つまらない話

 これはもう本当につまらない揚げ足取りに過ぎないかもしれなくて、書くことが相当に憚られる事柄ではあるのだけれど、それでもどうしても気になってしまって気になってしまってどうしようもないことというのはあるもので、そんなことを時には書いても許されるのではないかと考えること自体が年少者の甘えの裏返しに他ならないのではないかと煩悶するのにもそろそろうんざりしてきたのでもう書いてしまおうと胆を決めた。
 それはつまり「形声文字」に関しての話で、わたしは塾講師として国語を教えるために泥縄でテキストに書かれていることを理解し試験問題を解いて頻出問題を見極めなおかつインターネットで知識を補うことを繰り返しながらつねに逃げ腰で生徒たちに向き合っているのだけど、そのようにして学んだ事柄の一つに「六書」があったわけだ。
 「六書」というのは漢字の成り立ちの六種類で象形文字指事文字会意文字形声文字転注文字仮借文字を指し、それぞれに「形を象る」「記号的に指し示す」「意味を組み合わせる」「音符と意符を組み合わせる」「元々の意味から新たな意味に転じる」「音だけを使って外来語に当てる」といった意味合いを持っているのだけれど、この形声文字=「音符と意符を組み合わせる」を学んだときに私がすぐに思い出したのが内田先生を経由してやってきた養老先生の御説なのである。
 すなわち「日本人の読字障害には二種類あって、それは『ひらがなだけ読めなくなる』ケースと『漢字だけ読めなくなる』ケースである。表音文字表意文字を脳の別々の部位で処理するハイブリッドな言語処理機構が日本の驚異的な識字率を支えているのではないか」という仮説がそれで、ここには「漢字は表意文字である」という前提があるその前提が不当前提なのではないか、という疑義を挟まずにはおられなくなってしまったのである。
 では、そろそろ普通に書きますか。
 形声文字はあらゆる漢字の八割を占めると言われるほどに数が多い。けれど、国語学習上重要なのはその数の多さゆえではなく、「部首」を答えさせる問題との関連が強いためである。
 例えば、次に挙げる漢字には、「もんがまえ」に類別される漢字とそれ以外のものとがある。おわかりになるだろうか?


 聞  問  悶  開  閣  閉  間  閑  関


 右の六つが「もんがまえ」で、左の三つはそれぞれ「みみ」「くち」「こころ」が部首となる、というのが正解である。
 形声文字は「意符=意味を表す部分」と「音符=音を表す部分」とを組み合わせることによって成立しており、意符がそのまま部首となる。逆に言うならば、「もん」という読み方をする漢字は「もんがまえではない」のである。他にも例を挙げよう。


 暮  墓  募


 上記の三字もそれぞれ部首は「ひ」「つち」「ちから」である。つまり、部首となる字を除いた全体が「ぼ」という音を示す音符となっていることになる。
 これらの例から明らかなように、漢字の大半を占める形成文字が表意部分と表音部分との組み合わせから成り立っている以上、「漢字は表意文字である」という前提の上に展開される議論に与することはできない。私が「日本人の読字障害には二種類ある」という事実から導くことができるのは、「ひらがなを処理する脳部位と漢字を処理する脳部位とは独立している(それには表音と表意という記号性質の差異は関連していない)」という推測のみである。
「だからなんなんだよ?」
 無論、結論は内田先生と変わりはしない。日本の驚異的な識字率を維持するためには現在の日本語表記体系(漢字かな混じり文)を変えるべきではない、ということだ。ただし、そのことを説得的に表現するための理路は少々変えたほうがよろしいのではないか、ということを僭越ながら申し上げたいと思っただけの話である。
「こまけーなあ。」
 それは自覚の上である。ただ、些細な事柄であっても「蟻の一穴」にはなりうる以上、予防線を張ることは同じく日本語を愛するものとしての義務ではないかと愚考した次第である。「つまらない話ですけど」という前置きをしてこちらが書いている以上、「ホントにつまらない話ですね」という反応をするのは死者に鞭打つような非情さではあるまいかと思うのだがいかがだろう。
 最近、中学校では英語の筆記体を教えないそうである。私は流麗な筆記体への憧れを抱きそれを習得したものだからやや残念な気がしないでもないのだが、今日「はた」と気付いてしまった。
 つまりこれは、日本語の表記体系にアルファベットを取り込むための伏線なのだ。筆記体では縦書きが不可能だが、ブロック体ならばそれが可能である。日本語は漢字、カタカナ、ひらがなだけでは飽き足らず、さらにアルファベットまでも取り込んで日本人に「文字を読め」と迫るのである。
 ああ、なんと貪欲な恐ろしい言語なのであろう。
 私はますます日本語の虜になってしまいそうである。