストアで洗剤や肉、スナックなんかを買って帰る。
今晩は豚しゃぶにしよう、と思っていたものの、奥さんの実家から送られてきた里芋がたくさんあったので、まずは豚汁を作る。
皮むきは気落ちしているときに向いた作業だ。
大根人参ゴボウ里芋こんにゃく葱そして豚肉と、やけに具沢山の豚汁を鍋一杯つくる。
作り終えると満足してしまって、結局ポテトチップスと漬物と昨日のリゾットの残りをつまみにビールを飲み、締めに豚汁をすする。
いやだからどーゆうこっちゃねん。
完全に現実逃避してブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を読み始めたりしてしまう。
その後テレビで『ディファメーション』というドキュメンタリーを観る。
ホロコースト被害者であることを訴えてパレスチナへの弾圧を正当化しようとするユダヤ人達の有様を、同じユダヤ人である監督が容赦なくカメラに収めていく。
若い女学生達がナチスの子孫への憎しみを露わにする場面は心が痛んだ。
フランスに住みながら「シオニスト」の名乗りを止めることなく、しかも直接被害者の代で憎しみの連鎖を断ち切ろうと苦心していたエマニュエル・レヴィナスの心情は、ユダヤ人自身にもあまり理解されていなかったらしいことはよくわかった。
観終えてすぐに寝る。
奥さんは帰ってこない。
仕事を終えて、マンガ喫茶にでも入っているのだろう。