谷崎潤一郎/細雪

【読書メモ】はい、それでは「細雪」の話を始めましょうか。ざっとあらすじを書いておくと、蒔岡家には鶴子、幸子、雪子、妙子の四姉妹があり、豪奢を好んだ父はすでに他界。長女鶴子は婿養子に辰雄を迎え本家を、次女幸子は貞之助を迎え分家を成している。婚期を過ぎても貰い手の決まらない雪子、妙子

二人の姉妹を嫁入りさせるべく様々な話を持ちかける周囲の奮闘に四季折々の行事、舞台となる大阪、京都、東京や戦前の風俗を織り交ぜながら物語は展開していくが……。といったところでしょうか。財産や収入、容姿に結婚歴、子供の有無がまずは大事で結婚する当の本人たちの性格や相性は二の次、という

旧時代の結婚観が非常に露骨に描かれていてとってもげんなりします。いまも結婚の本音はこんなところなのかもしれませんが、それにしても、と思わずにはいられません。結婚制度からはすでに解脱ずみ、もしくはまったく気にしてないわけじゃないんだけど周りがあれこれ言い始めるのが面倒で

結婚という言葉を耳にした瞬間に警戒警報を発令し心に高い高い防壁を張り巡らしてしまうような女性には決してオススメできない小説です。

内容はさておき、まず注意を引かれたのはその文章のぎこちなさでした。どこか不自然さを感じさせる文章で、むやみやたらと一文が長い。あれ、これもしかして、と調べてみたら案の定でした。谷崎は1941年に源氏の翻訳を終え、1942年後半に「細雪」の執筆に着手しています。紫式部の文体を

引きずったまま自分の作品を書いていた、というよりもむしろ、源氏の呪いに掛かった、と言うほうが正確でしょう。この不自然さをあえて言葉にしてみると、女手の枠組みの檻の中で谷崎自身の男手がもがいているような印象です。お世辞にも達意の文章とは言えません。私自身はジッドの直後に読んでいた

のでまだマシではあったのですが、それでも求めていたような美文の快楽を得ることはできませんでした。谷崎は徹底して男手で書く人です。その文章は力強い男性的論理で貫かれています。それがずっと文体といがみ合いながら物語は続いていきます。中身の乏しさが目に付き始めて、それでも一応最後までは

読んでおくか、と中巻の終わりにはほとんど惰性での読書になっていました。ところが下巻に入ると突然の転調が起こります。それが顕著になるのは蛍狩りの場面あたりからでしょう。まるで蛍の明滅そのもののような言葉のやり取りが読者を夢幻の境地に誘い、谷崎が妙手の技巧を発揮し始めます。

気づけばいがみ合いを続けていたはずの論理と文体は見事に調和していました。必要な場面では短文で刻んでもきます。ようやく源氏の呪いから解放されたか、と安堵するような気持ちとともに再びのめり込んだ物語は、妙子の本性が暴露されるところで最高度の興奮をもたらしてくれます。

粗探ししてしまえばキリのない小説ですが、この場面だけは文句の付けようがありません。その後の圧倒的カタストロフを予感させるだけの迫力があります。これはここまで読んだ甲斐があったかな、と小説全体を見直してもいいような気分になっていました。……ですが、そんな期待も徐々に薄れていきます。

下巻の一時的な盛り上がりと幕切れまでの展開は奇妙な裏切りに彩られています。妙子の失態は幸子、雪子の姉妹間の話し合いであっさりと収拾されてしまい、では好転するのかと思えばその兆しとも取れるような明るく瀟洒な部屋の描写の後にも破談が待っている。もしも雪子が誰もが幸福を願わずに

いられないような魅力的なヒロインであれば、読者に手に汗握らせる波乱の展開になったのかもしれません。ですがこの奇妙な大作の主人公は、やはり奇妙なほど魅力を欠いているのです。前半では決してそんなことはありませんでした。小さな子供に優しく、物事を教えるのが上手で、病気ともなれば献身的な

看護をしてみせる、正に母となるべくして生まれてきたような女性です。しかも典型的な京美人で、母親の面影を色濃く宿した妹に幸子も肩入れせずにはいられません。そんな雪子像はしかし、破談を重ねるうちに歪んでいきます。内気、陰気、奥ゆかしい、控えめ、雪子の性格は良くも悪くも様々な言葉で形容

されますが、私は最終的にやたらと内弁慶で陰険な女性という印象に落ち着いてしまいました。「大阪の女にはこの雪子型がじつに多くて、まさしくこれは大阪女の一典型なのだ。」と解説で田辺聖子が書いていますが、この解説を当の大阪の女性がどう受け止めてきたのか知りたいような知りたくないような

……。「いや、ほんまやで。」「……えーっと、じゃあそういう君自身は?」「(にやりと妖しい笑みを浮かべて)どう思う?」……うん、想像するだけで心底肝が冷えてきたので、断然知らないほうがいいような気がします。

さて、いつの間にかかなりの量書いていたようなので、そろそろまとめ。下巻の転調の原因を探ってみたいと思いましたが、さすがにそこまで詳しい話はネットでは見つかりませんでした。42年の後半から執筆を開始して47年に完結。途中に空白期間があるのでそこで何かしら心境の変化があったか、

小説中に谷崎が批判を受けてそれを弾き返したような形跡があるので、どこかからの批判に原因があったのではないかと小説家としての勘がささやいております。途中でネタ切れを起こしているようなので、それに起因する批判だったのではないかと。まあ完全な憶測ですが。

中巻までは本当に苦しいですねこの小説は。とにかく源氏の呪いの一言に尽きます。38年に起こった阪神大水害が出てきますが、文体が場面を殺してしまっています。何を書いても緊迫感と臨場感を殺いでしまうんですね、こういう文体は。下巻だとそのあたりは解消されています。

文体のもたつきが解消され、息は長いながらもリズムを感じさせる文章に、ふっと差し挟まれる場違いなほどのん気な会話が阪神気質とでもいったようなものを浮かび上がらせている。以前読んだ中井久夫の文章を思い出しました。この調子で全編書かれてたらいくらでも絶賛するのになあ。

全体としては冗長。谷崎なのに日常淡々系。すっきりとしない結末は読者に片付かないものを残しますが、どう扱っても面白くなりそうもありません。単に後味悪いだけでした。と散々なことを言い散らしておいて「細雪」評は終了。

谷崎が大変な力量の持ち主であることだけは十分すぎるほど分かるので、これは作品選びを間違えましたね。妙子の暗黒面を描き始めた途端にあのクオリティですから、やはりあっち方面の作品に谷崎の本領がありそうです。あと「刺青」。これはある中上健次作品の元ネタらしいので個人的に必読。

正直批評は精神的に堪えるというのが骨身に沁みてきました。褒められない小説は軽く触れるだけにしたほうが良さそう。でも細かいメモできるだけ残しときたい……ぶつぶつ。あ、雪子のシミは気になるリストに登録。谷崎さん、「ありていに言えば」って書きすぎよ〜。とかとか、で本日はこれにて終了。