内田樹/日本辺境論

読者の皆様に訊いてみたいことがある。
あなたは、自分自身によって意識の俎上に載せられることのなかった、この数日、数週、数ヶ月、数年間のおのれの振る舞いのほとんどを合理的に解説される、という驚異的な体験をしたことがあるだろうか。
私にはある。
私がここ数日『日本辺境論』を読みながら味わっていたのは、まさにそのような種類の体験だったのである。
先週の金曜日に購入して日曜日に読了。
ことの筋目から言っても本の内容から言っても、私はその日のうちにこの本に関しての言葉を書き付けておくべきだったのだが、私は読了した瞬間に襲ってきた「もう一度読みたい」という欲望に抗うことができなかった。
二度精読してさらに二度速読。
結局すでに四回も読んでしまった。
そうさせるだけの魔力がこの本にはある。


そう、「魔力」なのである。
この本の第一章を飾る「日本人は辺境人である」において、内田樹は日本人が「とても得意なこと」と「ひどく苦手なこと」をきわめて明瞭に提示してみせる。
ところが、私たちはその日本人が「ひどく苦手な」はずのことを、まさにその日本人像を提示して見せたはずの内田樹が見事に実践しているのを目の当たりにするのである。
「日本人」であり「辺境人」であり、しかもそのことに対して「徹底的に辺境人でいこうじゃないか」と提案しているはずの内田樹が、まさにその日本人が日本人的であるがゆえにできなかったはずの「私が日本人である。日本人を知りたければ私を見ろ。」(106頁)という誓言を為している。
『日本辺境論』の第一章によって提示される「辺境人」モデルを否定できる日本人読者はほとんどいないだろう。
誠実な読者であればあるほど、日本人であり辺境人であるおのれの姿をそのモデルの中に感知せざるをえない。
そして、そのモデルを提示する内田樹自身が「日本人を知りたければ私を見ろ。」と宣言している。(と私には読めた。)
私たちはこの恐るべき読書体験によって、内田樹に「接続」される。
この読後感にもっともよく合致する単語を私の乏しい語彙から探すなら、「畏怖」こそが相応しい。


もう一つ、本書で扱われる野心的なテーマを挙げておこう。
「でも、吉本隆明でも江藤淳でも、彼らが考究したのは、つねに日本人のことです。その独特な国民性格を解明するためですし、つねに念頭を占めていたのは「私たちは前近代のエートス(端的には武士道)と欧米文明をどう接合できるのか」という主題でした。」(104−105頁)
内田樹は第三章「『機』の思想」において果たしているのは、まさにこの吉本隆明江藤淳が考究してきたという「武士道と欧米文明との接合」なのである。
私たちはそこで「主体」や「時間」という極めて西洋哲学的なフレームの中で新たな光を当てられる「武士道」に瞠目する。
「武士道といふは死ぬ事と見附けたり。毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。」(山本常朝『葉隠』)
武士道において私たちの何が「死に」そして「生まれる」のか。
ご興味がおありの方には、是非手にとっていただきたい本なのである。


繰り返し読んでいるうちに、私は一度だけ参加した内田先生の講演会の様子を思い出した。
舞台に入退場するときの先生の「礼」がとても印象的だったのを覚えている。
「試合みたい」と私は感じていたのである。
『日本辺境論』を読んで私が知ったのは、先生が「本当に試合をなさっていた」ことである。
別に養老先生とバトルをされていたのではない。
もののふ」の有りようを体現していたのだ。
内田先生の2006年3月20日のブログから抜粋する。
「ある名詞を口にすると、それを修飾することのできる形容詞のリストが瞬間的に頭に並び、ある副詞を口にすると、それをぴたりと受け止める動詞が続く・・・というプロセスが無意識的に高速で展開するという言語の「自律」のことである。
母語運用能力というのは、平たく言えば、ひとつの語を(場合によってはひとつの音韻を)口にするたびに、それに続くことのできる語の膨大なリストが出現し、その中の最適の一つを選んだ瞬間に、それに続くべき語の膨大なリストが出現する・・・というプロセスにおける「リストの長さ」と「分岐点の細かさ」のことである。」
内田先生は私の目の前で「身体を割り」、「常住死身に」ある己の姿を見せてくださった。
『日本辺境論』をお読みになった方ならば、きっと私がこのように解釈した理路もご理解いただけるものと思う。


お師匠様はまことに偉大である。
不肖の弟子は完全に退路を塞がれてお仕事に勤しむほかに術はないのであるが、ハイデガーフッサールブランショ旧約聖書もろくろく読まずにレヴィナスを語るような真似をして雷撃に打たれはしまいか、それだけが心配である。
と言いつつも、庄司薫を読む手はやっぱり止められないのであった。(病根は深い。)