バリ日記2

5月14日 結婚式


目が覚めて、持ってきたデジタル時計を見る。
日本時間で7:00。
インドネシアとの経度の差は27度あるけれど、時差は一時間しかない。
朝六時に起床してしまった。
自覚はないけれど、微かな緊張状態にあるらしい。
二度寝できそうもないので、ベランダに出て庭を眺める。
熱帯植物に飾られた、広大な内庭。
その一角にはプールがある。
代理店に支払った金額を考えれば間違いなく安ホテルなのだけど、設備も見かけもそう悪くはない。
タバコをふかしながらぼんやりと考え込んでいると、妻も起き出してくる。
グラン・トリノ』や、空港の検疫について話をする。
けれど、それほどゆっくり過ごすことはできない。
今日は今回の旅の目的であるところの結婚式がある。
彼女の長年の友人がここで式を挙げる。
誘われた当初は来るつもりがなかったのだけれど、妻に「旅行代金なら貸すから」と押されて渋々参加を決めた。
どんなに小額でも、借金に小突き回されるような生活はもうごめんだ。
内心そう思っていたけれど、妻の尽力で往復航空券とホテル宿泊料込みで37000円の格安ツアーが見つかるに至って、そう心配する必要もなかったことを知った。
後々妻の結婚式への欲望が昂進することは目に見えているけれど、それくらいは、まあ、仕方がない。
何はともあれ、ホテル内のレストランに朝食を取りに出かける。
食事、卵、フルーツ、ドリンクをそれぞれ、ナシゴレン・ミーゴレン・トースト、オムレツ・目玉焼き、フルーツサラダ・オレンジジュース、コーヒー・紅茶から選ぶ方式になっていて、ナシゴレン、オムレツ、フルーツサラダ、コーヒーを注文する。
悪くない味だ。
コーヒーはバリコーヒーで、東南アジアらしく細かなコーヒー粉が沈むのを待って飲むタイプ。
コピ・バリと呼ばれているのを聞いて、インドネシア語は形容詞が後置修飾なのだろうかと考える。
ナシゴレンはナシ(米)ゴレン(炒めた)だろうし、ミーゴレンはミー(麺)ゴレン(炒めた)だろうから、おそらく間違いはないだろう。
食事を終えて、クタの街に出る。
一時半にホテルに迎えが来るので、それまでに結婚式に出席する服装を調えるのが目的だ。
まずは両替をしなければいけない。
そう思いながら街をぶらついていると、至るところに両替屋の看板が見つかる。
確かに空港よりもレートが良い。
良いどころか、出発前に調べた為替市場の公式レートとまったく変わらない1円=107ルピアの表示を見つけて、驚きつつも即両替。
どうやって商売を成立させているのだろう。
改めて通りに出、服を商っている店を見て回る。
バリの民族衣装的なものであれば式場で取る写真にも「らしさ」が出るだろうし、揃える費用もそれほど掛かるまい、というのがこちらの腹積もりだ。
店に入って品物を見ていると、通りから日本語を話すバリ人が入ってきて色々と説明を始める。
そうやって取引を成立させ、売り手から利益の一部を受け取る臨時ガイドのような役割を果たしているのだろう。
横槍を入れてきた人間が我がもの顔で振舞う状況を、そんな風に理解する。
そこでは値段交渉はほどほどにして、とりあえず揃える必要のあるアイテムを把握するに留める。
次の店へ。
今度は若く、小柄で眼鏡を掛けた女性が切り盛りするお店。
見るからに良心的で、値段交渉をすると心底悩んでいる風で電卓を叩く指も滞りがちになる。
前の店では一人当たりトータル50万ルピアほどになりそうだったのが、こちらでは20万ルピアで収まりそうな気配。
サロン(巻き布)と腰紐、バティック(という柄のシャツ)の三点で18万ルピア。
妻がサンダルを選んでいるのに触発されて、男物のサンダルはありませんかと訊くと、この店には置いていないという。
残念そうな顔をしてみせると、ちょっと待ってね、と言い残して店を出ていき、すぐにサンダルを手にして戻ってくる。
並びの靴屋から持ってきたのだ。
機転のきくひとだな、と思いながら、値段を訊くと、そのサンダルだけで18万ルピアだという。
結局、四点で計30万ルピアで購入。
妻はサンダルやら小さなバッグやらも含めて22、3万で購入していた。
さすがに旅慣れている。
店を後にして、H・I・Sのクタ支店に向かう。
パックに含まれていたクーポンの話を聞いたり、店内に置かれていたPC(使用料500ルピア/分)で明日のウブド行きの車の送迎時間を確認したり、冷たい水を飲みながら足を洗ったりしてから店を出る。
時間はまだ10時過ぎ。
妻はもうホテルに帰ろうと主張したが、近くまで来たのだからとビーチまで散歩することにする。
途中、ぎっしりと服飾品が詰め込まれた狭い店が立ち並ぶマーケットを通過する。
ひっきりなしに声を掛けられているうちに、一つ一つの声に特段の注意を払わなくなる。
少し奥まった場所にある店の前に座っている人々には、客の関心を引こうとする様子が見られない。
マーケットを抜けるとすぐにビーチがある。
やや荒めの砂。
波が高く、マリンスポーツに興じる人々の影が沖に見える。
座り込んでタバコをふかしているうちに、茣蓙貸しや指輪売り、アイス売り、飲み物売り、ボード貸し、プリントタトゥー屋が次々とやってくる。
うんざりしてすぐにビーチを後にする。
バイクの溢れかえる街を、「割れ門」やバリ・ヒンドゥーの神々の像、あきれるほど精巧な細工の施された石造りの様々なものを観賞しながら歩く。
早くも小腹が空いてきたので、レストランに寄り道。
注文を済ませると、ウェイターがバリ島内のツアーを色々と教えてくれる。
二人でナシゴレンと汁そば(水気の多い野菜炒めを茹でた麺にかけた感じ)とガドガド(ピーナッツソースの掛かったサラダ)を食べて、12、3万ルピア。
量の多さにギブアップした妻のナシゴレンまで残さず食べた後で、結婚式場の豪華ディナーのことを思い出す。
ホテルに帰り着くと、妻は早速化粧他の身支度を始める。
「時間掛かると思うから、プールで少し泳いできたら?」の一言で、コンタクトを外し水着に穿き替え、タバコとハンドタオルとサングラスを持ってプールサイドに向かう。
プールサイドにはヨーロッパ人の夫婦と日本人女性の二人組がいる。
日傘のかかった木製のテーブルと椅子に居場所を確保し、まずは一服。
その後、場違いなクロールで狭いプールを三往復くらいしてからまた一服。
ここでちょっとリゾート・カクテルでも……と思うのだけれど、生憎とプールサイドのバーに人はいない。
暇つぶしに甲羅干しをしたり、よく見えない目でサングラス越しに女の子たちを眺めたり。
最後にまたザブザブと泳いで、部屋に戻る。
シャワーを浴びて、さっき買った服に着替え、準備を終えた頃に妻の支度も調う。
ホテル入り口で式場からの迎えのワゴンに乗り込む。
新郎の親族が宿泊しているヌサドゥアのホテル経由で、式場のあるウルワトゥに向かう予定になっている。
ヌサドゥア近辺からは道幅が広くなり、街路樹も整備されていて街並みに高級感が漂う。
あちこちの石像まで巨大になっている。
ホテルは宮殿のような豪奢な造りで、圧倒的な迫力。
新郎親戚一同はまだホテル前に出てきていないようで、ちょっと一服でもするかとワゴンの外に出る。
その時ふと、出発前に巻いてきたサロンの柄が天地逆さまになっているのに気付く。
式場に着替えるところはあるか気になり、サロンを指差しながらバリ人のガイドの女性に
「あの、逆さまに着てきちゃったみたいなんですけど、」
と尋ねかけると、
「ええ、でもよくお似合いですよ。」
とニッコリ微笑まれてデレデレしているうちに質問のタイミングを逃す。
結局タバコを吸う暇もなく親戚一同はホテルから出てきて、再度ワゴンに乗り込む。
ホテル近辺の美しい街を抜け、まばらな建物と溢れるオートバイの郊外をワゴンは走る。
事故が多そうだな、と思っていると、隣を走っている軽トラックの荷台に、事故りたてホヤホヤの青年とひしゃげたバイクが載っている。
頭部と肩口から流血するバリ人青年は案外けろりとした様子で、それでも見ていて気持ちのいいものではない。(当たり前か)
目を逸らすのだが、後ろから新郎兄の実況中継が聞こえてくる。
「うわー血だらけだー、いったそー、うわー、あっあっ、傷口指でさわっちゃってるよー、あちゃー、骨出ちゃってんじゃないのー。」
聞いているだけで寒気が体中を駆け回る。
ヌサドゥアのホテルから15分ほどで「ティルタ・ウルワトゥ」という式場に到着。
幾何学的なデザインと自然の素材が融合した、激しく洗練された空間が構築されている。
到着するや否や、妻と二人でバシバシ写真を撮る。
まるで私たちもここで式を挙げたようなフリをして、後世に誤解をばら撒こうという魂胆である。
とにかく式場全体がフォトジェニックで、挙式するカップルではなく、そのカップルを撮影した「絵」のための空間を追求した気配がある。
インドネシア風なのは、目元と唇を強調したメイクに煌びやかな衣装をまといまぶしい宝冠を戴いた女性二人と、後は植生くらいのものだろうか。
建築やオブジェは極めて無機的、人工的だが、それは単体で見たときの効果である。
見渡す限りの海という借景、あるいはバリの陽射しと混在するとき、これらは原石に在って輝きを隠せぬ結晶のような印象を与える。
見事な式場だ。
待合室で親族の方々と挨拶を交わし、ウェルカムドリンクで喉を潤し、野外のバーカウンターそばで写真を撮ったりタバコをふかしたりしているうちに時間が過ぎる。
そろそろか、という頃になって、室外に賑やかな声が聞こえ始める。
待合室を出てみると、スタッフを引き連れた新郎新婦が、ゆっくりと階段を降りてくる。
式場に向かうためではなく、その姿を撮影するためである。
収録された映像は加工編集され、DVDになって新郎新婦の下に届けられるのだという。(式典の間も撮影は終始優先されていた。)
式典の間中感じていた微かな、けれど拭い去りがたい違和感は、おそらくそのように「残すべきもの」を意識しすぎることで「いま在ること」が置き去りにされているような感覚にあったのだろう。
永遠がアウラを踏みつけにしていた。
それでもなお、結婚式は素晴らしいものだった。
凛々しい新郎、美しい新婦はもとより、結婚式のコーラスには過剰な品質の歌声(あれはまさに天上から降り注ぐ恩寵だった!)、南国の香り高い花々、美麗な建物、その窓から覗く抜けるような青空と紺碧の海。
式典は開始され、新郎新婦入場の時点で、隣に座っている妻と、その前列に座っている新婦の友人は号泣開始。
新婦はなんだか色々とドラマティックな人生(主にバイオレンス系)を歩んでこられた人なので、ずっと見守っていた彼女たちに押し寄せる感慨もひとしおだったのだろう。
誓いの言葉や指輪の交換、キスといった一通りを済ませると、列席者が二人一組で新郎新婦に声を掛ける。
近寄って見た新郎は、心労の痕跡を色濃く残していたのであった(だじゃれ)。
その後は屋外に出て、集合写真の撮影やケーキカットが続く。
単なる空きスペースと見えたところに、ケーキを置き、二人が入刀する様を写真に収めるや、背景から光線の具合(つまり撮影の時間帯)まで完璧に計算しつくされていたことを知る。
私と妻が式を挙げていないことは皆さんご存知で、色々なところで「ここで撮っときなよ」と声が掛かる。
ありがたいことだ。
ややあって、期待の豪華ディナー開始。
新婦本人が一番の誘い文句にしていたのがこのディナーで、上がり過ぎていたはずの期待値を更に上回る驚愕の美味。
シャンパン、白ワイン、赤ワインを飲みながら、妻と二人で「本気美食モード」に入って堪能する。(つまりはあれこれうるさいことを言うのだ。)
妻は食事中に、新婦のお母様からご祝儀を頂いていた。
そうだよね、彼女のおうちにもよくお世話になってた仲だもんねえ、と納得するばかりで、それが自分にも宛てられたものだったのに気付いたのは数時間後だった。
最後に新郎の堂々たる謝辞でしめて、上機嫌のまま散会。
ホテルに戻ってから、クタの街をまた少し歩く。
マッサージを受けてみようということになり、バリニーズマッサージ一時間5万5千のところを二人で10万にしてもらい、店に入る。
私はこれが人生初マッサージである。
紙パンツ一枚になって体中を揉み解されたりするとよからぬ事態が発生するのではと危惧したが、あらわれたのは生憎、ヘルマンと名乗るバリ人男性であった。
最初はやや痛みも感じていたはずなのだが、クリームを塗りたくられてわしゃわしゃされているうちに、完全に抑制が外れる。
「あああああああああああ」
「おおおおおおおおおおお」
「ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
あまりにも満足したため、結局値引きしてもらった5千をチップに渡す。
ふらふらしながら帰宅。
またビールを一本空けてから眠りに就く。