現場編 1

一日目 埼玉県某市 倉庫

作業内容:アパレル商品の検品


 初仕事。駅前の指定場所で他のメンバーと合流し、バス停に向かう。普通にちょっとカワイイ女の子がいたりして、意外な印象。作業着を着ているだけのサラリーマンぽい人も多い。けれど中には「いかにも」という感じの人もいる。髪の毛がぺったりしていて、ジェルをつけているのか洗っていないのか見分けのつかない青年。ガリガリで、明らかに肉体労働には向かないタイプ。年齢不詳。無口、というよりはやや自閉症気味(本物だったら、ココには出てこられないと思うけど)な感じの女の子。


 バス停に向かって歩いている途中で、突然隣を歩いている人が


「あんだよ!しつっけーんだよ!」


と怒鳴りながら携帯電話をポケットから取り出す。僕はビクリとする。どうやら、派遣会社から合流しているかどうか確認するための電話が入ったらしい。


「抑制能力の欠如が、社会不適応の原因だろうか。」


 すぐにそんな事を考えてしまう。どうやらかなり先入観に毒されているようだ。短絡的でいけない。まだ僕は、彼らのことを何も知らない。


 現場に到着する。開始まで空き時間ができて、喫煙室で一緒になった人と話をする。派遣会社の悪口の割合が多い。お前は騙されるな、と言いたいのか。こんな仕事からはすぐにでも足を洗え、ということか。登録スタッフが一人でも減れば、自分に仕事が回ってきやすくなると思っているのか。どちらにしろ、憎しみの対象が安い。にも関わらず、「巨悪」のように語る。まあ、サラリーマンが上司の悪口で盛り上がろうとするようなものかな。


 作業現場の倉庫内へ。現場経験者の一人が別に呼ばれ、軽く仕事に取り掛かる。パタパタと動き回るその人を、指差してクスクス笑う二人組がいる。武闘派オタク、という感じの風貌をしている。片割れが「うわははは、やめてよもう!」と小声で、腹を抱えて笑っている。


 仕事してる人間を、笑うんじゃねえよ。


 これ見よがしに仕事をしているその人に近づき、
「何かお手伝いできることありませんか?」
と訊く。いや、大丈夫です、という返答を得て戻る。少しだけ気持ちがおさまる。


 作業開始。僕はジップアップセーターの検品チームに加わる。作業の中心は検針機。


 サイズ、カラー毎にダンボール詰めされた商品を作業台にあける。


 そのうちの二つで、ブランドタグ、ロゴマーク、値札などをチェック。


 全ての商品を検針機に通す。


 再度箱詰め。


 箱に貼り付けられたチェックシートに、検品済みの記入をする。


 以上の作業を、5・6人のチームで行う。最初は色々なところを「これやってみて」という感じで頼まれる。けれどすぐに別パートへの移動を命じられる。どこかにボトルネックがあって、流れがスムーズにならないのだ。中心人物らしきおばちゃんが、試行錯誤しながらメンバーを入れ替えていく。だが入れ替えが、ピタリと止まる。そして徐々に、検品の流れが速くなっていく。最適化したのがわかる。僕はひたすら回転しながら、横光利一の『機械』という小説を思い出す。油まみれには、なっていないけど。


 お昼が過ぎて、3時ごろにはセーターの検品が終わった。積みあがっていたダンボールの山がきれいさっぱり片付いて気分爽快。ひとりで「ばんざーい」とやっていたら、中国人のおばちゃんが僕のお尻を叩く。「ほら、見てるよ」と指差した先には難しい顔をした現場監督。うわあ。わははははと笑いながら逃げ出す。


 まだ時間は残っている。次は別のチームに合流して、マフラーに値札をつけて袋に入れる作業をすることになった。小さな穴に糸を通す、ザ・内職!という感じの作業。単価はそれほどでもないとはいえ、こんなに人手を割いてよいものか、と思っていたら、「今日機械がふさがっててさー」とのお達し。なるほど、ならば納得がいく。いつもこんなんじゃ、付加価値なんて消し飛んじゃうよね。


 作業台を囲むメンバーは、ひたすら派遣会社の悪口を言っている。いい加減な案内を受けた、紹介する仕事の内容をほとんど把握してない、態度がでかい、あいまいな返事しかしない、信用できない、いくらでも続く。そんなところで、ボソリと本音を吐くヤツがいる。


「そんなヤツが、正社員かよ。」


 そうだよ。お前らと大してかわりゃしねーんだよ。スーツ着て、革靴履いて、ビジネスバッグでも持ってりゃ、見分けなんてつかねーよ。


 僕もね。


 周りの作業台から、中国語のお喋りが聞こえてくる。女たちが、その情報共有能力をいかんなく発揮している。幼い顔立ちのコもいれば、中年のヒトもいる。外国人、女性、工場労働者(倉庫だけど)、けれど『女工哀史』的なイメージからは程遠い。軽やかな、耳をくすぐる声。楽しげな笑い。彼女たちは、低賃金の上に、なけなしの給料を本国の親に送金していたりするのだろうか。それともこんなイメージも、社会保障費削減のために「親孝行」を奨励する中国の情報政策によって形作られたステレオタイプか。(四川大地震の直後、ホームレスが所持金の全てを寄付したニュースが、全世界を駆け巡ったように。)僕にはわからない。僕が上海あたりで働く中国人の若者だったら、自分ひとりのために溜め込んでいても、下らないことに浪費していても、そこそこ空気を読みはするだろうけど。もちろん、僕みたいな人間ばかりでもないだろうし……。


 手元の仕事は終わって、違う商品の値札を付けることになった。少し特殊なヒモの結び方をするらしい。現場の指揮を執っている社員らしきヒトが、目の前で何度も結んで見せてくれる。袋に入れて完成品を作り、「じゃ、こんな感じでお願いします」と言って去っていく。さっそく仕事に取り掛かった。


 と、違う作業台でも同じ商品の値札付けをするらしく、一人がこっちにやり方を訊きに来た。ヒモの結び方を覚えたところで、たまたまそばにあった完成品を指差して「袋の向きは、これでいいんですか?」と質問する。僕が作ったものだったので、確かめるために社員のヒトが作ったものを取って見せる。

「こっちが完品です。」

げ、後ろ前じゃん。

「違いますね。」

「はい、こっちの完品を手本にしてください。」

「こっちは、間違ってるんですよね。」

 彼は、僕が作ったものを指差して確認する。語気が強い。その顔を見ると、あの武闘派オタクの片割れだった。

「はい、間違ってます。」

 ようやく立ち去ってくれた。しかし、一個しか作り終えてないところで間違いに気付いてよかった。


 引き続き作業を続けながら、隣に立っているヒトが話をし始めた。


「ウチの派遣会社って、しばらく同じ現場に通ってると、一応まとめ役みたいなのになるんだけどさ。中にひどいのがいるんだよね。現場の社員が威張り散らすってことはなくても、そのまとめ役がさ、『牢名主』みたいになってるケースに出くわしたことあるよ。初めて現場に来た人間のさ、細かいミスを一々うるさく注意するんだよ、そいつ。」


 同じ作業台のメンバーは「ウゼー!!」と叫びながら爆笑。


 あ、慰めてくれたのか、と気付いたのは少し経ってからだった。歳経た人の柔和な微笑の奥にある、どこにも向かわない類の優しさ。僕はそこに前提されている「加害−被害」構造と、「彼は仕事上のミスを未然に防ぎ、労働品質の向上に寄与した」という情報の恣意的除外に加担すべきではない、とは思いながらも。
 笑いの余韻がまだ残っているところに、思わず呟く。


「それにしても、守るべきプライドがそんなところにしかないって……。」


場が、一瞬でシンと静まる。


 残り時間も少なくなったところで、誰もいない作業台にアイテム一式が放置されているのに気付く。マフラー、ヒモ付きの値札、ビニール袋。けれどビニール袋は折りたたまれていて、プリント部分が見えなくなっている。ああこれは、この商品用ではない袋が間違って同梱されていたせいで、一旦作業中止になった品物なのか。とりあえず出来るところまでは作業して、それでちょうど時間いっぱい、という事になりそうだ。僕は手の空いた人に声を掛けて、袋はありませんけど、不良品のチェックと値札付けは済ませましょう、と仕事を始める。


 作業は完了して、一応完成した分の数を数えていると、さっきまで同じ作業台にいた人たちが「あ、まだ残ってるのあったんだ」と言いながら近づいてきた。そして何の気なしに折りたたまれていたビニール袋の束をパタンと開いた。


 ちゃんとプリントがある。


 しまった、勘違いで間違った指示を出した。しかもおそらくは、僕が「本気で」勘違いしていたせいで、一緒に作業してくれた人たちの、「念のため」ビニールをチェックするくらいの用心深さを追い払ってしまった。終業時間が迫っている。そろそろ帰り支度をしようと控え室に向かう人たちに、どう説明してよいのやら、と冷や汗が吹き出した。


「さっさと終わらせちゃおーぜー。」


 いつの間にか作業台の周りに集まっていた人たちが、どんどん手分けして値札の付いたマフラーを袋に入れていってくれる。本当なら、その前に値札付けを手伝ってくれた人たちが一緒に終わらせていたはずの作業だ。申し訳ない。一心不乱に袋に入れ、次から次へと箱詰めされていくマフラーを見ながら、みんなに心の中で手を合わせる。


 すべてすっきり片付いて、終業のチャイムとほぼ同時に作業は完了した。


 給料は、その日のうちに派遣会社の営業所で受け取ることになっている。そこへ向かう電車の中で、メンバーの一人と話をし続けた。彼は、あのグッドウィルでも日雇い仕事をしていたことがあるらしい。あの会社、マージンが大手で一番多かったらしいじゃない、早めに手を切れてよかったんじゃない?と思っていると、彼はやめた時の話を詳しくしてくれた。


「とにかく腹の立つことが多くてさ、支店長に不満を全部ぶちまけて、どう思ってんだ、どうしてくれるんだ、お前はいったい何をしてるんだ、事実関係はどうなってんだ、というような事をね、まあキツイ口調で言ったのよ。したらさ、言えないことも結構あったらしくて、ひたすら、すいません、すいません、て謝ってるうちに泣き出しやがってよ。」


「うわー、そりゃずいぶん追い詰めちゃったねえ。」


「あの時のオレと大して年齢もかわらねえ、背のちっせえヤローで。とにかく腸が煮えくり返ってるからさ、コッチは。そこの営業所と最寄の駅を結んでたのは結構細い道だったんだけど、そんなところでグーゼンばったり会ってたりしたら、路地に連れ込んでやっちゃってたかもしんねえ。」


 僕よりも頭一つ大きな、この逞しい体つきの男なら、好きなだけ嬲ることができるだろう。彼は何度か、想像の中でその若い支店長を殺していたのかもしれない。


「そんなことがあったら、ソイツもきっとすぐに辞めちゃっただろうね、仕事。ま、辞めてなくてもグッドウィル自体がなくなっちゃったわけだけど。」


 彼はすこしだけ、眉根を寄せて肯いた。


 旅行したい、だとか、アレが欲しい、だとか、そんな話もいくつか出た。実家ぐらしらしいけれど、やはり日雇い派遣の給料では貯金も難しいらしい。なんで就職しちゃわないの?キミむちゃくちゃマトモでしょう?ガタイもいいし、頭も全然悪くない。それとも、何かこだわりでもあるの?


「いや、一応本職はあるんだ。家電メーカーが扱ってる、ちょっと特殊な機器の設置をするんだけど……いつもある仕事じゃないんだよな、ソレ。」


「生活の保障も与えられないような会社となんて、契約関係を結ぶ意味がない!」


 反射的に、大きめの声が出る。あ、しまったかな、と思うけれどそうでもない。本人も、似たようなことを考えて迷っているらしかった。そっか、手に職系のヒトだったんだー。仕事があるときは結構ガツンと稼げるけど、そうでないときの保証があるわけでもない、と。だったら計画的に使って……って言っても、結構難しいよね。日雇い仕事に精を出すのも、事情はだいたい飲み込めたよ。しかし、正直アナタはもったいないと思うんだよねー。この仕事じゃ、どんなにやっても大した稼ぎにはならないし。使う分だけ稼ぐ、ってのも潔いとは思うんだけど、いつの間にか稼いだ分だけ使うようになっちゃったりするもの。それじゃいつまで経っても環境は変えられない。


 そんなことを話しながら、電車を降り、営業所で給料をもらって、帰途に就く。彼が「あー、どうしよっかなー、飯でも食って帰ろうかなー。」と、何度か独り言のように言う。


 すまん、母親に金を返さなきゃいけないんだ。今日はまだ、付き合えない。縁があったらまた会おう、と手を振って別れた。


 金があれば出会わなかった人間と、金がなくて付き合いを深められない。


 つまらない話だ。


 すべては、僕が積み重ねてきた選択の結果だけどね。


疲労度: ★★★★☆


 作業そのものの負荷は軽め。ただ、個人的に運動そのものが久々だったため、かなりの疲労に見舞われる。中腰になる作業が多く、腰、太ももはパンパン。張り切って動き回った結果、足の裏が痛む。昔よりも立ち仕事が辛くなってきたかな。
 次の日には、上腕、胸・背筋にも痛みが出始める。最初から連続で勤務するのは、僕には無理だな。おとなしく超回復が完了するのを待つことにする。