靴下へのレクイエム

最近靴下がよく破ける。
「春だねえ。」
なんて風情のある様子ではなく、
「お、オレ……いっしょうけんめい……がんばったよ……。」
「こ……こんなはずじゃ……。」
「な、なんじゃこらぁー!!」
といった無念がひしひしと伝わってくる感じの破け方(正確に描写するのは難しいのだが、足裏中央前方よりの、少しヒールのある革靴なんかを履くと一番体重のかかる部分にぽっかり穴が開くのだ)なので、仕事中にいつも履いている兄から譲り受けた革靴に問題があるのだろうと結論する。
きっと中のソールがばりばりに破けて、ヤスリ状になってしまっているに違いない。
そういえば、雨が降ると
「おいおい、オレに期待なんてすんなよ。」
という具合に即座に靴底上浸水して靴下がぐじょぐじょになるので、まあこの靴もずいぶんお疲れさんだよね、なんて思っていた。
今朝、揃えた革靴をふと持って覗き込んでみた。
五月の緑は青年の趣であった。
ん?
靴底には、風薫る五月の景色が広がっていたのであった。
……。
よかろう。
よーくわかった。
ここ数ヶ月、私は「裸足のゲン」状態だったってことだな?
私の靴下たちは、果てしないアスファルトとのガチンコバトルを繰り広げていた、とそういうことなんだな?
……靴買いに行こ。
私は重い腰を上げて買い物に出かけたのであった。


銀行によってから、まずは区役所へ。
婚姻届を確認してもらうためである。
用紙を貰って二十四時間受付窓口を教えてもらったときに、戸籍係のおじさんに「内容に不備があると不受理になっちゃいますから、よかったら事前に一度確認させてくださいね」と言われていたのだ。
受付票発行機から一枚取ると、すぐに窓口に呼ばれる。
ごにょごにょ相談したら、いろいろ確認の電話を掛けてくれる。
書類は不受理になるほど問題があったわけではないけれど、少しだけ手直し。
あとは保証人の欄を埋めて提出するだけ、という状態になってから、いろいろと質問してしまう。
外国人が日本人と結婚しても、戸籍の両親の名のところは空欄になり、雑記欄に「誰々と結婚」と書き込まれるだけなんだとか。
「戸籍というのは日本独自の制度で、あくまでも日本人の出自を証明するためのものです。」
そっかー。
係の人の背後に「康煕字典」があったので、それについても質問する。
最近、漢字の二大辞典「説文解字」と「康煕字典」を知ったばかりで、実物を初めて見てコーフンしてしまったのだ。
どうやら戸籍に誤字を書き込んでしまう人が結構いて、それを誤字としてはじいてしまうのではなく、康煕字典で調べて実在する漢字であることが確認できれば「そういう字を書いたのだ」ということで受理するようになっているらしい(あいまい)。
うーむ、皇族やら貴族やら芸人だけに許された「系譜」を庶民にもおろす段階で、結構試行錯誤があった感じだなあ。
戸籍制度って単なる徴税システムみたいだけど(『同時代ゲーム』だとそういう風にしか描かれてないし)、「時間的にマッピングする」と考えると、これはこれでアイデンティティ確保の役に立ったりしたのかも。
日本の近代って、つまりは戸籍/個別性/自我/内面が一気に勃興した時代だったのかもしれないな。
なるほど、と一人合点して「ありがとうございました、面白い話を聞かせていただいて」とお礼を言うと、係の人がニコリともせずに左下を向く。ため息は鼻から。
皮肉にしか聞こえなかったみたいだ。
面白かったんだけどなー。
区役所を後にして、商店街の靴屋に直行。
五分で革靴を一足選ぶ。
3000円。
牛革。
本物なら「そりゃ不況も来るわ」って値段。
ドトールに入って『個人的な体験』を30ページくらい読む。
帰宅。
町山さんの「映画特電」を聞く。
ボロ泣き。
平川さんのブログから石川さんのブログを経由して、ケニヤ旅行記を読む。
1980年の旅行。
半ばに「ミシュランのアフリカ地図」の話が出てきて、いきなり『個人的な体験』とシンクロする。
うわー、そっかー。
大江健三郎って、「そういう作家」だったんだ。