大江健三郎/奇妙な仕事/死者の奢り/他人の足

【読書メモ】大江健三郎自薦短篇を読んでいます。「奇妙な仕事」では犬殺しを、「死者の奢り」では死体運びのアルバイトを描いていて、まず死に取り憑かれることから大江健三郎は小説家としての仕事を始めていることがよく分かります。

>「僕は希望を持っていない」と僕は低くいった。(「死者の奢り」p.66)
希望と絶望を巡る対話はしばらく続き、僕は自分がどちらにも囚われていないこと、そんな暇はないことを主張します。けれど相手の男は納得しない。若者と希望とは彼にとって対の存在なのです。

私は以前大江健三郎の「定義集」から次のような言葉を書き抜いたことがあります。
>「絶望(という幻想)」と「希望(という幻想)」
これはたしかハンガリーかどこかの詩人の言葉だったと思います。若い頃からこのどちらかの言葉で自分の心情や性向を語られるのが嫌だったんですね。

最初の二つの作品は独特のムードはあるものの、取り立ててどうこう言うほどの作品ではありませんでした。ですが「他人の足」は読み終えて思わず「ほう」と感嘆の声を洩らしてしまった。もう十分な名誉を得た人をわざわざ持ち上げる必要なんてないんでしょうけど、これでずいぶんホッとしました。

天邪鬼さえ宥めておけば、素直に作品を称賛することができそうです。近年の大江健三郎の政治的パフォーマンスからは考えられない僕の姿に驚かされました。「飼育」はまだ読み始めたばかりですが出足は上々。文章の拙さを詩的言語に転換することに成功したようです。では、今日はこれだけで終了。