大江健三郎/セヴンティーン

さて、続いて「セヴンティーン」。わたしの思い込みから始めてしまうと、社会党委員長の浅沼稲次郎刺殺事件の犯人山口二矢をモデルに描いた小説で、実際には右翼と三島由紀夫をぶん殴りにいった話なんだとばっかり思ってました。でもまあ、読んでみて調べてみて、この小説それどころじゃねえぞ、と。

主人公は十七歳の誕生日を迎えたばかりの青年です。彼の自瀆から物語は始まります。あれこれと分析的な言葉を連ねることもできないわけではないんですが、それではこの小説を伝えられそうもありません。今日はこればかりですが、また少し抜書きすることにします。

「風呂場を出るのと一緒に、オルガスムの瞬間おれの体の内と外からひしめきあうように湧きおこっていた幸福感や、どこの誰とも知れない人たちに感じた友情、共生感、それらの残り滓のすべてが、かすかに精液の匂いのする湯気のなかに閉じこめられた。」(p.215)

始まってしばらくは自瀆と性器の話ばかりですからどこを書き抜いてもいいようなものなんですが、個人的に「どこの誰とも知れない人たちに感じた友情、共生感」というフレーズが思い切りツボにはまってしまったので、ここにしておきます。ようやくこの話が終わった、と思うと主人公はテレビの皇室報道に

すかさず噛みつきます。
「税金泥棒が、きいたふうなことをいってるよ、おれはなにもご期待してないよ」(p.219)
つい最近の現実の皇室報道でも、皇族の一人が投げつけられた言葉として紹介されていたような言葉がぽんと出てきます。主人公に転機が訪れるまではずっとこの調子です。

ドストエフスキー地下室の手記」、それにサルトルの「エロストラート」の系譜に連なる作品ですね。今ではインターネットと2ちゃんねるが十分にその役割を果たしているのでこういう表現が小説に求められることは少なくなっていそうですが、あるところにはあるのかも知れません。

ただし先行作品よりも遥かに過激です。ついでに言うと、大江健三郎のフォロワーと思われる作家たちよりも過激です。高橋源一郎庄司薫大江健三郎から生まれてきた作家だとは知りませんでした。もしかしたら山田詠美なんかもそこに付け加えてもいいのかもしれません。

徹底した下から目線の小説家だったんですね、大江健三郎は。私はどこかで大江健三郎を東大卒で学生時代に作家デビューを果たし芥川賞を受賞したエリート中のエリートで、小説家として得られる限りの栄誉と光輝を身にまとってきた人なのだと、ある種の色眼鏡で見てきたように思います。

ですが初期から作品を読み始めて完全に印象が変わりました。この人はとにかく嫉妬と憎悪を真正面から受け止めてそれを作品に昇華しています。小説中に登場する左翼に対する罵倒の言葉なんて、もしかしたら大江健三郎自身がぶつけられたものだったのかも知れない。普通なら怒り狂って論破しようとする

局面のはずです。ですが大江健三郎はそれをしない。彼は敵の側に立ち、敵の中にもぐりこんでそれを敵の視点で小説にしてしまう。だから小説に登場する憎まれ役はみなどこか大江自身の面影を宿している。もちろんどの小説もそれだけの話ではありませんが、こういうことは言えると思います。

私も小説家としての乏しい経験の中で人にもぐりこんだり人からもぐりこまれたりしてきましたが、それを手法としてこれほど徹底的に実践している人がいるとは思いませんでした。うん、やっぱり書きながら考えると本当に思考の輪郭がくっきりしますね。私は書かないと駄目です。考えられない。

まあ自分の話はいいとして「セヴンティーン」です。描かれているのは未熟な自我の無力感、絶望感、無知、愚かさ、弱さ、滑稽さ、といった諸々の若さです。どんな人でもここからスタートします。大抵の人は齢をとってもそのままで、ごまかす術に熟達していきます。そんな主人公が、ある集会に参加する

ことで一気に変貌を遂げます。彼は自信に満ち、いとも簡単に敵を論破し、女を知り、巨大なものの一部となることによって自我と不安を消失させます。それがこの物語の結末です。ほとんどすべての人はこの既定路線を外れることができません。国体に呑み込まれる彼が戯画化されている、揶揄されていると

感じずにいない私はおそらくすでに文学に呑み込まれています。文学の場合はただ少し呑み込み方が違うというだけの話で。そんな私ですが、きっとそうして読者を照らし返して始めてこの小説は成功するのだと、してきたのだと思います。

私は政治があまり好きではありません。ですがその政治過程を変更するためには政治的成功が欠かせないというジレンマには悩まされます。まるで資本主義の話みたいですが、この小説を読んでそんなことを考えています。

忘れないように書いておくと、三島への攻撃という仮説はWikipediaを調べても何とも結論のつけようがありませんでした。楯の会結成は68年、市ヶ谷駐屯地での自決は70年で「セヴンティーン」が執筆された61年よりかなり下ります。またその前後の三島の活動に極端な右傾化を示す記事は

見当たりませんでした。三島と言えば右翼で愛国者ボディビルダーで、と死の直前のイメージばかりでつい考えてしまうのですが、それこそ無意識のうちにレッテルを貼っていただけかもしれません。読んだ物は面白かったですからね。それを言ったら慎太郎だって……、とと、その手には乗らないぞ、っと。

あ、三島が正田美智子さんと見合いをしてたのは今日はじめて知ってかなり驚いたので付記しておきます。えーっと、後は、うん、そうだ、面白い小説を読むとですね、もっと読みたいとか読まなきゃとかいう気持ちよりもですね、自分の小説を書きたくなるですよ。困ったもんです。

といったところで、困ったまま本日のツイート終了。うひー、23:45てなにそれー。