無名草子十一 玉藻

十一 玉藻


 又、「『玉藻』は如何に。」といふなれば、「さしてあはれなる事もいみじき事もなけれども、『親はありくとさいなめ』と、うち始めたる程、何となくいみじげにて、おくのたかき。物語にとりては、蓬の宮こそいとあはれなる人、後に尚侍(ないしのかみ)になりて、もとの大殿(おとゞ)にいだしたてられたる、ひろめきいでたる程こそいとにくけれ。又むねとめでたきものにしたる人の、初めの身の有樣もとたちこそねぢけばみ、うたてけれ。なにの數なるまじきみこしはのちのしなどだにいとくちをしき。物語にとりて、主(あるじ)としたる身の有樣はいとうたてありかし。又『巖に生ふるまつ人もあらじ。』といへる女こそ、さるかたにてかゝらぬ。」などいへば、


<現代語訳>


 また、「『玉藻』はいかがでしょう。」と言うので、「それほど情趣の深いところも素晴らしいところもありませんが、『親は出歩く子を叱るもので』と書き始めるあたりにはどことなく並々ならぬものがあり、巻の山場も広く知られています。物語に関しては、蓬の宮はとても心引かれる人なのですが、後に尚侍になって、もとの大殿からの命を受けて、あちこち動き回るところはひどく見苦しく思われます。また、第一に立派な人物として描かれることになる人の、初めの境遇や元々の性質がひねくれていて、いとわしいのです。どうということのない子が後々学徳の備わった立派な人物になるなど、まったく合点がゆきません。物語として、主人公の境遇がひどくおかしいのです。また、『待っていてくださる方はいらっしゃらないでしょう。』と言う女性も、そのような状況でこうなるはずがありません。」などと言うと、