生還

私は25日の授業を終え、報告書を書き、約束の時間にやや遅れて池袋に到着した。
これから、大学時代からの友人二人との飲み会である。
一人が店長を勤める池袋丸井そばの飲食店に到着すると、見慣れた顔が二つ並んでいる。
「おーっす。」
「おつかれ。」
「じゃ、『玉金』行きましょうか。」
池袋西一番街に実在する居酒屋の名前である。
「あいよー。」
私たちはキャバクラの呼び込みをかわしながら、目的の店に向かった。
土曜の夜ではあったが、無事空席を発見。
乾杯をして、色々な話をする。
私が大学で知り合った、一級の頭脳を持つ二人。
けれど私も含め、器用に生きているものは一人としていない。
私の結婚のこと、彼らの付き合っている女性のこと、仕事のこと(一人は医大志望者を相手に英語を教えている。)、生活のこと、文学のこと、話は転々として留まるところを知らない。
経緯は忘れてしまったが、こんな話をした。


レヴィナスの『有責性』の概念って、全然難しいことじゃないと思うんだよね。あのさ、仕事してるとさ、自分がしでかしたわけでもない失敗について謝罪する機会っていっぱいあるじゃない?そういうことだと思うんだよ。誰かが被害を訴えているとき、その人は『組織名』に対して非難の言葉を向けるでしょ?『この私』は組織の一員として対応する。だって、相手は責任の所在を明確に理解したうえで非難しているわけじゃないんだから。こちらもそれを汲み取った上で、自分に責任があることのように対応するわけだよね。自らが犯したわけではない罪に対して自らの有罪を宣言してみせる。そういうレヴィナスの言葉って、意外と身近なところにあるような気がするんだよね。」
「そうすると、問題は『帰属意識』に行き着くよな。」
「そうそう、そうなんだよ!自分がこの組織の代表として有罪宣告を受け入れて謝罪するってのは、少なくともその瞬間は組織に帰属していることを自認してるんだから。でもさ、高校生くらいでだいたい考えるじゃない。諸悪の根源は『帰属意識』だって。テロにしろ、宗教戦争にしろ、民族紛争にしろ、『戦争だけはダメ』っていう価値観の下で育った僕たちには、その原因であるところの帰属意識を否定する傾向っていうものがどうしても生まれてしまうと思うんだよね。」
「その結果の『個人』なのかね。」


プラトニックラブって、同性愛のことを指してるわけじゃなくて、師弟関係におけるエロス性のことを指してると思わない?僕はエロスを『性愛』と訳したところに誤解の根本があるような気がするよ。あらゆる同一化を望む傾向はエロスと呼んで差し支えないと思う。」


「愛って、唯一性の儀式なんだよね結局は。一夫一婦制にしろ、処女幻想にしろ、すべては互いを唯一のものであると認め合うところに要があると思うんだ。」


朝五時過ぎまで話は続き、カラオケで二時間叫び、私は池袋から徒歩圏内にある妻となる女性のマンションに向かった。
仮眠を終えると、午後一時であった。
二度寝すると、午後四時であった。
研修……そんなものもあったような気がする。