「わたし」の次元を割る前に

 内田先生のクリエイティブ・ライティング論について、ようやく少し理解を進めることができたのでメモしておく。


 きっかけは、「休日にマンガを読む」というエントリの一文だった。るんちゃんオススメのマンガを次々と読破しながら、内田先生はこんな挑発的な一言を書き付ける。


>時空を奔放に行き来するこれらのマンガに比べると、相変わらず「私小説」的な約束事から抜け出ることができずにいる現代文学の想像力の貧しさが際立ってしまう。


 そんなあ。


 と嘆いていても仕方がない。何しろ発言者は内田先生。「書きスケ」であるずっと以前から「読みスケ」だった人だ。単純な好悪の念から出た言葉とは考えにくい。しかし……いや、正直なところ、僕は私小説が結構好きなのだ。芥川も太宰も三島もまだ数冊ずつしか読んでいないけれど、徹底的に読み込んで消化しなければいけないと思っている。それは好きだから、というよりもむしろ、文学はまだ彼らに答えていない、答えなければいけない、という有責感から来た感情だ。(本当は紫式部にもセルバンテスにも、あるいはスタヴローギンのような小説上のキャラクターに対しても、答えなければいけない問題は残っている。)もちろん、私小説に対して私小説で答えなければならないという法はないし、僕自身、私小説でいこうとは思っていない。好きなものを否定されて悲しくなっただけ、なのかもしれない。けれどもやはり、私小説が手法として終わってしまったものだとは思えない、というのが素直な気持ちだった。


 だって一人称でも三人称でも、作者は一人じゃないか。気持ちの底にはそんな思いがある。それから、内田先生を通して学んだ「他者論」がある。わたしの口を借りて語る他者の集合を「わたし」と呼ぶ。そこに異存はない。登場人物はそんな意味でも、どこかで必ず作者の分身になる。人はそれをキャラと呼び、自分とは一切関係がない、ただそれを知っているだけだと言うかもしれない。流行りの属性だよと、遠ざけて安心しているかもしれない。しかしキャラを操っているつもりの彼らの口を突いて出るのは、キャラの言葉だ。実存主義者の言葉を借りれば、「実存は本質に先立つ」ということになる。そのような言葉こそが彼らを形成してゆくのだ。


 「私小説批判」に対しての印象をまとめると、こういう事になる。ある人間の中で時に協調し時に反目しあう多数の他者の一人を独立させ登場人物の一人として仕立て上げたとしても、それは人間としての厚みを失った物語上の「登場人物」にしかならない。である以上、一人称で語る「わたし」の視座に映る数枚のペルソナを描き出された「わたし以外の人」と、三人称で語られた「登場人物」の間に、本質的な差異は存在しない。差異が存在しないのだから、手法としての私小説を否定する理由は消え去る。そんな風に思ったのだ。


 これは、内田先生のエントリの数日前に毎日新聞のWEB版で読んだ、村上春樹のインタビューに対して思ったことでもあった。


「僕が文章を学んできた方法は、翻訳を通して得た以外の何物でもなかった」
「自我の葛藤を何かに置き換えて物語にしていく」
「僕から最も遠いのは、いわゆる日本的な私小説


 そこにはこんな言葉が並んでいた。確かに、「いわゆる日本的な私小説」には厭な垢が付きすぎている。そこに求められるのは「ローカルな土地に根ざしたしがらみ」であったり、「血」であったり、「陰鬱さ」であったりするらしい。誰もが解放されたいと願うその当のものが、なんで現代文学の条件にならなきゃいけないんだろう。伝統だから?そんな事言ってたら、文学の行く末は火を見るより明らかじゃないか。


 でも、それは「私小説」の罪じゃない。たまたま今そんな風に思われている「いわゆる日本的な私小説」の話だ。なんだかちょっと困る。今は全然困らなくても、もしも将来自分の表現しようと思う題材が身近なもので、かつその文章には作者自身を思わせる主人公が一人称の「僕」か「私」で語るスタイルが必須だと僕自身が判断したときに、それが「私小説」であるというだけで、読者が頭の中で「いわゆる日本的な」という文言を付け足してしまうような事態を想定しなければいけなくなってしまうのは、困る。……書きながら一体オレは何の心配をしてるんだ、という気になってしまいましたけれども。太宰の『トカトントン』に関する文章を書いたのは、そんな気持ちからだった。「私小説的な約束事って、何のこと?」「いわゆる日本的な私小説を書いた太宰の問題意識は、世界に繋がっていたじゃないか」と、生意気にも小僧なりの意思表明をしてみたつもり。そのためにドストエフスキーサルトルにもご登場願った。


 ところが……なんだろう、ぼんやりとした不安のようなものが、しばらく経ってから襲ってきた。「あなたが私小説を擁護しようとしたのは、本当に執筆上の選択肢を減らさないため?」どうなんだろう……もしかしたら、違うのかもしれない。違う……らしい。違うみたいだ……違うか……違うな。そう思い始めたら、後から後から反証材料が出てきた。


 感情的な反感から生まれて理性的に肉付けされた意見には、本人だけが気付かない歪みがそこかしこに現れる。その反対でも、事態はあまり変わらない。そんなものを書くのはもううんざりだから、ここは一つ掘り下げて徹底的に語ってみよう。かなり長くなりそうなので、引き返す人はこのあたりでどうぞ。



 ロラン・バルトが「作者の死」を宣言して以降、作品が作者から独立した存在であることは常識になった。僕はそれが常識であることに何の疑問も持たなかったし、友人達も同様だった。「作者の死」は、ポストモダンの文脈によく当てはまった。中心は空である。作品解釈に正解はなく、読者は独自の解答を抱いて密かな恩寵を温める。むしろ作者はその身体を以って中心を偽装する分、邪魔とすら思われた。そしておそらくは、多くの作家はますます露出を嫌うようになったのだと思う。けれど、それだけだった。バルト以降、批評が面白くなったという話は聞かないし、僕自身の読書体験や映画鑑賞体験が豊かになったということもない。(内田先生の『現代思想のパフォーマンス』、読んでないのバレちゃうな。)


 これは「作者の死」に限った話じゃなくて、あらゆる相対主義的な考え方が迎える「その後」の話だ。とりあえず正解はなしってことでやろうじゃないか、という同意がまず出来上がり、皆がそれぞれに自由な考えを持つ。ところがその「自由な考え」が大したことがない。大したことがないから人の話も聞きたいと思う。もうちょっと、マシにならないものかと。大したことはなくていいから聞きたいという、似たような人も現れる。で、話をする。納得できない。納得されない。仕方なしにいくつかの根拠を挙げて、考えの筋道を明らかにしてみる。それで腑に落ちることもあれば、そうでないこともある。けれどその「考えの筋道を明らかにする」作業の真っ只中にストレスの種がある。自由でありたい、自由であって欲しいと思いながら、その作業は「説得」「証明」「正当化」以外の何物でもなくなってしまうからだ。「説得」して失敗すれば、反省なり怒りなりの何かしらのしこりが残る。成功すれば、自由を毀損してしまったという微かな痛みが残る。


 理論的には、それでいい。共同幻想的な「正解」の近くにいるものは傲慢の罠に嵌りにくくなり、明白な「誤解」を正すにも慎重を期すようになる。「誤解」は表明しやすくなり、「正解」に近づく機会を多く得られるようになるはずだ。しかし現実的には、専ら不干渉を貫く、という寂しい態度が主流になってしまった。物わかりのいい人ほど、そうなった。物わかりが良くて快適さを好む人は、しこりや痛みを求めなかった。結果、傾聴に値する「自由な考え」は育ちにくくなった。それは必然だった。笑われ、蔑まれ、蹴飛ばされるような「受難の構造」こそが、強くしなやかでタフな様々を育てる。(ただし狂信者も生むことを忘れてはいけない。)突出した「自由な考え」は、同質化圧力という受難によって平準化された、それ未満のものの屍の上に立っている。ちゃちな「自由な考え」ばかり出回る世の中で、みんな「本物」を恋しがるようになった。そういう現状認識を持っているところで一つ行動を起こしてみようとすれば、取れる態度は限られてくる。一つは、「自分を受難にする」。もう一つは、「保守反動を装う」。だいたいそのどちらかに収斂していくと思う。


 この構図を、現在の文学状況に当てはめてみる。


 全体に具合の悪い出版業界の中でも一際瀕死なのが純文学だとすると(多分事実だけど)、その中枢に位置する文壇が「保守反動を装う」という戦略の一環として「日本近代文学の厚み」を取り戻せ、と号令するっていうのはアリだと思う。それで私生活をぶっ壊して書く「いわゆる日本的な私小説」家が増えても構わないけれど(何しろ文壇までたどり着けない人間の面倒なんか看る必要ないんだから)、どちらかと言えば待望されているのはそうではない小説家だ。伝統から遠く離れて、かろうじて純文学と呼びうるような小説を書く作家だ。周縁から生まれて新たな中心となりうるような文化だ。そういう作品が、人物が、「純文学」という領域から生まれてくることを願わない純文好きはいない。そして純文を書こうとして、そういう人物になろうと思わない人間も。


 鋭い人ならもう気付いているかも知れないけれど、これはすごくタチの悪い議論だ。こういう語り方をすれば、「結果としてどんな小説が出てきても、必ず手柄にできる」。内田先生曰く「不敗の構造」というヤツだ。けれど文壇のど真ん中にいるアノ人なんて、本当にそんなことを考えていそうで怖い。(だって「人間にとって一番大事なモノは?」って質問に「自己犠牲」って答えるんだよ?)とまあそんな事を考えつつも、だったらちゃっかりその不敗の議論に乗っけてもらって、「私小説」を弁護する側にまわっちゃうのも悪くないかなー、と思わないこともない。けれど、「思わないこともない」止まりだ。そこから先には行く気になれない。


 どうも、これも違うらしい。特定の私小説家に対する愛着の念でも、将来の執筆上の選択肢を減らさないためでも、文学業界の生き残りを睨んでいるのでもなく。こうして一つずつ潰していくうち、自分の読書体験の数々が思い浮かんできた。それらを精査して傾向を探る過程の中で、たった一つ認めざるをえなくなった事実がある。


 「いわゆる日本的な私小説」の枠組みというのは、案外僕にとって骨絡みのモノらしい、ということだ。後から後から出てきた反証材料の正体は、そいつだった。芸術至上主義らしく「作品だよ!それだけだ!」と言い切ってしまいたい気持ちはある。だけど僕は、どこかで作家の噂を聞いてはその作品の評価をムザムザ変えたりしている。辻仁成は、それなりに読んでいたのに悪口ばかり聞いてるうちに一切読む気がしなくなった。(辻仁成って、無前提に罵倒されてること多くない?)「前職、ホステス」なんて帯にあったら、絶対作品評価のハードルを上げてしまう。(から、手にも取らない。)川上未映子だって、あんな美人じゃなかったらきっと「ちょっと上手な不思議ちゃん……かな」なんてコメントはしなかった。村上春樹の写真を初めて見たとき、口を突いて出たのは「これが『僕』かよ」なんて言葉だった。『走れメロス』を読んでグッときた時も、「私小説用の読み方」を意識しなくても太宰の人物像込みで読んでいた。一昔前には、年配の人と小説の話をして「じゃあ、どれだけ自分を曝け出せるかが勝負だね」なんて言われて違和感も抱かなかった……とにかくとにかく、そんな話は尽きない。


 僕が一生一読者であり続けるのなら、その状況は問題にもならない。好きなように読んで、好きなように楽しめばいい。作家のゴシップを楽しむのも一興だ。文学なんて大層な名前で呼ばれているけど、ただの娯楽だ。学問という営みそのものが娯楽だ。芸術なんて、ただちょっと長い間親しまれ愛されてきた──だからこそ僕は守りたいのだけど──娯楽以上のものではないんだから。そこにあなたの楽しみ方を縛る権威は存在しない。あるのは「より楽しむための手引き」だけだ。


 でも、僕は書くのだからその状況を問題視する。作家と作品の全体をひとまとまりのメタ作品と捉えてしまうような態度が、創作にもたらす致命的な影響を、考える。「文は人なり」という言葉は、言語芸術に係わるもの全員にとっての巨大な呪縛だ。遂行的命題を含んだ倫理の言葉としてなら、むしろ好ましいものだと思う。社交的な現実(ここだと「言は人なり」か)、メール、ブログや掲示板、コメント欄で、誰の胸にも留められていてほしい言葉だ、とすら思う。でも、小説がそれじゃつまらない。


「だからさあ!面白い面白くないで話を終わらせないでよ。」


 はい、了解しました。では……改めて。


 作品と作家を同一視する、ということは、社会化された現実存在である作家の身体的、精神的限界とまったく同じ種類の限界を作品に強いる結果になります。そういった作品の中で読者が読むことができるのは、読者である自分と同じように抑圧され、苦悩し、挫折する弱きものの言葉だけでしょう。それは一時的に読者を慰撫するものではあれ、解放するものとはなり得ません。文化的意義を忘れ、完全に産業化した文学業界が読者に求めているのは病的な「共依存」関係です。それがマーケティング的観点から到達目標に選ばれた「消費者の囲い込み」を意味するからです。そのような関係性の網に捕らえられた読者は、無力な自己のヒロイックな悲劇性に陶酔しながら、完全に無力なままでいることを自ら望むようになります。思い出してください。これはニーチェが糾弾したかつてのキリスト教(を含む、産業化した諸宗教)のやり口とまったく同じです。それは病的な読者を臨界点まで搾取することを可能にするかもしれません。それで確かに、しばらく保たれる出版関係者(およびその家族)の命脈もあるかもしれません。病的な読者も、自ら進んで病的な読者を再生産することで精神的な平衡を保つことはできるでしょう。でも、このやり方じゃ駄目です。絶対に駄目です。人間は強くなろうとしなければいけないんです。自分より惨めな人間を笑って満足していてはいけないんです。「こころ」の先生だって言ってたじゃありませんか、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」って。


「おーい」


 このままじゃ文学が終わってしまう!


「おーい」


 文学が死ぬ!


「いーかげんにしなさい。」


 痛っ。だ……あ、センセイ。


「キミ、文学嫌いになっちゃったの?」


 まさか!大好きですよ!


「じゃ、悪口は言わないの。」


 で、でででででもっ!


「いいから、言わないの。」


 はあ……。


「で?どうするの?」


 どうする……何をですか?


「だーかーらー、作品のタガはどうやって外すの?」


 それは……。


「キミが考える必要があるの、そこだけでーす。ばーかばーか。」


 痛っ。叩かないでくださいよー。


「ま、いいや。これから講演があるんだけど、聴きに来る?」


 お、お願いします!


「3000円ね。そこの受付で払うように。」


 え?……そこはセンセイのお力でなんとか。


「うっそーん。ばーかばーか、びーんぼーにーん。」


(むかっ)



「えー、古来より、大和の国では『言霊』ということが言われて参りました。言葉には、現実変容能力がある、とそういう意味の言葉でございます。現代におきましても、この『言霊』信仰は──形を若干変えましたけれども──続いております。本日は、その『言霊』についてお話をさせて頂きたく、こちらに参上いたしました。
 少々大胆に過ぎるかもしれませんが、わたくしは日本における宗教の諸形態というのはほとんどがまやかしで──と言って悪ければ、便宜的なもの、とでも申し上げましょうか──、その本質は『言霊』信仰にあるのではないか、という説を研究しております。突然ですが……ええ、あなた、そこの青いワンピースに美しい琥珀のブローチを飾っておられますお嬢さん……あ、すみませんちょっと大げさに言い過ぎましたね……ええ、そちらのご婦人にお立ちいただいて……あ、未婚でしたかそれは重ねて失礼を……はい、質問に答えていただきましょう。日本には、どのぐらいの数、神様がおられるでしょうか。……はっぴゃくまん、そうですね。ありがとうございます、どうぞご着席ください。はい。このはっぴゃくまん、やおよろずというお答えをいただけるまで質問を続けようと思っておりましたが、本日はお日柄もよく、大変な幸運にも恵まれているようです。
 わたくしがこの研究の道に入りましたのも、この八百万という言葉に躓きまして、こけつまろびつしておりましたらいつの間にかそれ以外の道が塞がってどうにも行き場がなくなっていた、というのが実情でございます。と申しますのも若かりし頃、歴史書を紐解いておりましたらば、江戸幕府開闢が1603年、当時の人口は1200万人程度と書かれておりまして、そこでふっと八百万という数字を思い出したんですね。これ、ちょっと多過ぎるのじゃないか、一人頭1,5人しか面倒を看ないなんて楽な神様もあったものだと、まあ義憤のようなものに駆られまして、それで一丁調べてみようかという気を起こしたのが運の尽きでございました。記紀神話を図書館から借り出しまして、まず短い方の古事記から手を付けました。するとそこにはやはり八百万と書いてあります。しかし、併せて開いておりました歴史資料には、記紀神話の成立と近い701年大宝律令完成の頃の人口資料が添付されていて──これが451万人……少ないんです、神様よりも。いやあ、これなら二交代制でも仕事ができる、労働条件もそう悪くないぞ、と神様を羨んでおりました。もっとも、飛鳥時代奈良時代の人間が今よりもずっと野蛮で手が掛かった可能性もありますから、そう羨んでよいものとは限りません。それから日本書紀を読み始めました。ところがこちらには八百万が見当たりません。古事記ならばおそらくはここに八百万と書かれていたであろう、その箇所に、やそがみ、と書かれています。八十の神と書いて八十神です……今度は神様がずいぶん減ってしまいました。それにしても、それほど書かれた時期に開きがないにも関わらず、神様の数が十万分の一になってしまうのですから、ずいぶん大らかな時代だったのだなあ、と当時の人間を羨みたくもなってまいります。


<一時間弱経過>


 かような次第でありまして、様々な事件を経て宗教という言葉が出た途端に何かしら胡乱な背景を察知する、と言ったような現代日本の雰囲気が醸成されてきた、とこう申し上げてよろしいかと思われます。しかし、日本における宗教の実質が言霊信仰にあるという観点からは、また別な意見も出てまいります。何しろ、日本は世界に冠たる識字大国でございます。これは近年に限った話ではございません。15世紀の朝鮮王朝に、申叔舟という政治家がおりました。この方が李氏朝鮮からの外交団の一員として日本の地を踏み、帰国後30年近く経って認めた書物がございます。「海東諸国紀」といいまして、その中に、日本人の識字についての記述がございます。


無男女皆習其国字[国字号加多干那凡四十七字]唯僧徒読経書知漢字


 男女なくして皆その国字を習う。国字号、片仮名凡そ四十七字。ただ僧徒のみ経書を読み漢字を知る。
 国字は平仮名、号は記号の号とお考えください。このように、室町時代すでに男女問わず、平仮名片仮名に習熟していたことが窺われるのです。この記述には、もう一つ重大な点がございます。それは僧徒しか漢字を知らなかった、いえ、おそらくは知ることを許されていなかった、という点です。平仮名片仮名を学ぶのですから、漢字を学ぶことも能力的に可能ではあったでしょう。常用漢字1945文字、漢字総数約5万、ひるがえって当時の仮名はわずかに47文字です。そう思えば、漢字を学ぶことに臆するものも大勢いたかもしれません。ですが千里の道も一歩から、少しずつ学んでいくことは誰にでも可能です。けれど、それは霊的に成熟したものにしか許されてはおりませんでした。
 夾雑物の混じっておらない情報に、先んじて触れることの利点というものは、情報社会たる現代に生きる皆様、よくご存知のことと思います。さらに、情報の上流に立ってそれを統制することには、情報そのものの価値を神話的に増大させ、そこへアクセスする権利を持つものの権威、支配力を確保する機能がございます。また、ここで僧徒が読んでいたとされるのが「経典」ではなく「経書」、つまり儒教聖典であったことも看過できません。自ら奉ずるところの仏教書のみならず、他宗教の聖典をも読み込むことで宗教の骨法を掴み、宗教的・精神的指導者としての立場をより強固なものとするために援用した可能性もあるからです。
 とまあ、皆様このようにお考えになるのではないでしょうか。これは現代が要請する整合性を十全に満たした解釈と言えます。しかし何の因果か言霊説を研究しております身といたしましては、そこに異論を挟まないわけにはまいりません。民は平仮名片仮名までを学び、僧は漢字を含めてあらゆる文字に通暁した、この事象の意義を、改めて考え直してみたいと思います。
 皆様、どうぞ現代社会におきまして、免許制あるいは年齢制限という形で使用者を限定するいろいろの事をお考え頂きたいと思います。それらには、ある共通点がございます。「危険」、ということです。
 漢字がなぜ危険なのか、と疑問に思われる方も大勢いらっしゃると思います。その疑問を解消するためには、言葉はどのような必然性から生まれたのか、文字の根本的な機能は何なのか、そういった「言語の起源」への理解が必要になってまいります。
 しかし、言語学はかつて、この起源への問いを厳しく禁じました。1866年パリ言語学会において、「言語の起源」に関する論文の受付を拒否する旨の決議が出され、1911年にもこれは再度確認されております。ですがこれは、一地方の言語学者が同意しただけのものと言わざるを得ません。人間の探究心や想像力というものは、いかなる権威によっても押し止められるものではないからです。
 漢字学の泰斗、故白川静先生は文字というものに関して、このようなお言葉を遺しておられます。
「文字が作られた契機のうち、もっとも重要なことは、ことばのもつ呪的な機能を、そこに定着し、永久化することであった。」
 ここにわたしたちは重大なヒントを得ることができます。つまり言語の本源的な「呪術性」ということです。わたしたちは文字を読むとき、その文字が指し示す現実の物質を思い描き、あるいはまた、別の言葉を思い浮かべます。形而下のものも、形而上のものも、言葉に導かれるようにして想起いたします。けれど世に満ち溢れる言葉が一人の人間のためには過剰となって、一斉に同じものを指し示すとき、わたしたちはその、指し示された当のものから目を離すことができなくなってしまうことがございます。対象物がその人の生を充実させ豊かなものとするならば、その人は安らかで幸福な生を生きるでしょう。けれどもしそれが、人間から生涯を巻き上げるようなものなら、どうなってしまうでしょうか。
 わたくしは、白川先生が仰った言語の「呪的な機能」とはこのようなものであると考えます。そしてこのように考えるとき、「ただ僧徒のみ経書を読み漢字を知」ったことの意義が、おぼろげながら見えてくるような気がいたします。


 え……あ、もうそんな時間ですか。ええ、そうですね、では、後五分以内には終えましょうか。はい。大変失礼致しました。皆様、もう少々お付き合いください。


 えー、古くから漢字は「まな」、真の名と呼ばれ、片仮名平仮名は「かな」、仮の名と呼ばれてまいりました。甲骨文字から始まった文字が、篆書、隷書、楷書、行書、草書と姿を変えていったのは、主に美的観点と速筆の要求からであると思われます。ですがそこに、漢字が原理的に持っていた「呪術性」という概念を導入して考えますと、また違った姿が立ち現れてまいります。それは漢字の変容そのものが「呪術性の剥奪過程」であった、そういう可能性でございます。
 ではなぜ漢字発祥の地である中国では、繁体字から簡体字への移行しか起こらなかったのか、日本の文学が「おんなで」によって始まったのはなぜか、朱子学陽明学と漢文、その中で培われていった日本の知性、インテリゲンチァの役割とは……できるだけお話できればと思ってこちらに伺いましたが、残念ながら時間切れのようです。
 最後に、これだけは申し上げておきたいことがございます。
 現代社会において言霊は、宗教を隠れ蓑に猛威を振るうことをほとんどやめております。けれどその荒ぶる力は、メディアに、学問に、芸術に、経済に、伏流しているだけなのです。わたしたちに必要なのは、言霊を恐れることでも、囚われることでもありません。ただそれを取り扱う、適切なやり方を学ぶことです。そしてその時初めて人間は、新たなる地平に到達できるのだと、信じて已みません。
 本日はまことにありがとうございました。またお会いできる日を楽しみに、演壇から失礼させていただこうと思います。」


 あっ、センセイ。


「……キミ、寝てたね。」


(どきっ)


「はあああああああー。」


 す、スイマセン。


「ま、いいけどさ。さーて、お腹空いちゃったなー。」


 ごごご、ご一緒させてください!


「いいけどね、もれなくお説教のオマケつきだよ。あと、キミのおごり。」


 ぐう……僕今1000円しか持ってないんですよう!


「なーんちゃって。さあ行くぞ青年、寿司でも食いいっかー。」


 ぜ、ぜんぜえー……。


「あ、ご飯の前に言っとくけどね。」


 はい、何ですか?


「キミ、この文章の最初で間違えてるから。」


 へ?


「内田先生が批判したの、私小説じゃなくて現代文学だから。」


 へ?


「勘違いにも程があるでしょ。あと、メモにもなってないから。」


 へ?


「さ、いこうか。寿司寿司。」


 お、おおおおおおお、寿司寿司寿司ー!


「ばか。」