狂気二編

真に偉大な事業は、「狂気」に捕へられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によつて、誠実に執拗に地道になされるものです。

 
                                   渡辺一夫『狂気についてなど』


書記狂(本を書きたいというやむにやまれぬ欲望)は、社会の発展が次の三つの根本的条件を実現するとき、宿命的に疫病の規模のものになる。
(1) 全般的に物質生活の水準が高いこと。これによって人々は無益な活動に身を捧げられるようになる。
(2) 社会生活の原子化。したがって個々人の全般的な孤立化の度合いが高いこと。
(3) 国民の国内生活において社会的変化が徹底的に欠けていること(この観点からすると、実際に何も起こらないフランスにおける作家のパーセンテージがイスラエルよりも21倍も高いのは特徴的なことに思える。またビビが、外から見れば、自分は何一つ経験らしい経験をしていないと言ったとき、それは実に見事な表現だったといえる。彼女にものを書かせようと駆り立てる原動力こそまさしく、そうした死活的な内容の不在、そうした空虚だからである)。


                 ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』第四部 失われた手紙