大江健三郎/河馬に噛まれる

作家は山小屋のなかで地方の新聞紙を手に取った。そのなかのある記事に注意を引かれ、かつて文通をした青年と、その母親でマダムと呼んでいた女性についての追憶を語り出す……。


この「河馬に噛まれた」青年は昔文通したあの子なんじゃないか、というのん気な書き出しの割に話はどんどん血腥い方向に向かっていく。何しろ昔文通したあの子が関わっていたのは浅間山荘事件や山岳ベース事件なのだ。作家はマダムの頼みで収監されていた青年に支援の手紙を出す、んだけど、この青年の返事がゼンゼン来ない。やっと来たと思ったら


 自分はあなたが小説の材料を見つけるつもりで、知らない者に手紙をよこすと見、教官先生には失礼だといわれても返事を書きませんでした(p.703)


という、んぷっ、と来る書き出し。あらゆる物書きが思わず「す、するどい」と絶句してしまいそうだけれど、一応この冷淡さには作家の側からの前置きがある。


この事件を起こした「左派赤軍」のみならず武闘派の若者らの立場からは、当時僕など戦後民主主義(・・・・・・・)として、批判されるというより、むしろ嘲弄されるところにいた。(p.696)


それにしたって作家としての地歩を固めた人にこの書きようは、と思ってしまうのは僕が文学の人だからなんでしょう。青年が参加していたのは学生運動関連の事件のなかでも最も陰惨なリンチがあったことで知られる山岳ベース事件。彼はそこに「便所掃除」係として参加し、それゆえに生き残った。


頑なだった青年の心は強い承認を与えることでようやく解かれる。そのまま青年のどん底からの脱出を助けるかに見えた文通はしかし、政治からの横槍によって中断されてしまった。作家は蓋然性の薄い想像であることを再三念押ししながら、青年の現在を祝福して作品を終える。


自分にはもう遅すぎると思いますが、母親は穴ぼこへ落ちずに生きる仕方を教えてもらえといっています。(p.704)


作家の記憶の奥底から呼び覚まされた、政治運動に参加しながらも無気力そのものの青年の一文がこの作品を私にとっても切実なものにした。