裸?……違います

 ある事に気づいて、気づいた瞬間だけは「アハん♪」と走り抜ける快感に全身が満たされるものの、次の瞬間には「うわー、ない。なんでオレこんな簡単なことに気づかずに生きてこられたんだ……」と世界が暗転することがある。毎日のようにある。朝日のようにある。日経のようにはない。しつこい。日々是絶望である。


 悲しい日々ばかりを送っているのもアレである。ここは一つネタとして書き連ね、皆様に存分に失笑していただき、つかの間の優越感にでも浸っていただければと思う。


●井戸掘り

 初期村上春樹文学と言えば、デタッチメントと井戸掘りである。他者とのコミュニケーションの断絶に懊悩し、やがて解き放たれ、関わりを持たずに生きていくことを自らの生き方として選択するようになる。それがデタッチメント(関わりのなさ)である。しかし、問題は井戸掘りにあった。私はそれを、「なんとなく人の少ないところでコツコツと密かに、しかし確実に進めていく職人仕事」のようなものとして捉えていたのである。「仕事が教えてもらえると思うな、盗め。」コミュニケーションへの絶望がもたらした、身体重視の生き様だと勘違いしていたのである。


 齢三十にして(弱い三十にして、って的確な変換をするIMEが憎い)、私はようやく気づいたのであった。井戸掘りとはイド掘りである。フロイト先生の提唱したところの意識モデル、自我(エゴ)、無意識(イド)、超自我(スーパーエゴ)に存するところのイドを掘ったのである。そうして掘り当てた水脈からは他者と死者が湧出し、それを汲み出して私たちは喉を潤し畑に撒き、煮炊きして精神の空腹を癒やしたのであった。「井戸掘り」「イド掘り」「村上春樹」で検索したところ、出るわ出るわ。どうやら、三十年ばかり気づくのが遅かった。


●テーブルマナー

 時々遊びに来る姪っ子たちに、テーブルマナーを指導すべきか否か。これは私を数年来悩ませている重要な問題であった。なぜ悩む必要があるのかと、訝しく思う向きもあるやも知れぬ。それは他ならぬ、我が家の食卓がテーブルマナーの荒野だからである。いや、我が家に限った話ではない。音を立てて食べる人間、背を丸めて食べる人間、食事時に下卑た話題を供する人間、そんなのはいくらもいる。そして私は、そんな状況に身を置くたびに、ほぼ例外なく葛藤を押し隠すのに四苦八苦している。ついつい注意したくなってしまうのである。もっとも、葛藤を超えて注意したとしても、あまりいい結果は得られない。大抵は無視される。もしくは「うるせーな、母親みてーなこと言うなよ」と煙たがられる。レアケースだが、わざわざ傍にやってきて耳元で「くっちゃくっちゃ」と盛大に咀嚼音を聞かされたこともあった。いやああああああと悶える私を見て、彼は満足げであった。


 彼女たちにまで、こんな苦痛を味わわせていいのか。しかも彼女の両親だって決してマナーがいいとは言えない。「わたしは地上に平和をもたらすために来たのではない。むしろ分裂をもたらすために来たのである。」そんな事を言って澄ましていられるのは、身の程知らずの大馬鹿者だけである。ところが、そんな葛藤そのものが巨大な勘違いの上に築かれた誤謬の楼閣であることを私は知らなかったのだ。


アラバマ物語』は、1962年のアメリカ映画である。その中の一場面が、私に自らの過ちを教えてくれたのであった。それはこんなシーンである。


 フィンチ一家では、近所の農夫の息子を招いてささやかな晩餐が催されていた。メニューは粛々と進み、テーブルにはメインディッシュのステーキが供された。そこで主賓であるところの少年は、シロップが欲しいと申し出る。メイドがそれを手渡すと、少年はステーキの全面にだぁーっとシロップをぶっ掛けるのである。ヒロイン、スカウト(これが彼女の名前なのです)はすかさず声を上げる。

「まあ!そんなに掛けたらステーキが台無しよ!」

 途端に食卓は凍りつく。父親のフィンチ弁護士(グレゴリー・ペック)は顔面蒼白、台所からはメイドがつかつかとやって来てスカウトを立たせ、物陰に連れてゆく。「お客様になんて失礼なことを!」と彼女を叱りつけるためにである。


 そう、ここに私のテーブルマナーの重大な瑕疵は明らかになった。テーブルマナーの体系には「人様のテーブルマナーに口出ししない」というメタ禁則が含まれていたのである。だからこそテーブルマナーは家庭内にしかその教育機会を持たず、だからこそ階級や文化資本の多寡を指し示す差別化指標となりえたのだ。私はそんな基本事項すら知らずにマナー違反を繰り返していたのである。所詮は無手勝流の独学マナーなのであった。


 その事を知って私は──だから教える資格はない、と諦めるのではなく──ようやく、教えてもいいのだと思うことができるようになった。なぜならばそこには、自らの信条を他人に押し付けることの醜悪さや、違う価値観を生きる他人と食卓を囲む寛容さという、より高次の教養が前提されていることを理解したからである。元より同席者を不快にしないための作法が様式化していったのがテーブルマナーだと思えば、難しいことは一つもない。それで姪っ子たちが、「なんだかこの人と食事をしていると気分がいいなあ」と周囲の人々に好印象を抱かれる日のことを思えば、多少の苦労など安いものである。もしも美しいマナーのせいで逆に周囲から浮いてしまうようなケースがあっても──あまり想像したくないことだが──、どんな状況にも適用可能な万能の手立てなどないことを知るはずだ。それもまた汎用性の高い、価値ある知識である。


 時にゲームは残酷な展開をみせ、ルールを知らない参加者を静かに、しかし確実に排斥してゆくかもしれない。けれどもしも彼女たちがその持ち前の優しさを発揮し、立ち竦む人の手を引いてあげることができるようになるのなら、彼女たちは私の新たな誇りとなってゆくだろう。なんだか、楽しみになってきた。彼女たちの振る舞いが自然でいて上品な、そんな見事さを備えるとき。しかも素敵なパートナーがその隣に控えていたりするのなら一層愉快に、私は彼女たちに種明かしするのだ。


「いやだわ、おじ様ったら!うふふふふ」


 ぐふふふふふ……はっ、私は誰だ。


 斯様にして私は、姪っ子たちに胸を張ってコソコソと、テーブルマナーを教えてゆくことを決意したのだった。後は手遅れでないことを祈るばかりである。


●裏返し

 人は奪わねば生きてゆけぬことを「生かされている」と感謝の言葉で表現するように、あるいはその際不可避に発生する物資の移動を「贈与」によって達成しようとするように、共同体の秩序もまた、「相互監視と懲罰と排斥」によってではなく、「教育、自律、信頼、赦し」によって保たれるべきだと考えた人々がいたのだ。目的とする機能に、大した違いはないかもしれない。それでも、「言い換え」と言って腐すことのできない、何か力強いものを感じずにはいられないのである。人は彼らを駆動する力の源をこそ、愛と呼んだのかもしれない。言葉を、希望に相応しい形に作り変えてゆくこと。それはあながち、無益とも言い切れないものだと思う。



 どれもこれも、せめてあと十年は早く気づいていたかった。「恥の多い人生を送ってきました。」これからも恥の話は、折を見て続けてゆく心積もりです。匿名にもしも美点があるならば、それは自慢したい気持ちや変身願望を満たすのとは正反対に、失敗知識の蓄積に貢献しやすいことでしょう。


 ああ、それにしても。


 愚かさってほんっとーにユーウツなものですね。