ヴォイスは彼方に

「コーヒーを淹れる前に」


 薬缶のフタを取って蛇口をひねり、水を注ぐ。カップとサーバー、ドリッパーを温め、二杯分のコーヒーを淹れるだけの水の重みは左腕が覚えている。もう十分だろう。蛇口を閉じ、薬缶のフタを戻してガス台の上に置く。つまみを押しながら左側にひねると、回しきったところでチチチと針とバーナーの間に火花が散って、吹き出したガスに引火する。ボッ。薬缶の下に青白い花が咲く。

 お湯が沸くまでの間に準備を整える。ガラス製のサーバーと、陶器のドリッパー。ペーパーフィルターを一枚取り出して、張り合わされた部分を底面と側面から山折り、谷折りする。フィルターの両側を軽く押すと、口が少し開く。隙間目掛けて息を吹く。パッと口が楕円を描く。そこに右手の指を人差し指から薬指まで、底面に差し入れる。外側から左手の親指と人差し指でクッと底面の端を折る。くるりと紙を回し、反対側も折る。これでフィルターをドリッパーに設置するとき、面と面の隙間が狭くなる。できたフィルターを伏せ、ミルを手元に寄せてコンセントを差し込む。フタを外す。豆の入った袋を取り、ミルに豆を入れる。金属製のミルの受け口が甲高い音を立てる。いつもの分量(たぶん20gくらいだ)を入れ終え、袋の口を閉じる。フタを閉める。豆を挽くのはコーヒーを淹れる直前、お湯が沸いてからでいい。沸くまでにはまだ少し時間がある。

 右腕を伸ばして換気扇のスイッチを入れる。通電の震えがモーターの運動音に、やがてファンが風を切る音に変わる。そばに置いてあるタバコの箱を取る。一本取り出して茶色いフィルター部分を下に、二三度キッチンカウンターに打ち付ける。口にくわえ、ガス台に屈みこんでタバコの先を火に入れる。当たった先から赤い火が上がる。息を吸い込むと、不完全燃焼手前だった一枚一枚のよじられたタバコの葉が、一斉に赤く輝く。

 僕は換気扇の向こうの空洞に煙を吐き出しながら、お湯が沸くのを待つ。
(794文字)



 こ、これで割れてるんだろうか……?


 なにはともあれ、ずいぶん久しぶりに書いた情景描写ではありました。


 しかし、二度課題文を書いて、二度とも書こうと思ったそもそもの対象にたどり着かないというのはどういうことなんだ。今回はお湯を注いだときのコーヒー豆の踊りを書こうと思ってたのに、準備で紙幅が尽きた。前回は揺れる電車の中で他の乗客との距離を最大化するための気遣いを書こうと思ったら、電車に乗り込めなかった。


 うーん……。


 前置きが長い、とか、回りくどい、とか、顔がくどい、とかそーゆーこと?