週末

20日土曜日。
「寝てられるかあっ」と内心雄叫びを上げながら目覚めたのは朝の5時半ごろ。
ベッドの隣で奥さんは寝ていて、ひとまず帰ってきていたことに安堵する。
コーヒーを淹れ、昨日東武ストアで買っておいたコーヒーブッセを齧りながら、ネットを巡回。
最近「何かと書いているうちにだんだん元気になる」ことが多いので、それ目当てに午前中からポチポチ日記を書き始める。
昼過ぎに奥さんが起きてきた。
ご飯を炊いて、昨日作った豚汁を温め、ほっけを焼き、大根おろしを作る。
納豆も出して、「ザ・和食」の昼食を食べる。
ほっけは一旦焼いた後に少し置いて、また焼き直したせいか、骨と皮の身離れが悪い。
という不満は一点残しつつも、非常に満足度の高い食事でした。
満腹のあまり昼寝。6時ごろまで寝て、寝不足を完全に解消する。
また日記の続きを書く。
夜の22時ごろ、夕食に豚しゃぶを食べる。
具は白菜と葱と舞茸、えのき、しめじのキノコ3種に水菜。
奥さんは鍋の具の詰め方が異常にうまく、僕が入れると「材料を切って入れただけ」にしか見えない鍋が、本当に「ごちそう」らしく見える。
材料に火が通ったところで少し鍋を空け、しゃぶしゃぶ。
うまい。
ビールを飲みながらうどんまで食べ終え、ブログの執筆に戻る。
結局書き終えたのは24時過ぎだった。
明日は、今度入籍する義姉とお相手の方が主催する、親族顔合わせの食事会。
横浜そごうの和食屋で昼の2時から、ということだったのだけれど、朝の10時ごろに仙台からお義母さんが僕らの住んでいる王子のマンションの初訪問に来る、ということで少し早めに寝る。


21日日曜日。
起きたのは9時ごろ。
コーヒーを淹れたり洗い物を片付けたりしているうちに、お義母さんがやってくる。
まずは形式どおりに挨拶する。
「富安のお母さんはお元気ですか?」
という質問に「知りません」と即答すると、
「まあー、これだから男の子は嫌だこと!育て甲斐がないったらない!」
と大変に盛り上がっていらした。
「尾羽打ち枯らして一時的に身を寄せたとき以外、大学に入って一人暮らしを始めて以来ほとんど連絡は取りあってきませんでした。」
男の子なんて大概こんなものじゃないのかな。
僕と奥さんがベランダでタバコを吸っていると、
「まあったく、値上げで止めるかと思ったら、バカは治らないねえ!」
と憤慨されていたのにカチンと来て、
「お義母さん、親しき仲にも礼儀ありという言葉をご存知ですか?」
とか、
「タバコの害に関する疫学的研究結果は傍証に過ぎません。」
とか言いそうになるのは我慢した。(ここに書いてますが。)
用意を済ませて、12時半を過ぎたあたりで自宅を出発。
横浜までは京浜東北線で一本だった。
電車内で、子供をベビーカーに乗せたプロレスラーのようなゴツいお父さんを見かける。
空いた席に座らされた子供は、窓枠に手を掛けてじっと外を眺めていた。
しばらくして、子供の二つ隣の席が空いた。
お父さんは子供の隣に座っている男性に移動してもらいたいようでそわそわしている。
しかし眼鏡を掛けた太目の男性は、手元のPSPに夢中で気付かない。
結局、その男性が秋葉原で降りるまでお父さんのそわそわは続いた。
お父さんが無事子供の隣に座れたのにホッとする。
「あの人、『らしい』駅で降りたね。」
という奥さんの一言が、お喋りの口火を切る。
「言えばいいのにねえ。すいません、って。」
「そうよ、言えばいいのよ。」
「でも、子供の靴をちゃんと脱がせてるのは偉いよね。」
「うん、偉い。」
「多いもんね、子供に靴履かせたまんまの親。」
「……しっかし、僕らもなんで見知らぬお父さんを批評してるんだろうねえ。」
「ホントだ。」
「ホントに。」
ふふふ、とみんなで笑う。
僕たち以外の乗客もその親子には注目していたらしく、体格のいいお父さんは電車を降りるまで独り言を言いながらそわそわしっぱなしだった。
大変和ませてもらいました。
横浜に到着。
そごうの中にある「大和屋」という割烹で、義姉が嫁ぐ伊藤家の皆さんにご挨拶する。
お父さんは戦後ニューヨークの日本料理屋でしばらく働いて、その時にお母さんとお見合いで結婚した。
お母さんが文隆さん(義姉の結婚相手)を身ごもってから日本に帰り、静岡にある、造船会社の保養所で働いて今はもう引退している。
お母さんは国会の副議長の秘書をされていた才媛で(「お茶くみよ」と謙遜されてましたが)、今は俵万智の師匠にあたる人の短歌のグループに参加して、日々研鑽を積まれているそうだ。
妹さんは小学6年生と小学3年生の一男一女を持ち、子育てと介護のお仕事を両立されている。
その場で婚姻届の保証人の欄を両家が書き込んでいたのだが、先方のお父さんの生年月日のところに「S7」とあるのに驚愕。
昭和7年、1932年のお生れなのだ。
しかし話し振りといい、身のこなし、肌のつやといい、78歳のようにはとても見えない。
奥様も72歳なのだそうだが、とても信じられないような、若々しくチャーミングな人だ。
伊藤家には不老長寿の秘密が隠されていそうな気がする。
温泉、短歌、遊び、それから「お母さんはお父さんをしょっちゅう叱っている」、というあたりがポイントだろうか。
会食はつつがなく終了して、その後伊藤家ご一同が静岡にお帰りになった後、五人でお茶を飲む。
楽しくお喋りして解散。
お義母さんと帰途ご一緒する。
ご祝儀をまとめて払って頂いた分の支払いとお礼を、お別れの直前になって思い出すも、一蹴されて終わる。
見送りながら心の中で手を合わせる。
王子に帰宅。
文隆さんに頂いた洋菓子をお茶受けにコーヒーを飲む。
とても上品な味。
贅沢ばかりしてしまったので、夕食は昨日の鍋でうどんを煮て簡単に済ませる。
食後奥さんと話す。
土曜の午後あたりからずいぶん機嫌がよくなっていたので気持ちの変化を期待していたが、やはり離婚の決意は変わらないらしい。
大連行きが怪しくなってきた。(それどころじゃないぞ。)