無名草子十ニ とりかへばや

十二 とりかへばや


 又、「『とりかへばや』こそは〔言葉〕續きもわろく、物恐ろしくおびたゞしきけしたるもののさま、なかなかいとめづらしくこそ思ひよりためれ、思はずにあはれなる事どもぞあんめる。歌こそよけれ。四の君こそいみじけれ。あらまほしくよき人にて侍り。また尚侍の男になりて後の人柄こそよけれ。又おくになりて、この人々の子どもなどいと多く、わか上達部・殿上人、内の御物忌に籠りて、殿上人にあまた人集ひて、物語の沙汰などしたるこそ、雨夜の品定めなど思ひ出でられ〔て〕、いとめづらしくをかしといひつべきに、まねび損じていとかたはらいたしともいひつべし。女中納言こそいといみじげにて、髻(もとゞり)ゆる〔が〕して子生みたるなどよ。又月ごとの病いときたなし。四の君の母中將の法師になりたるいとあはれなり。雪の朝に簑著たるなどよ。女中納言の死に入り、蘇へるこそ夥(おびたゞ)しく恐ろしけれ。鏡もてきて、萬(よろづ)のこと暗からず見えたる程、まことしからぬ事どもの、いと恐ろしきまでこそ侍れ。」などいへば、


<現代語訳>


 他にも、「『とりかへばや』は言葉遣いも良いとは言えず、薄気味悪くも変装したものたちの様子を描いているのですが、それがかえってとても新鮮で心を引かれるようで、意外に趣深くもあるようです。歌は洗練されています。四の君は並外れた女性です。こんな方がいてほしいと思うような、優れた人です。それに尚侍が男になってからの人柄がご立派なのです。また、物語の半ばに入ると、この人々の子どもなどが多くいて、若い上達部(かんだちめ・三位以上の位を持つ人々の総称)・殿上人(天皇の起居する清涼殿に昇ることを許された人々)が天皇の御物忌みのために籠って、殿上に多くの人が集い、物語を話題にあれこれと話をするところなどは、『源氏』の雨夜の品定めが思い出されて、とても風流な愛すべき場面と言うこともできましょうが、元の文章を言い間違えていてひどくみっともなくもあります。女中納言は本当にひどい有様で、結い上げた髪をゆすぶりながら出産する場面など、どうにも言いようがありません。また月の障りも見苦しいものです。四の君の母であった中将の上が出家してしまったのはとても哀れの深いことでした。雪の朝に簑を着て出かけるなんて……。女中納言が一旦死んで、蘇るあたりはもの凄く恐ろしい場面です。鏡を持ってきて、あらゆる物がはっきりと見えたなどと、現実味のないことが、ひどく恐ろしいほどございました。」などと言うと、