大江健三郎/さかさまに立つ「雨の木」(1)

 まるで私の批判が届いたかのような書き出しだった。


 小説は主人公を非難するペニーの手紙から始まる。こんな言葉の書かれた手紙だ。
「フィクショナルなものとアクチュアルなものと、その境界が、あなた自身にもあいまいになっているのではないか?」


 主人公はその手紙を読んでため息をつく。
「これは本当にまいったなあ、なにひとつ抗弁できるものじゃないなあ」


 いくらか刺々しくなっていた私の眼差しはこの冒頭ですっかり柔らかくなった。心なしか文章のぎこちなさも解消されているようだ。物語は主人公の小説家を自分が有利になるよう話を作り替える詐術士と非難し続けているけれど(そしてその可能性は十分にあるけれど)、私には高安とペニーをかわいそうな二人と哀れむ以外の読み方ができそうもない。


 連作短編「『雨の木』を聴く女たち」には通し番号が振られていて、この「さかさまに立つ『雨の木』」はその4番目になる。これまで論じてきた連作は1と2。この自薦短篇には3が収録されていない。これを巧みな演出と取るか(2が私のような読者の反感を買った/買うと読んだのか)、幸福な偶然と取るか(単に3は収録に値しないと判断したのか)、考えてみるのも面白いかもしれないけれど、私はすっかり物語に引き込まれた後になって3が抜けているのに気づいた。


 疑り深い人には私が自作自演でもしているように見えるかもしれないけれど、これは紛れもなく本当の話。


 自分で物語に入り込もうと努力するまでもなく、今日は物語にすんなりと引き入れてもらえた。そのせいなのか出てくるのにすこし余計に時間がかかった。