『お早よう』作戦の成功と失敗

 居候生活というのも、案外気楽なものである。

 何しろこちらは主婦ではないのだから、朝晩二食を準備して掃除洗濯怠りなく、夜は性労働に従事して……などという義務を課されることもない。近年のフェミニズムの潮流というのは実に有難いもので、主婦業を年棒換算すると一千万円を越える、などという試算を出してくれる。こちらが気まぐれに作る食事や提供する飲み物も感謝されようというものだ。大半の会社員が妻に負債を負うような試算に適切な根拠などあるはずもないが、ま、自分には追い風である。朝は友人を送り出してのんびり、昼は喫茶店にでも出かけてまったり、夜は帰ってきた友人とちょっと一杯。好きなだけ本も読めるしインターネットで勉強することもできる。このような生活をあまり広言すると「死ね」「苦しめ」「のたうちまわれ」「雷に打たるべし」「あの男を十字架に掛けよ!」などの罵詈雑言が飛んでくるので注意が必要だが、広大無辺の度量を備えた我が偉大なる友人連は揃って生暖かい目で見守ってくれている。無論、罵詈雑言は時々で済む。寛大な友人を持って私は幸福だ。


 しかし、そんな私のささやかな平穏を乱す存在がある。居候先のマンション上階に住むおばちゃんと、家主兼管理人のおっちゃんである。


 狭い空間に犇きあって暮らしながら誰もが見て見ぬ振りする東京砂漠。互助の精神どころか、隣同士で挨拶すら交わさぬ冷たい都会。唸りながら廃熱を放出する室外機のように、不快ばかり交換する狂ったコンクリートジャングル。そんな東京にあって、彼らは再び健全な社会を取り戻そうと立ち上がった勇者である。公でも私でもなく、共。真にわれらを守るのは弛まぬ意志もて築かれた共同体である、とするアントニオ・ネグリ御大の主張に沿ったかは知らぬが、彼らは間違いなく地域共同体の再建を目指している。一住人であるおばちゃんが玄関を掃き、道路を掃き、ご近所の方々と井戸端会議に興じ、道行く保育園児に声を掛ける。おっちゃんは夕暮れ時ともなれば管理人室を出て帰宅する住人を「おかえり」と迎え、一人暮らしの孤独を慰撫する。なに、仕事の悩み?わはは、先達はあらまほしき事なりと言うではないか。人生の先輩に何でも相談しなさい、とまあそんな具合である。まことに結構なことだ。存分におやりになればよいと思う。


 ただ、私は闖入者である。できるだけ友人の負担とならぬよう、鳴りを潜めていたいと考えている。こちらへの訪問が間遠になった途端に、友人に対して好奇の視線を光らせてもらったりしては困るのである。万が一気を遣っている事を強くアッピールするような風で気を遣ってくれちゃったりすると、うぎゃぎゃぎゃぎゃと悶絶せねばならぬような羽目に陥るのである。そのような事態は避けたい。確かに、私も友人に甘え過ぎていると思うことはある。友人が当マンションの一室を借りた当初は週に一日二日だった訪問が、この頃は一週間を越えてしまうこともある。今滞在に限って言えば、ゆうに一月は経っていよう。彼らにしてみれば「同棲」と判断するに十分な状況かもしれない。だが、同棲と居候の間には千里の径庭がある。何より同棲では、友人が入居時に交わした契約に背く。私だってそのくらいの事は弁えている。共同生活を決意した暁にはまず家主氏のご意向を仰ぎ、許されるものであれば向こう三軒両隣に挨拶回りをするにやぶさかではない。しかし私の現状はそのような決意を許すものではないのだ。理解は期待しないが、多少の忖度を願うことすら許されないのだろうか。


 どうやら許されないようである。あ、そ、そんな風にカワタレ光線を出すのはやめてくれないか。失敬じゃないか君!いててててて、あーもうやたらに気を飛ばさないでくださいよお!ああん、く、苦しい、ううっ、持病の癪があ!……このままではいけない。元から狭い肩身が、すっかりなで肩になってしまいそうである。窮鼠たる私は一計を案じることにした。しかし雑菌の混入したこの頭では、絞っても膿しか出ない。やはり先賢の威徳を頼るに若くはなかろう。というわけで、故小津安二郎監督の名作居並ぶ中から『お早よう』を鑑賞・分析、しかるのちに抽出されたエッセンスをご近所対策にローカライズの上、戦略綱領として採択するものとした。



 まったく子供というのは手に負えない。私とどちらが手に負えないかと言えば、僅差でこちらの勝利に終わるほどである。と、こんな戯言も『お早よう』の感想として成立するかもしれないが、いまは作戦立案中の身、ふざけてばかりもいられない。討ちてし已まん、おっちゃんおばちゃん。いや、討っちゃいかん。私は常に平和を求めている。『お早よう』は平和へのヒントに溢れた映画である。ここには、親への反抗から無言の行を開始する幼い兄弟が登場する。それまで空気のようにあった挨拶が、突如消え失せる。それだけで歯車は一気に狂い出し、小コミュニティの秩序が崩壊していく。そして兄弟が無言の行を終え「おはよう」と元気に挨拶して学校に向かうとき、秩序は勃然と復興するのである。
 挨拶を大事にしましょう、と言われても小学校の教員の顔を思い出すのが関の山だ。だが、小津映画には「なぜ挨拶はあるのか?」という根源的な問いと答えがある。ややもすれば親や教師から強圧的に押し付けられるだけの、虚礼として捉えられがちな挨拶といふもの。小津はその機能を実験的に明らかにするのである。ここで実験的というのは、前衛的であることを意味しない。正しく科学実験的、という意味だ。例えば単一遺伝子の機能を検査するとき、実験者はまず、特定遺伝子を除去した胚を発生させる。そして「どんな不具合が起こるか」を見るのである。これをミニマリズムの一言で片付けてしまうのは如何にも勿体無い。


 では『お早よう』にどんな不具合が起こったか。挨拶という文化遺伝子を除去した兄弟に、近所のおばちゃん代表の杉村春子は「薄気味悪さ」を嗅ぎ取るのである。もちろん兄弟が挨拶しなくなった理由を視聴者である我々は知っている。知っているから、それが誤解であることがわかる。子供はただ我儘が通らずに依怙地になっているだけだし、親がそれを指図するような訳もない。だがその誤解が馬鹿なものだとは、決して思うことができない。最初の一瞬、杉村春子が感じるのは「怒り」である。挨拶を返さない、その一事が彼女の法に触れるからだ。しかし物言わずすれ違う機会を重ねるごとに、単純な怒りは変質してゆく。彼女は兄弟が生まれたときから知っていると思っている。いや、挨拶が消えるその時まで、知っていると思っていたはずである。学校での成績があまり芳しくない事も、仲のよい友達がどのくらいいるかも、テレビの前から齧りついて離れない事も、食べ物の好き嫌いも、月々の小遣いの額まで知っていたかもしれない。「で、それで?」彼女は気付いてしまうのである。平穏であるべき我が家のすぐ隣に住む、得体の知れない存在に。膨れ上がることをやめない未知に、彼女は恐怖を抱く。恐怖は警戒心を呼び、再び怒りに変わる。そしてあろうことか、相手にも自らの抱く憎悪を強要するに至るのである。


 挨拶は「名付け」と極めて近い効果を持っている。名付けるのは、名を持たせようとする対象が誰にも明らかなためではない。誰もその正体を知らないという事実を、覆い隠すためにこそ「名付け」は執り行われる。「呪」の根本も、おそらくはこんなところだろう。


 さあここまで来れば、戦略の大筋は決まったも同然である。おそらく世界にとって、兄弟の席は私に、杉村春子の席はおばちゃんに与えられるべきものだろう。間違っても北朝鮮や日本を当てはめてはいけない。まさかそのような含意が生まれてしまうとは夢にも思わず、気づけば声高に対アジア外交戦略を説こうとしていた己を抑制するのに梃子摺ってしまった。いざ始めればすぐさま尻すぼみになるのは目に見えているというのに、まったく始末に悪い。私が立案すべきは、居候先のご近所外交戦略である。眼目を外してはいけない。しかしあんな出っ歯のこれぞ小市民と言わんばかりのおばはんに……相手も間違えてはいけない。私の相手は杉村春子ではない、はずだ。状況を整理しよう。
 まず、主人公一家の役割を担うのは私と友人という事になろう。私は幼い兄弟の役を、友人はその父母の役回りを引き受ける。おっちゃんおばちゃんは隣家の夫婦である。管理人婦人も存在しているはずだか、当該事例に限っては出演依頼せぬものとする。『お早よう』の杉村春子の世界観を参照することで、彼らの世界観もまた我々の理解の範疇に入るはずである。私の世界観を彼らに伝えることも、不可能ではない。不可能ではないが、おそらくそのために拘束・監禁および睡眠時間を極力削らせた上での連続説教、とどめの薬物注射といった数々の脱法行為が要請される。リスクに比してゲインは圧倒的に少ない。ノブレス・オブリージュ。自らを高貴だと言い募るつもりはないが、こちらが相手を理解する事のほうが全体の作業負担を軽減するだろう。彼らは私を「薄気味の悪い存在」だと思っているはずである。平日の昼間にスーツ以外の身なりで出歩く、すべてのそう若くはない男の宿命というやつだ。センス次第では「ファッション関係のお仕事かしら?」「もしかして、デザイナー?」といった幸福な誤解も生まれようものだが、残念なことに平凡なものだ。昔買ったおサルの着ぐるみを引っ張り出して、「見ちゃいけない人」に零落するのも悲しい。しかも、彼らが持っていると想定される「恐怖」「憎悪」を増幅させるばかりである。そして、兄弟役であるところの私の罪は、父母役であるところの友人の連帯責任を発生させる危険がある。杉村春子が「母親の差し金で挨拶をやめた」と思ったようにである。世話になっている友人に、累を及ぼすわけにはいかない。


 ぐずぐずしているうちに、いくつか実害も出てきた。対策は急を要する。のんびりローカライズしている暇などはなさそうである。急遽『お早よう』におけるメガトン級解決策を実戦配備することに衆議は決した。つまり私一人の決断で、挨拶の励行に努めることと相成ったのである。私はマンションの廊下でおばちゃんに、ゴミ捨て場ではおっちゃんに、ごく自然にこちらから挨拶をすることに成功した。挨拶の反対給付もまた、通常通り執行された。偶然ではあったが、ばったり顔を合わせたその瞬間に挨拶できたことが功を奏した模様である。脊髄に訴えたのである。私はこうして、「挨拶を交わした」という既成事実の創出に成功した。これで彼らも、私を同じ人間であると──しかも同一言語圏に属する、どちらかと言えば近い部類の人間であると──認め、過剰な不気味さを感じなくて済むだろう。やがては敵対心も失われていくはずである。『お早よう』ほどの即効性はなくとも焦ることはない。なんとなれば、挨拶は文化人類学の教えるところの世界的な風習の一つであり、幾多の場面で惨劇の発生を未然に防いできた代表的ホワイトマジックだからである。もちろん、民族紛争地帯や渡世人の世界では、挨拶の仕方一つで生命の危機を招くケースも散見される。私が願うのはただ一つ、この居候先が、超法規的存在に占拠された世紀末空間でないことだけである。


 あ、いや、嘘つきました。ぜんぜん一個だけじゃないっす。かーやっちゃったなーおい。ごほんごほん。もとい、私が願うのは二つの事である。一つはこの居候先が、超法規的存在に占拠された世紀末空間では「ない」事である。そしてもう一つ、おっちゃんおばちゃんの持つ人間関係図の中に「顔を合わせれば挨拶するくらい」というヴァリエーションが存在していることである。度過ぎた我儘かとは思うが、挨拶はしても二言三言より後は勘弁していただきたい。無害で面白味のない私のような人間は、分相応に扱っていただければそれで十分である。


 おっちゃんとの再度の接近遭遇はすぐに果たされた。夕刻、食材を買いに出た私の視界に、スーツを着た初々しい青年と立ち話するおっちゃんの姿が飛び込んできたのである。その距離、25メートル。50メートルほどの私道の半ばに彼らは位置している。私は敢然とその道路に足を踏み入れ、付近を通過する軌道を設定した。至近ともなれば3メートル以内。この局面をうまく乗り切れば、今後の安定した関係構築に大きな一歩を記すであろう。20、15、いよいよ二人の姿は輪郭と詳細を顕わにしてゆく。おっちゃんが、私を見ている。おっちゃん、一体どうしたというのだ。あなたの目の前には大事な顧客であるところの若い血潮に燃える青年がいるではないか。わき見してていいのか。話に肯き助言を与えるのがあなたの喜びではなかったか。自意識過剰は自家薬籠中のものである。視線センサーの暴走は織り込み済みで、「見られている」という感覚の八割は錯覚であることも熟知している。だが、そこまでされては否定しようがない。おっちゃんが、もんのすごおおおおく見ている。私の想像上の視界の右半分を、おっちゃんの顔が覆わんばかりの勢いで見ている。10メートル、5メートル……ここだっ。くるりと顔を右に向けると、ばちんと視線が衝突する。一瞬ひるんだおっちゃんに、すかさず目礼を送る。数瞬の後、私が目を開けるとそこには、目を閉じ心持ち頭を下げたおっちゃんの姿があった。その姿は美的ですらあった。過剰な敵意を読み取っていたのは、こちらも同様だったようである。感じのいい人じゃないか。これでいい。私はすっかり気をよくして、その一夜を開放感と共に過ごすこととなった。後は、おばちゃんである。


 が、成功は続かなかった。禍福はあざなえる縄の如しである。翌日、おばちゃんは挨拶して通り過ぎようとする私を、無情にも呼び止めるのであった。


「こんにちはー(ここで私を認識)あらおにーさん!いえねえ、きょう大家さんともちょーどおにーさんのこと話してたのよお。大家さん言ってたわよ!」

 おばちゃんは腕組みしてタバコの煙を斜め上方に吐き出すおっちゃんの物まねまで披露してくれるのであった。

「『あのにーちゃん、挨拶するようになったじゃねーか』ってねー。でねでね、大家さんたらこんなことまで言うのよ!」

 もちろん低音を駆使した声まねも漏れなく付いてくる。

「『それがよぉ、よっく見ると結構かわいい顔してんだよなあ。』(ここで私の顔をちらりと見る)『ありゃあ、相当女泣かせてるぜ』」

 苦笑。ようやくこちらの喋る番になったようなので、丸刈り頭を撫でながら「髪の毛切って多少はまともな印象になりましたかね」などと言う。「いえまあ、こっちは泣かされるほうの専門で」なんて軽口にはまだ早かろう。返答が気に喰わなかったのか、似たような内容の話を繰り返される。今度は「お褒めの言葉と受け取っておきます」と交わす。

「ではご免ください」と立ち去ろうとするとまた引き止められる。しばらく話を聞いたような気がするのだが、不思議と内容は残っていない。扁桃体と海馬が勝手に記憶に残すべき情報を選別してしまったのだろう。はやく逃げ出したいと思っていたのも影響したかもしれない。おべんちゃらとはいえ、褒め言葉は忘れないあたりはちゃっかりしているのだが。言葉が素通りしてゆくとき、意識は遥かな空を飛翔している。狭い世界の小さな小さな私は、遠くからではよく見えない。あまり戻りたくもないものだから、ふうわりふうわりと漂ってどこかへ行ってしまいたくもなる。


 おばちゃんとの会話は三語で要約可能である。長くとも七語だ。

“(we are) here.”と

“(we are) watchin' you.”である。

 まったく困ったものだ。とはいうものの、私が他所でやる会話と大した違いはない。いや、人の噂話以外にも死者の話が多い分、こちらのほうが冗長で退屈かもしれないな。もうちょっと面白い話ができるようにならないと、読んでみてくださいと胸を張って原稿を渡すこともできやしない。頑張れ頑張れ、凡人にこの道は長いぞ。ともあれ今日も書きすぎた。このあたりで、一旦この文章は結んでおくことにしよう。


 私は、戦略における成功を戦術で台無しにしてしまうデクノボーの前線指揮官であった。まだまだ若輩者である。学び、考えなければいけない事柄は山積している。それは例えば「秩序の対概念は自由である」といったようなテーゼでありまた、「共同体の自浄能力とは畢竟、相互監視と排斥の成果である」といったようなテーゼである。あるいは、必要な言葉はすっかり読むか聞くかしていて、真の課題はそれを身体に落とし込むことだけ、になっている可能性もある。内田先生のブログあたりにその秘訣は隠れていそうな気がするのだが、まだうまく理解できていないようだ。読んで、読んで、それでもわからなければまた読んで、きっと身体も動かさなければいけない。本当にわかったとき、そこがスタート地点になるだろう。


 働け?


 うん、そういう事かも知れない。



※今回は雑文館主人、新屋健志氏の文体をお借りしました。ネタはチョイ借りくらい、かな?(リンク先は文字化けします。表示→エンコード→日本語、で修正してください。)