バリ日記3

5月15日 ウブド


朝食を済ませてから、またビーチへ。
道すがら、妻が帽子を買う。
元々5万ルピアで売られていた帽子を2万まで値切る。
「2万で売ってくれるなら買うし、それ以上なら買わないよ。」
それで利益が出るのなら売ればいいし、出ないのなら売らなければいい。
ただそれだけの話だ、という態度を貫徹していると、おっちゃんは渋々承諾する。
初日で底値の感覚はだいたい掴んだ。
買えないならそれでいいや、という投げやりな態度が最強の交渉術になることもわかった。
砂浜にある木陰にバスタオルを敷いて座ると、またわらわらと人が集まってくる。
もう、声を掛けられても顔を向けもしなくなり、無視することが常態になっている自分に気分が悪くなる。
妻は案外まめに相手をして断っている。
「こんな生活をして、この人たちにどんな尊厳がありうるっていうんだろう。金のために人に声を掛けて、金のために媚を売って、誰もが似たような品物を似たような仕方で売って、それで大した実入りもなく、いつまでもそんな生活を続けるような生活の、どこに喜びがあるんだろう。」
「尊厳はあるんじゃない?生きてるんだし。喜びだってあるよ、生きてるんだから。」
「そうなのかな。なんで金のためだと思うとこんなに嫌なんだろう。僕のこういう価値観って、士農工商的な、商人を最下位に置くような、金銭を卑しいものとして扱うような、日本的なところから来てんのかな。」
さあね、と言って妻は海に向かった。
私は波と戯れたり時々呑まれたりしそうにしそうになる妻の姿を写真にとって、それからまたぼんやりと考え込んだ。
ナショナリストにとっては国富の流出でしかないような、コスモポリタンにとっては世界の富の平均化プロセスであるような、発展途上国への海外旅行。
その真っ只中にあって、物価の安さだけを無邪気に喜べるようなナイーヴさはもはや失われていた。
ただ現地の金銭感覚に則った「賢い消費者」であろうとする習慣だけが抜けない。
別にぼったくられてりゃいいじゃないかよ、大した額じゃなし。
そう思った次の瞬間に、へへへ、名誉白人気取りだね、たっぷり恵んでやんなよ、という声がする。
私はどちらの声に従うこともできずに欲望を摩滅させていく。
「発展」とはすなわち資本主義化の度合だった。
より資本主義的であれば先進国と呼ばれ、資本主義が足りなければ発展途上国と呼ばれ、資本主義に背を向けていれば、あるいは資本主義に搾取されるだけの存在であれば後進国と呼ばれた。
資本とは生産の基盤となる財産、土地、設備、労働力を指すのだから、資本主義とは生産主義でもあったはずだ。
それが、産業革命以来の物質文明を育んできた。
資本=カネと生産=モノ。
資本主義経済とは、その二つを価値と豊かさの指標とする経済体制の謂だ。
(と、ここまで書いたところで筆を置いたら、一週間以上先を進めることができなくなった。)
カネとモノに罪はない。
カネという媒質があるからこそ、私たちは自らの労働力を他の労働力の成果と交換することができる。
労働の成果が、日々腐っていく類のものであっても、価値を保存することができる。
カネが信用されている社会でなら、私たちは人並みにできることが一つでもあれば生きていける。
それは生存の可能性を広げるものであっても、狭めるものではない。
モノも同様だ。
私たちはモノによって栄養を、安全を、快適を、新たなコミュニケーションの経路を、手に入れる。
それらを否定できる人間などどこにもいない。
ただ、カネとモノは過剰な意味を持ってしまった。
カネは「希少性」の尺度ではなく「意義」の尺度となり、モノは「実用品」から「象徴」になった。
それ以来、カネとモノは少しだけ不愉快なものになった。
人がカネとモノで査定し、査定されるようになったからだ。
カネが出現したときから拝金主義者はいただろう。
モノが出現したときからフェティシストはいただろう。
しかし現代において進行しすぎた「分業」は、そのような状況に拍車をかけているように見える。
複雑化する社会は人に、他人が生業とする仕事の可能性や限界、それが社会の中で果たす役割を理解させるための負荷を増大させ続けた。
専門分化は人をジャーゴンの世界に閉じ込め、他のジャーゴンの世界とコミュニケートする言葉を奪った。
時代の要請によって生まれる新たな仕事、ニッチ、肩書き(往々にして横文字の)は、リテラシーの増大を果てしなく求めた。
知的負荷の軽減を求める運動は常に同じ軌道を辿る。
「レッテル」を、シンプルな物差しを求める。
それだけ知っていれば「理解していることにできる」簡単な言葉を。
カネは、あらゆる仕事を事物を同一の地平において比較考量するための単一の指標として採用された。
カネがすべてになった。
あらゆるモノはカネのメタファーになった。
それこそが現代の「貧しさ」の正体である。
ここに、禁じられている言葉がある。
「私はもう欲しくない。」
真情が真情として素直に受け取られる機会はひどく少ない。
「清貧てヤツ?」
「無欲ね。」
「禁欲的。」
「それでもオスなの?」
「それじゃウチはやっていけないんだよ。」
「ついていけない。」
「キミだけだよ、そんなことを言うのは。」
「みじめじゃないの?」
「自分の欲望に気付いていないだけだろう。」
「え、持ってないの?」
「空気読めよ。」
人は、メディアは、欲望を持てと執拗に迫る。
私が欲しいのは、誰も持っていないもの、誰も持ったことがないもの、かつて存在したことのないもの、わたしが名指すことによって存在を始めるもの、そんなものだ。
カネやモノは、それを希求するわたしの存在を維持するのに足りればいい。
けれど人は誰かが持っているものをわたしが持っていないことを責める。
わたしは「嘘」をついている、と言う。
「欲望を満たすための最良の手段は欲望を隠すことだ。」
ルサンチマンだね。(怨恨、と訳されることの多いこの言葉を、なぜかわたしは『手に入らないものは価値のないものと見做そうとする心的傾向』と、つまり『すっぱい葡萄』とほぼ同義に解釈している。)」
「本当は欲しいんでしょ?」
「本当は欲しいんだろ?」
「なあ、欲しいんだろ?」
「欲しいんだろ?」
「欲しいんだろ?」
「欲しいんだろ?」
自分が欲しがっているものは誰もが欲しがっているものだと、自分が持っているものは誰もが憧れるものだと、確認しなければ、承認を受けなければ、人は自らの欲動を維持することができない。
私は私の欲しいものが欲しい。
あなたはあなたの欲しいものが欲しい。
それで終わる話が終わらない。
欲望はより多く欲望することを求めて欲望されることを欲望する。
ややこしいけれど、そういうことだ。
そして私は、内田先生の「学歴無用の会」の話を思い出す。
学歴で人を差別するのはよろしくない、というので、「学歴無用の会」というものができた。
ところが、学歴によって人間的に損なわれる仕方はその人の学歴によって異なる。
東大出の人が「なまじ学歴があるばかりにスポイルされている」仕方と、中卒の人が「学歴がないばかりに差別されている」仕方は同列には論じられない。
それゆえ、この「学歴無用の会」では、会員全員は胸に最終学歴を大書したプレートを着用することを義務づけられている・・・

ある種の言説は、執拗にその「発言主体」を問う。
女性差別の解消を目指す(はずの)フェミニズムは、発言主体が男性であるか女性であるかを問うことで男女差別を再生産する。
階級社会の終わりを目指す(はずの)マルクシズムは、発言主体が資本家であるか労働者であるかを問うことで階級差別を再生産する。
同様に、拝金主義の終わりを目指してなされるどのような発言も、その発言主体が「持てるもの」か「持たざるもの」かを執拗に問うことで財産の多寡による差別を再生産し、結局は拝金主義の更なる瀰漫を後押しする。
では、沈黙以外の手段は残されていないのだろうか。
できるだけカネの話には触れず、人がカネを意識に上らせずにいてくれることを願うことしかできないのか。
カネの話が出た途端に眉をひそめ、肩をすくめてその場を立ち去っていればカネの話は止むのか。
しかしその結果残るのは、無邪気な拝金主義的言説のみである。
資本主義社会はあらゆるものに値札を付けてみせる。
カネの万能イデオロギーを打破しようとする言説にすら値札を付ける。
これは隘路だ。
けれど、その隘路を突破するものだけに、カネを過大評価も過小評価もせず、ただしく位置づけることは可能となる。
私たちは暴力という圧倒的なリアリティによってではなく、カネという幻想によって変化していく社会を選択した。
生命を選択した。
だからといって、その幻想をどこまでも肯定することなどできはしない。
幻想を真実のように取り扱うことはできない。
真実を
装う幻想もまた人を殺すからだ。
それにしても……。
私はインドネシアの端に位置する小さな島のビーチに満ち満ちた、世界のどこに行っても逃れることのできないモノを眺め渡してため息をつく。
資本主義は強すぎる。
文化人類学の授業で習ったっけな、「文化相対主義」ってヤツを。
「他なるもの」を無前提に劣位に押し留める「自民族中心主義」から、あらゆる文化は等価値である(あるいは、等しく無価値である)とする「文化相対主義」への移行。
それが文化人類学の説く歴史だった。
そんなものが実現されている社会が、いったいどこにあるっていうんだろう?
あるいは、私たちにそんな社会の実現は可能なんだろうか?
「あなたも泳いでくれば?気持ちいーよー。」
潮水を滴らせながら妻が歩いてくる。
そうだね、と言って立ち上がり、私は入れ替わりに海へ向かった。
引く波が、砂をさらいながら足裏をくすぐる。
私は飛び石を踏んで歩くような錯覚に陥りながら、徐々に深くなる海の中へ体を沈めていく。
コンタクトレンズを気遣いながら、せり上がる波を遡るように平泳ぎする。
波をやり過ごした後に降下する体を、また波を目指して上昇させる。
ふと立ち泳ぎの体勢にしてみると、もう足は砂につかなくなっている。
腕だけを動かしながら、波にゆられる。
ビーチに向き直って、しばらくぼんやりと眺める。
砂浜と、人と、木々と、その向こうにある街並を眺める。
首筋に照りつける陽射し。
顎から下を浸す水の冷たさ。
海から、ビーチから、空の遠くから響くうねりのような音に耳を澄ます。
海の表面から蒸発する海水の生ぬるい臭いが鼻をつく。
どこからともなく口中に忍び込んだ潮水がからい。
五感を確かめるような時間を過ごした後、波に後押しされるようにして、私はビーチに戻った。
タバコを吸いながらまた海を眺める。
「そろそろ帰らないと、ウブド行きの車に間に合わなくなっちゃうよ。」
「そだね、じゃあそろそろ行きますか。」
携帯灰皿を忘れて砂浜に突き刺していた吸殻をほいほいと拾って、ビーチと道路の境に置いてあったゴミ箱に捨てる。(途中で目に付いた吸殻をついでに拾っていたら、知らない女の子と目があって恥ずかしかった。)
ホテルに帰る途中で、神事の行列にぶつかった。
山車を中心に車道を埋めて練り歩く、白い装束の集団をしばし眺める。
ホテルのそばの食堂で、妻がミネラルウォーターのペットボトルを二本買う。
ホテルに着いて体についた潮水をシャワーで流し、バティックとショートパンツに着替える。
ウブドの地図のついたガイドブックをバッグに入れて、準備は完了。
約束の一時半にホテルのロビーに行くと、太った男が入り口のそばに立っている。
「○○○○さんですかー?」
どう見分けたのか、私たちの姿を見た瞬間に男は声を掛けてくる。
いまは私の姓にもなっている、妻の姓で呼ばれたために、一瞬反応が遅れてしまう。
「え、ええ、そうです。」
「お待ちしてましたー。あ、バティック、よく似合ってる。バリ人みたいだねー。」
妻がフロントに部屋の鍵を預けている間にも、男は間断なく喋り続けている。
往復の交通費を日本円で支払ってから車に向かう。
ドライバーさんはちょっとシャイな感じの男性で(たしか名前はマリさんといった)、助手席で喋り捲っているガイドさんと好対照をなしている。
すぐにウブドに向かって出発。
クタからサヌールのあたりを通って、ウブドに向かう。
巨大な石像や、苔むした石造りの寺院、割れ門はすでに見慣れてきたので、普通の家の建築様式や、バリの植生に目を凝らす。
物を売っている場所はバラックが多い。
低い建物の上に張り出した屋根の乗った、沖縄風か中国風の建物が目に付く。
もっとあるかと思っていた、いかにも「白亜の殿堂」という感じのコロニアル建築はほとんど見かけなかった。
木々は日本の田舎とほとんど変わらない。
艶やかな花々やヤシの木、遠目にも見事なレインツリーに極彩色の小鳥たちが遊んでいたハワイのような南国ではないのだ。
「はい、この高原、すごくキレイで有名なところ!奥さん、コレコレ、読んでみて!」
「……キンタマーニ高原。」
デシシシシシ、と笑って、ガイドの男は満足げな様子を見せている。
おいコラ、セクハラしてるんじゃないよ。
オートバイの群れの向こうの景色ばかりを眺めている私を尻目に、ガイドの男性はひたすら様々なツアーの話をしている。
最初は呆れていたのだが、すぐに「うん、仕事熱心なんだよ、結構なことじゃないか」と思いなおす。
とはいえ、新たな予定を組み込むような日程の隙はもうない。
新たな仕事の口にはなりそうもないと見切ったのか、それとも初めからそういう予定だったのか、男は途中で車を降りていった。
寡黙なドライバーさんとの移動が続く。
多少は見晴らしの利いた平地から、徐々に山岳地帯に入っていく。
時々、車が急にスピードを落とす。
何事かあったのか、と思うと、ガックン、と車が揺れる。
道路の舗装がところどころで陥没していて、避けたり、減速して衝撃を弱めたりしてしのいでいるのだ。
日本だったら市役所にクレームが殺到して、すぐに補修工事が行われているだろう。
バリではまだ「道路の陥没」は日常で、日本にもこういう時期があったんだろうな、と思わされる。
ふと、ものすごい量の石像と、石像に彫られる前の石材が山積みされている光景が目に飛び込んでくる。
ああ、工房か、と思っていると、そんな光景が次々と現れる。
バリの街並みのいたるところに(本当にどこにでも)ある石像は、こんなところで製造しているんだな、これだけ作る場所があるんなら、あれだけの量も納得だ。
そう思っていると、今度は絵画と額縁だらけの店がずらずらと並んでいる光景に出くわす。
ガイドブックに載っていた「バリ・アート」というやつだ。
似たような色調とモチーフの絵が、ひたすら並べ立てられている。
見ているうちに、だんだん心配になってくる。
品質に有意な差がないのであれば、購買者の購入決定要因は価格だけに一元化されてしまう。
技術の伝承には便利だろう。
しかし、同じ場所で同じものを生産していては、最終的に必ず製作者集団全体の利益を損なう結果になる。
それともこの場所は、小売業者が仕入れをするための場所なのだろうか。
であれば、一般の消費者(つまりは観光客のことだ)の目に付かない場所でやりとりするのが常套手段のはずだ。
よくわからないけれど、きっと、おおらかなところなんだろう。
ガイドブックでウブドは「芸術の街」と銘打たれていた。
こういう絵がたくさん売られているのかもしれない。
そう思いながら、私はぼんやりと絵を売る店の並びを眺めていた。
そのうちに車は、ゆるやかな上り坂の両脇に、小ぶりな構えの店が鈴なりになっている通りに入っていった。
ウブドだ。
車はゆっくりと坂を登って、王宮前の四辻に停車する。
赤茶けた石造りの建物を、濃い緑色の苔が縁取っている王宮の様子は寺院とさほど変わらない。
そこでかつて営まれていた生活の面影を、格子と石で作られたフェンス越しに窺うことはできない。
夜の待ち合わせ時間を確認して、車は去っていった。
ドライバーさんはウブドのそばに住んでいると言っていたから、きっと自宅に帰ったのだろう。
地図で見た限りでは、ウブドの街の中心はほぼ長方形の通りと、その両側に並ぶ店舗群や寺院から成っている。
私たちが降り立った王宮前は街の北西の角あたり。
ここを西にまっすぐ行くと、夜のメインイベントの会場になる