往復書簡

to キミ
from もりのひと
title: 真空のこと


 文学の本質は真空、っていう表現、やっとピンときたよ。

 アレのことですね。

 シカトできてるんなら読まないほうがいいかもしんないけど、ピンときちゃったので書いときます。



 まず言っておかなければいけないのは、


「僕らは10年前、同意書にサインした」


ってことです。

 今更契約破棄はできません。

 クーリングオフの期間は過ぎています。

 だから契約不履行のせいであの同意書を突きつけられるのは、仕方のないことです。

 これが僕たちの、まったく金にならない悲しい仕事です。

 もしかすると世の中にはそうでない仕事や立場というものもあるかもしれませんが、そういうもののことは忘れましょう。


 結局、僕らは僕らの身体に書き込まれた無意味なプログラムを他の人間に書き込んでいくことしかできません。

 殴られれば痛い身体。

 滑稽なら笑う精神。

 そういう完全に身体化してしまった「わたし」を、物語によって動かしていく、そして可能な限りそれを書き留めていく。


 それしかないのだと、そしてそれは不可能ではないのだと、僕たちはずっと思ってきました。「生きてく理由は、その都度作れるでしょ」と言ったキミの言葉は今でも時々思い出します。不尽



to もりのひと
from キミ
title: Re:真空のこと


 言葉が足りなかったと思う。

 「真空」は文学の根幹であって開始点だ。

 「事件」が起こるや、そこには幾千もの見方、解釈の可能性が生まれる。

 それは事件と視点、さらにその背景との関係性の表出であり、続いて選択、物語、そしてその総体としてのより大きな意味が生まれる。

 こうなると「事件」はもう「真空」から遠く離れている。

 「事件」は熱量を増し、より動的になる。

 様々な思惑を孕み、相対化し、やがて「事件」であったことさえも失われていく。


 一方、この流れを逆転させることができる。

 解釈の可能性を封印して、群がり付いた種々のフレームを無効化させる。

 複数の視点を拒絶し「事件」を剥き出しにする。

 これが「真空化」だ。

 絶対的な何かが現れるかも知れない。

 でも、僕はそれは悪趣味な実験であるように思う。

 嫌いじゃないけど。


 かつて僕はこのあらゆる拒絶による剥き出しの何かこそ本質だと考えてた。

 今僕は動的であり相対的であることが本質であるように思う。

 波とか粒子とかでなくその両方であるように。

 僕たちの身体に書き込まれたプログラムは無意味ではない。

 それは他の人に書き込まれることで、その人の総体をより動的にすることができる。

 意味や価値を固定化して利用しやすくしようとする勢力に一泡吹かせてやるんだ。

 ただ契約未履行だけどね。

 何万回契約書を突きつけられても酒で洗い流してきた僕には履行の意志が見えませんが。

 草の根運動でへらへらしているのは遺伝病か!?

 人のせいにするような見下げ果てたやつだ。

 長々と意味の分からないメールですんません。