うちの母(こ)天才

 晩ご飯は揚げ物揃いであった。


 イカフライにエビフライ、そこにミルカツを加えてのフライ三羽烏である。


 思えば、昼に昨晩の残りの焼きそばを食べている最中から、晩のおかずについての相談を受けていた。だが献立について聞かれるたび、私は同じことしか答えない。


 おかーさん、私は家に置いてもらって、ご飯を食べさせてもらえるだけでありがたいのです。献立についてとやかく言う立場にはありません。あなたが好きなものを作り、そのおこぼれを頂戴できればそれで満足です。家にお金も入れられないようなドラ息子の機嫌を、取らなければならない理由がどこにあるというのですか。


 しかし母は常に「晩ご飯は○○にしようと思うんだけど、いいかしら?」と許可を求めてくるのである。だから許可はいいって、と何度言っても聞かない。やがて私は、「怒気を発しながら感謝の言葉を述べる」という、実に竹中直人的なペルソナを獲得するに至ったのである。


 そう、今日の昼間に交わしたのはこんな会話であった。


「たけおさん、晩ご飯はイカとエビのフライと、トンマケでいいかしら?」


「トンマケ?」


「トンカツじゃないからトンマケなのよ。生姜焼き用のお肉を買ってたんだけど、どうせ揚げ物するんなら一緒に揚げちゃおうと思って。生姜焼き用のお肉を重ねて衣をつけて、それで揚げればトンカツ風になるでしょ?でもトンカツじゃないからトンマケ。」


「いいんじゃない?でもおかーさん、それはトンマケではなくミルカツという名前を持った、れっきとした料理だよ。」


「ミルカツ?なんだか覚えにくい名前ね。」


「ケーキにミルフィーユってあるでしょ?あの要領でミルカツなんだよ。」


 あらそう、でも生姜焼き用のお肉だからちゃんと揚がらないかもしれないわね、揚げる前に味付けしておいたほうがいいかしら、生姜焼き用のお肉だし、生姜焼きのタレに付けてから揚げるとおいしくなるかもしれないわね……。


 適当に聞き流していたのがいけなかった。しかし晩の食事も済ませた今となっては、後の祭りもいいとこである。


 晩になった。


「たけおさーん、そろそろ揚げてもいいかしらー?」


 私は居間に降りた。冷蔵庫から取り出したのは発泡酒、ひじきの煮物、茹でたほうれん草である。ほうれん草にはすりゴマとかつお節をふりかけ、少し醤油をたらして酒のつまみになってもらった。


 新聞の読み残しを眺めながら、晩酌を始めて揚げ物を待つ。


 おやおや、台湾で中台融和に反対の動きか。もともと一つだった国でもこれだけ揉めるんだから、別々の国同士が仲良くやるのは大変だよなあ。オバマさんは大統領になったけど、人種や民族を超えて人々が結びつくまでには、まだまだ長い道のりがあるんだろうな。あれで少しでも、安心して暮らせる人が増えるといいんだけど。


 食卓にはいつの間にか、イカフライとエビフライが並んでいる。揚げたて魔人の一人として、油きりの時間は少なめにしてもらった。衣の縁で油の泡が膨らんだり弾けたりしているのがたまらない。


 いっただっきま〜す♪


 がぶり、あつっ、あふあふ、ビールビール、ごきゅんごきゅん、ぷはっ、イカイカ、塩うまっ、マヨうまっ、エビエビ、塩うまっ、ごきゅんごきゅん、ぶっはーっ!おかーさん、ご飯炊いてる?え、ない?いやいや、冷ご飯あっためたのでいいよ。ガチャリ、バッタン。ぽちぽち、ピー。ゴォーうおんうおん。さてその間にケチャップソースも作っておいて、と。イカうまっ、エビうまっ、ごきゅんごきゅん、ぶはー。ピー。あ、ごはんごはん。柴漬け柴漬け。パリパリもぐもぐごくりごくり。


「たけおさん、モンフィーユも揚がりましたよ!」


「おかーさん、モンフィーユというものはありません。マフィーユ、あるいはモンフィスです。いやいや違った、それはミルカツです。」


「……じゃ、もういい。トンマケ。」


「ミルカツです。」


 きこきこ。ケチャップソースにつけて、ぱくり。


 ……。


「おかーさん、ものすごく生姜焼きの味がします。」


「しっかり下味つけたから、おいしいでしょ!」


「ミルカツなのに、生姜焼きの味がします。しかもケチャップソースをつけてしまいました。」


「おいしいでしょ!」


「……おいしいです。」


 ちょっとケミストリーが過剰なのではあるまいか。ポリフォニックにも、程があるのではないか。私はそんなことを思いながら夕飯を終えた。


 天才のそばに生きるというのは、かくも過酷である。