しゅたいいないいないばあ

「主体クセエんだよ、お前の書くもんは。」
と友人に言われてから、そんなもんかなあ、と考えていたのだけど、他の人にもそういうふうに見えるらしい。
んなこと言ったって認識論なんて相手にしてらんないしこの文章を打つためにキーボードを打っている指の実在は疑い得ないし仕事してりゃ腹を割って話す相手なんてどこにもいないんだから、自他の違いはおのずと意識されてくる。
別に寂しくなんてないよ。人間はなんにだって慣れるんだから。
たまたま文章を書いていたらやけに気の合う人々の集団に遭遇したけれど、そんな人が人口の何パーセントもいるわきゃない。
とゆーことで主体くさくて何か問題でも?
という開き直りをかまそうかとも思うのだけれど、「無主体」ということが要請される歴史的思想的背景などもあったのかと思うと一応配慮はしておきたいんだよなあ。

というようなことを酔眼で打ちまくる、バリ出発前夜の男なのでありました。