ただ毎日書いてみる

ラジオデイズというサイトの、「ラジオの街で会いましょう」というコンテンツを聴きまくる。
内田樹平川克美小田嶋隆養老孟司高橋源一郎と、講演があれば金を払ってでも観に行きたいメンバー(実際行ったし)が勢ぞろい。
こんなに質の高い番組が無料で聴けてしまう。
いい世の中だ。
日曜の夜は自宅にいないことが多く、InterFMの内田先生の回を聴き逃して悶絶していたのだけれど、ここで聴けることがわかってホッとした。
町山さんの番組と時間帯が重なっているのも、これなら安心だ。
楽しみがまた増えた。


自宅にいるときは基本的にInterFMを流しっぱなしにしている。
英語のトークと洋楽の流れるラジオ局。
「知らないステキな曲を流してくれて日本語の不愉快な会話が少ない」というところがポイントだ。
CMは流れるけれど、それがあってテレビやラジオを無料で視聴することができるんだから、少しくらい聴いてあげないと気の毒だよね。
日本語の曲や会話は、腹が立つかげんなりするかのどちらかであることが多くなった。
選曲のセンスは抜群でもパーソナリティーやゲストの会話に苛立って
「いーから黙って曲流せよ!」
と思うことが多いので、他の局はほとんど聞かない。
なんとなく、昔FENしか聴かなかったような人たちも、似たようなことを感じていたのではないかと思う。
もしかすると英語は「ほどよくわからない」ところに美点があって、日本語と同レベルのリスニング能力があったら(ありえないけど)同じことを感じるのかもしれない。
最近、キャロル・キングの”You've Got a Friend"やカーペンターズの"I Need to be in Love"を歌詞を読みながら聴いて、猛烈に感動してしまった。
「文学的倍音」という観点から言えば、私はおそらく、そこに「自分自身が読みたいと思っていた言葉」を読み取ったのだ。
日々触れ、完全に内面化してしまっている日本語よりも、不完全な理解のうちに留まっている外国語のほうが、「倍音」は読み取りやすい気がする。


閑話休題


ラジオデイズで聴いた、小田嶋さんの「商品じゃないんだから校正はしない」ブログの書き方。
高橋源一郎の「ものすごくキツイんだけど、一ヶ月くらいで身体が変わってくる」という初期の創作体験。
いい話を聞いた。
また今日から、一日一本、どんなにつまらない文章でも書く努力を始めるかな。
何度も挫けててまた挫けるかもしれないけど。
もしかしたら今度は、成功するかもしれない。
養老先生も「朝起きると少しだけ別人」になるって言ってたことだし。