「玉藻」7

「いらっしゃい。よーく来たわねえ。」
 おじいちゃんが玄関から「帰ったぞ」と声を掛けると、おばあちゃんがパタパタと台所のほうから出てきた。おばあちゃんはいつもエプロンで手を拭きながら現れる。
「まずはご先祖様にごあいさつしてきなさい。そのあとスイカ食べましょ、切って冷やしたのがあるから。あ、京子たちももう来てるわよ。」
 おばあちゃんはぼくのバッグをむんずと引っつかむと、またパタパタと奥に消えていった。ぼくの着替えを客用のタンスにしまうのだ。こうなると、バッグのなかに滅多なものは入れておけない。前にたまたまカナの本をぼくのバッグに入れたままおばあちゃんにバッグを渡したことがある。おばあちゃんはタンスのある部屋から飛び出してきて、「まああんた、こーんな本読んでるの」と言いながらその本のピンク色の表紙とぼくの顔を交互に見比べていた。ぼくがいくら「それカナのだよ」と言ってもなかなか聞いてくれなかった。おばあちゃんはいつでも問答無用なのだ。でも今日は心配いらない。ぼくのバッグに入ってるのはオーウェルの『動物農場』だ。なんといっても古典だ。自分が名前を聞いたことのある作家や作品なら、おばあちゃんも文句は言わない。
 ぼくは靴を脱いでまず、お線香をあげるために仏壇のある部屋に行った。父さん母さんにカナと公太とぼくの分で計五本のお線香を立てる。会ったことのないひいおじいちゃんとひいおばあちゃんや、その先にいるご先祖様たち。まだどんな気持ちを捧げればいいのかはわからないけど、ひとまず形だけかしわ手を打って拝む。五人分。
 おばあちゃんのスイカコールはまだみたいだから、ぼくはとりあえず伯母さん一家の面々にあいさつするべく、仏間を出た。京子伯母さんの家は三人姉妹だ。みんなぼくより年上で、実はあんまり得意じゃない。でも、あんまり得意じゃないタイプのひととうまくやる術を学ぶのに、親戚づきあいは絶好の機会だ。そうぼくは思うようにしている。スイカの催促だと思われるのはちょっとヤだったけど、まずは京子伯母さんがいそうな台所に向かった。いた。
「京子伯母さん、こんにちは。ご無沙汰してます。」
「あら翔ちゃんこんにちは。今回は一人で来たんですって?しかも沖縄を蹴ってこっちを選ぶなんてどうかしてるわよお。」
 おほほと笑ってるあなたのとなりでおばあちゃんが苦笑いしてるのに気が付かないのかっ、とこのぐらいのことで怒っていたら親戚づきあいはできない。ぼくはえへへと笑って自分を抑え、かろうじて言葉を継いだ。
「カヨお姉ちゃんたちにもあいさつしたいんですけど、どこにいるかご存知ですか?」
 カヨお姉ちゃん、とぼくが口にした途端、伯母さんの表情が曇った。
「ああ、佳代は今年は来られなかったのよ。ほらあの子いま高三でしょう?夏休み中は予備校に通ってて、受験勉強しなくちゃいけないから、ってうちで留守番してるの。まあ、雅彦さんがいるから一人きりってことにはならないんだけどねえ。」
 ぼくは内心のガッツポーズを一ミリも表に出さないように苦心しつつ、
「そうなんですか、残念だなあ。久しぶりに会いたかったのに。」
とつぶやいてうつむくという、大胆な演技を披露した。
「あ、でもそのかわりと言っちゃなんだけど、今年は真子が来てるの。あの子大学に入ってからちーっともうちに寄り付かなくて、ここにも全然顔出してなかったでしょ。でも珍しいことに今年は自分から一緒に行くって言い出して……今おじいちゃんの書斎にいるんじゃないかしら。あ、詩穂はそこよ。」
 ぼくは内心の落胆を一ミリも表に出さずにいることに若干失敗しつつ、台所の続きにある居間で寝転がってテレビを観ているシホに声を掛けた。
「シホねえ、こんちは。」
シホはこっちを向いて「よっ」と言いながら顎を乗せていた右手をピッと伸ばすと、またすぐにテレビを観始めた。
「はいはいはいちょっと通るわよ。スイカ食べましょスイカイカ。」
 おばあちゃんはスイカのどっさり乗った大皿を両手にぼくを押しのけて居間に入っていった。そしてスイカを食卓に置くやいなや、くるりと向き直ると、周囲を圧倒するような大声で叫んだ。
「スイカよー!」
 衝撃でほっぺたが揺れるほどの声だ。おばあちゃんの小さな身体から、どうしてこんな声が出るのか見当もつかない。何はともあれ、ぼくもスイカを食べることにして居間に入った。
 スイカをムシャムシャ食べていると、おじいちゃんが二階の書斎から降りてきた。おばあちゃんがマコ姉のことを尋ねると、おじいちゃんは「いらないそうだ」とだけ答えて、スッと胡坐をかいてパラパラと塩を振り、スイカを食べ始めた。
 ぼくはふた切れ大きいヤツを食べて、すっかり満たされてしまった。部屋の隅に行って畳にゴロリと転がると、どこで溜まったのやら、旅の疲れらしきものがドッと眠気になって襲ってきた。テレビの音とみんなの会話と、セミの鳴き声と風の音と木々の葉擦れと、時々誰かが立ち歩く足音と震動といぐさの香りと……。