司法の死んだ日

昨日は10月10日だった。
私にとっては「体育の日」という呼称が最も馴染み深いのだが、2000年施行の「ハッピーマンデー制度」以来、単なる三連休の中日になって久しい。
1964年の東京オリンピックの開会式がこの日であったことが、そもそも祝日として制定された由来なのだという。
他にも1と0を眉毛と目に見立てて「目の日」になったりと、なかなか忙しい日ではある。
これだけ曰くのある日にさらに因縁を付け加えようとするのもナンだが、私にとってはまた別の理由で印象深い日付なのだ。
2008年10月10日、三浦和義がロサンゼルス市警察の留置場で自殺した。
これが単なる犯罪容疑者の自殺事件でなかったことは、多少なりとも法律をかじったことのある人間ならば理解していたはずである。
三浦和義の名前に聞き覚えのない方のために、簡単に説明しておこう。
1981年、アメリカリフォルニア州ロサンゼルスで三浦和義の妻、一美が銃撃される事件が起こった。
三浦自身も足を撃たれ、事件発生当初は悲劇の主人公として扱われていた。
妻は翌年に死亡する。
しかしその後マスコミの取材により、銃撃事件そのものが三浦が保険金目当てで仕組んだ芝居なのではないかという疑惑が持ち上がる。
これがいわゆる「ロス疑惑」である。
三浦はその後、特異なキャラクターが注目され、「保険金殺人」というセンセーショナルな事件の渦中にある人物としても異例の長きに渡って度々報道番組で取り上げられていた。
事件発生当時3歳だった私が「三浦和義」「ロス疑惑」、そしてアメリカ側で捜査に当たっていた「ジミー佐古田」などの名前を聞き知っていたのは、そのためである。
三浦和義の事件は日本の裁判所で争われ、銃撃事件に関しては証拠不十分のため無罪判決が出された。
しかし銃撃事件の数年前に起こしていた「殴打事件」のために懲役6年の実刑判決を受ける。
この最高裁判決が出されたのが2003年のことである。
これですべては解決したかに見えた。
2008年2月、三浦は滞在先のサイパンで、再びアメリカ当局に拘束される。
1981年の同一事件における、「殺人罪および共謀罪」がその拘束理由であった。
ここでアメリカ当局は、法の大原則を犯している。
一事不再理」というのがその原則の名である。
ある事件に対して判決が出された場合、その事件を再び法廷で争うことはできない。
なぜなら、もしある事件を無限回訴追する権利を警察および検察に許してしまえば、両者はその立証責任を果たすことなく、容疑者を事実上の無期懲役刑に処することが可能となるからである。
この「一事不再理」の原則は、メディアによってもまた三浦側の弁護団からも主張された。
それに対するアメリカ当局の返答は以下の通りである。
一つは、「殺人罪は確かに日本の司法制度で裁かれたかもしれないが、我々の起訴の主眼は『共謀罪』にある」。
また一つは、「カリフォルニア州法は国内事件の容疑者が国外の裁判所で裁かれたケースについて、再審理する権利を認めている」。
まずは前者の「共謀罪」に関しての主張から検討しよう。
共謀罪とは、犯罪計画の共同謀議に関する罪状である。
三浦が銃撃事件の被害者を装うためには、共犯者が必要だった。
その共犯者との計画段階での謀議が、共謀罪の対象となったのである。
だが、これは明らかに奇妙な論理である。
ある犯罪が実行されるに当たって、それが衝動的なものでない限り、計画段階と実行段階があるのは当然のことである。
にも関わらず同一事件を計画と実行に分け、それぞれの段階に対して別々に罪状を当てはめて「それらは一事ではない」と強弁することに、誰が合理性を認めると言うのだろうか。
少なくとも私はその論理を認めることができない。
後者は、国外の裁判を「審理」にカウントしない、という正に法外な規定である。
だが、この規定が設けられた背景には斟酌の余地がある。
カリフォルニアでは、州内で殺人事件を起こした犯人がメキシコに逃亡し、カリフォルニア州内では考えられないほど軽微な懲役刑を受けて、再びアメリカに戻ってくるという事態が幾度か繰り返されていた。
そのために、カリフォルニア州は州法を改定し、国外での審理に州内の裁判との等価性を認めない、との決断を下すに至ったのである。
ただし、この改定がなされたのは2004年であった。
三浦和義に日本の最高裁判決が出されたのは2003年だ。
その三浦和義に対して、カリフォルニア当局は「その判決は国外の裁判所によるものであるから、カリフォルニア州の『一事不再理』原則には抵触しない」と宣告したのである。
ここで、カリフォルニア当局は再び法の大原則を犯している。
先ほどのものとは別物である。
それは「法の不遡及」、もしくは「刑罰不遡及」と呼ばれる原則だ。
法はそれが制定された時点よりも過去の事件を、その法によって裁くことはできない。
それは「立法権」、より露骨な言葉遣いをするならば、「懲罰権」の肥大と暴走を防ぐための原則である。
だが、カリフォルニア市警察の捜査官と検察は、この原則を無視し、2004年に改定された州法規定を盾にして、2003年に最高裁判決が出された三浦の事件を蒸し返したのである。
この異常事態に対して、日本政府および最高裁判所は公式な抗議声明を出すことがなかった。
国民の生命と財産を守るはずの国家システムが機能しなかったのである。
そして2008年、三浦和義は留置場で自殺した。
そのことに対して、日本政府が何かしらのリアクションを取ったという話を私は聞いたことがない。
その時期すでに煽情報道真っ盛りであったはずのメディアすら、事実を淡々と報道するばかりであった。
私には理解できないことが多すぎた。
一事不再理」、「法の不遡及」といった法の大原則が犯された、そのどちらか一方だけでも、それこそ「国際問題」になっておかしくないはずの論件である。
だが、私がメディアの論調から感じ続けていたのは、
「だって結局三浦はクロだったんでしょ?でも検察が無能だったから立証できなかったんでしょ?」
という三浦和義の有罪に対しての確信と、検察に対しての不信だったのである。
私はその時期、「なんだ、日本は法治国家じゃなかったんだ」という脱力感に満たされていた。
最高裁判所の判決よりも、メディアの先入観と不公正が優先されて蔓延する国家。
その国家は、国民の生命と名誉を守ろうとするポーズすら見せなかった。
それが日本という国の実情であることを、否定不可能な形で突きつけられたのである。
三浦和義は獄中から各種メディアに対して名誉毀損の訴えを行うなど、視聴者受けは良くとも、メディア受けは頗る悪い人物だった。
そのような人物をメディアが冷淡な報道をもって遇することは、人情によって理解することはできても、報道機関が保持すべき「公正」の観点からは到底肯定することができない。
にも関わらず、その点が論難されることはなかった。
それが私には不思議でならなかったのである。


蛇足ながら、もう一点この事件に触発されて考えたことがあるので記しておきたい。
ロス疑惑関係の有名人の一人に、ロサンゼルス当局のジミー佐古田がいる。
ジミー佐古田日系人だった。
第二次大戦中の「パイナップルアーミー」をご存知の方なら、もしかするとこの事件の背景にこんな物語を読み取ったかもしれない。
自分自身がアメリカ人であることに疑問を抱かぬものよりも、アメリカ人であることを証明するために必死にならねばならぬものが、「幻想のアメリカ」を強固にする。
だが私は、一捜査官の「情熱」や「アイデンティティ」の問題に帰することは、この問題を矮小化することに他ならないのではないか、という気がしている。
三浦和義にまつわる事件を調べているうちに、私はふと在日米軍との間に結ばれた「日米地位協定」を思い起こした。
そのとき、事件はガラリとその相貌を変えてみせた。
アメリカ国内で発生した日本人の犯罪を執拗に追及することと、日本国内で発生したアメリカ人の犯罪を「治外法権」的条約の下に軽罰化すること。
それらの事態がもしもとある事情の表裏であったと仮定すると、私達は「普天間基地問題」と同じ現状認識に到達せざるを得ないのではないだろうか。