現場編 5

五日目 埼玉県某市 倉庫

作業内容:ピッキング


 一回目、二回目に訪れた倉庫での仕事をまた紹介された。ただ、倉庫内での作業場所と、作業内容と、管轄する会社の名前が違う。おそらくは一社の所有物件である土地と、その上に建てられた巨大な倉庫。その内部で蠢く複数の会社。その有様は、同じ派遣会社から派遣された作業者たちが、共通の出自を持たない事と酷似している。


 駅前に集まったのは、初老の男性、男の子、40歳前後の女性、初めての現場で一緒だった女の子。僕を合わせて五名が今回のメンバーだ。


 みんなでバス停まで歩く。バスが来るまでにはまだたっぷり時間があって、僕は昼食を買いに近くのコンビにまで行くことにした。三度目になって、どこに行けば必要なものが手に入るか、そこまでの道順も含めて頭に入っている。おにぎり二つと、缶コーヒーを一本。コンビニの前で、コーヒーを飲みながらタバコをふかす。ただそれだけの事が、とても心地いい。


 バス停に戻ると、他のメンバーはお喋りしながら親交を深めている。すぐにバスはやってきた。いつも通りの停留所で降り、目的の倉庫を目指す。たまたま並んで歩く形になったとき、初老の男性が話しかけてくる。


「いやあ、周り中工場と倉庫ばかりですねえ。」


ええ、ホントに。オールバックの白髪、大きめの眼鏡。穏やかな口調は長い会社生活の影を感じさせる。細身で、スーツを着ればベテランの営業マンに見えるだろう。年齢は四十代後半といったあたり。髪が白くなければ、もっと若く見えるかもしれない。


 なぜ、この人はここにいるのだろう。


 そんな問いが真っ先に浮かぶのが、僕自身が「日雇い派遣」を色眼鏡で眺めている証拠だ。だからすぐに問いを打ち消そうとする。ただ一緒に働いた時間だけが教えてくれるその人を、理解しようと努める。けれど一度起動してしまった「問い」は、答えを見つけるまで活動を止めはしない。


 倉庫に到着する。僕たちは専用のパソコンに出勤記録をつけて、控え室に向かう。敷地の片隅にある、寂しい部屋。他の人たちのお喋りを聞きながら腕組みして目を閉じていると、すぐに仕事開始の時間がやってくる。


 今日の仕事もピッキング。前回は「配送用のダンボールを持って棚を回る」形式だったのが、今回は「品物の入ったケースを持って配送用のケースに入れていく」形になる。どの店に、どの品を、何点、というデータはすでに端末に登録済みのようだ。手順としては


 卸から送られてきたケースから品物を取り出す

 ↓

 バーコードリーダーで商品の読み取り

 ↓

 ピッキング用のカゴに品物を入れる

 ↓

 カゴに張られたバーコードを登録


と、ここまでが品出し作業で担当は二人。さらに


 カゴのバーコードを読み取る

 ↓

 ハンディに表示された情報を元に、配送用のケースに品物を入れていく


という品入れ作業を残りの三人が受け持つことになった。


 今回のクライアントは、それほど規模の大きくない会社のようだ。配送先の数も多くはない。作業のためのスペースは広大な倉庫のわずかな一角で、それでも十分すぎるほどのゆとりがある。


 大まかな流れを説明された後で、社員から人員配置の指示がある。女性二人は品出し作業を、僕も含めた男性三人は品入れ作業を担当することになった。品出しは先行して開始される。僕たちは彼女たちへの指示・説明が済むのを待って、まずはハンディ端末の使い方から習い始めた。


「……ですから、最初に使用者番号を登録します。五桁の数字は最初の四桁は全員同じで、最後の番号は端末に貼られている端末番号の末尾を入力してください。」


 社員の指示に従って、ハンディ端末のボタンを押していく。


 ふと、隣を見る。ボタンを押す手が、ブルブル震えている。手の主はどっちだ?──彼だ。スーツの似合いそうな、初老の男。緊張した面持ちで、ハンディの小さな画面を見つめている。


 ──酒、か。


 彼の様子を知ってか知らずか、社員の説明は続く。


「……こうしてバーコードを読み取ると、端末に店舗名と品数が表示されますので、それを見ながらケースに品物を入れていってください。」


 三人が試しに一つずつカゴを持って、実際の作業を行う。


 字がちいせえんだよな、というブツブツ声が聞こえる。また彼だ。眼鏡を外したり掛けなおしたりしながら、端末の画面とにらめっこしている。顔が紅潮して、うっすらと汗が滲み出している。


 ──目も、やられているのか。


 単なる老眼、であってくれればいい。けれど僕は、すでに彼に対して「アル中」という印象を持ってしまっている。アルコールと失明に関わる情報が記憶から甦ってきて、状況に見合う説明を構成し出す。


 終戦後の混乱期には、工業用のメチルアルコールを飲んで失明する人がかなりいたらしい。でも、最近はそんなケースを聞いた事がない。彼もまさか、そんなバカな事はしていないはずだ。だとすると……糖尿。酒の飲み過ぎ、アル中、糖尿、失明……そんな連鎖に脅されて、食事制限を始めた人の話なら聞いた事がある。


 控え室で彼は、


「そんなに体力ないんだから、軽い作業を頼むよって言ってるのに、搬入の仕事ばっかり紹介してくるんだから参るよなあ。」


と言って笑っていた。


 僕らがこれから取り掛かるのは紛れもなく「軽い作業」だ。でも、彼には向かない。出勤中に生まれた「問い」が、消え去っていくのを感じる。見つけたくもなかった「答え」が、砂浜を洗う。


 作業開始からしばらく経った。上階で別の仕事をしていたらしい社員が降りてきて、僕らの管理をしていた社員に話しかけている。


「いやー、今日上が大爆発だよー……それでさ、ちょっとお願いがあるんだけど、人、一人貸してくれないかな?」


「あ、いいよ。じゃ、えーっとね、あなた。上に行って手伝って貰えるかな。」


 指名されたのは彼だった。渋々と従うような顔で、内心の笑みを隠しながら、彼は上階に消え去った。


 作業そのものは、昼休みを挟んで滞りなく進んだ。品入れの人数は一人減ってしまったけれど、その分僕ともう一人の男の子がテキパキやったからだ。確認はしていないけど、今日の作業はたぶん、働いた時間分しか給与が支給されない。通常は時間に対して支払われ、例外的に作業量に対して支払われるのは「じっとうぶん」(実当分、かな?)と呼ぶのだそうだ。この間派遣会社の人に教えてもらった。


 つまり、一所懸命働けば働くほど、僕らは損をすることになる。


 でも、僕はダラダラ仕事をしたくない。他の三人も、わざと仕事のペースを落としてまで予定の時間一杯働こうとはしていないようだ。


 オーケー。僕らは損ができる。利益だけに拘る必要がないってのは、自由でいいね。さっさとやる事やって、さっさと帰ろうか。


 結局、予定よりも二時間近く早めに仕事は終わった。社員も僕らが気の毒になったのか、十五分ほど好きにして、それから退勤記録をつければいいよと言ってくれる。


「あ、でも。いま外で○川の人が荷物を積み込んでるでしょ。気が向いたら手伝ってあげて。」


 了解。僕ともう一人の男の子(二十歳前後なんだけど、子供にしか見えない)はすぐに倉庫の入り口近くに止めてあるトラックに向かう。一人で作業しているアンちゃんに手伝いますよ、と声を掛けると、「うわっ、マジすかっ!」と見る見る表情が明るくなる。近くに荷物を詰まれたカゴ車が集められていて、それはかなりの量があるのだけど、それを全部一人で積み込む事になっていたらしい。そこに突然四人も人が来たのだから、嬉しさもひとしおだろう。


 アンちゃんはコンテナの中。僕らはコンテナの開口部のすぐ下に立って、ひたすら荷物を積み込む。女性陣は僕らのそばにカゴ車を移して、取り出しやすいように調整してくれる。アンちゃんは荷物のダンボールに貼られた荷札を機械で読むと、コンテナの奥に次から次へと隙間なく詰め込んでいく。


 あっという間の十五分。積み込み完了。


「ホンットーに助かりました!一人でやってたらすっげえ時間掛かってましたよ!ありがとうございました!」


 お疲れ様です!と挨拶して、僕たちは現場を後にする。


 控え室に彼の姿はない。荷物は置きっぱなしだから、上での作業はまだ続いているのだろう。昼休みには少しだけ顔を合わせた。いやー、上は大変よ、と得意げに話していたのを覚えている。


 やめなよ、そーゆうの。


 そしたら、なんとかするからさ。