現場編 7
七日目 埼玉県某市
作業内容:書籍の箱詰め
そうだ、思い出した。
前回の現場からバスで帰る途中、派遣会社から次回の仕事の連絡が入ったんだ。
「明日のお仕事なんですが……深夜勤務をお願いできないでしょうか?」
「夜勤ですか……ええと、返答の前に、どちらの現場かお聞かせ願えませんか?」
「書籍を箱詰めしたりするお仕事なんですが……いかがでしょう?」
「書籍の箱詰めですか……。」
書店に勤めていた友人から、「本屋は肉体労働だよ」と言われていたことを思い出す。
「お願いできませんか……?」
派遣会社の人間が、これほど丁重な姿勢で「お願い」してきた事はない。深夜だから人が集まらないのか、それとも……。
「わかりました。初めての現場に、初めての夜勤。試しに一度やってみます。」
携帯電話の向こうから、安堵のため息が聞こえる。
「ありがとうございます──では、詳しい条件を申し上げますね。」
片手でバッグの中から手帳を取り出し、メモの準備をする。僕はバスのエンジン音の中で、少し大きめの声で相槌を打ちながら、ゆがんだ文字を書き連ねる。
──本を扱う職場。
そこで制作に関わる何かを見る事もなければ、執筆者に会う訳でもない。小説を書く為の何かが手に入る事もない。わかっている。わかっているけど、それでも──。
僕は少しだけドキドキしてしまう。
その夜、僕はできるだけ夜更かしをして睡眠のリズムを先延ばしする。仕事をしていれば多少は紛れるだろうけど、眠気に襲われたくないのだ。パフォーマンスを落としたくない。それから、現場によっては危険な作業もありうる。身の安全を守らなければいけない。
次の日の夕方。
僕は自宅で食事を済ませてから、現場近くの駅に向かう。今日は初めての現場だから、駅で他のメンバーと合流する事になっている。教えられた駅の、指定された場所で落ち合う。点呼を担当するのは、中年過ぎの細身の男性だ。油断は出来ないけれど、それほどキツくない作業らしい。
バスの停留所に並んでいると、近所に住んでいるらしいメンバーが二人、三人と増えていく。男しかいない。む、今度は警戒サインか。さて、どっちに転ぶのかな。
「今日はどんな仕事なんですか?」
点呼係の男性の次に並んでいた若い人が、質問している。
「んー、返本てあるでしょ?売れなかった本が、返品されてくるヤツ。あれがダンボールに詰め込まれてて、そのダンボールをひたすら投げ捨てていくんだよ。そーいう仕事。」
やってきたバスに乗り込む。現場までは20分近く掛かるらしい。全員が乗り込んだところで、メンバーの一人の携帯が鳴る。
「ハイ、ハイ、ハイそうです。え?」
緊張感を孕んだ声だ。何事か、あったのだろうか。
「わかりました……。」
彼は通話を終え、後ろの席に座っている僕たちを振り返る。少し眉をひそめて、心配そうな表情だ。
「皆さん、バスを降りて下さい。会社の人から、今そういう指示が出ました。」
え?
率先して降りる彼に続いて、五六人がぞろぞろとバスを降りる。皆一様に、戸惑いを隠しきれない。電話を受けた人が、全員に向けて説明を始める。
「今日は荷量が少ないという事で、先方からキャンセルされたそうです。」
はあ?とか、おい、どーいう事だよ、という声が次々と上がる。
「バスが動き出す前に連絡するために、相談を後回しにしてコチラに一報を入れてくれたそうです。これから先方と相談して、その後で僕たちにまた連絡すると言ってました。」
どのぐらい待つのかな?給料、どうなると思う?それまで特に話もしなかった人たちが、一斉に「仲間」になる。
僕はタバコをふかしながら連絡を待つ。直前キャンセルなら、80%くらいは補償してくれると思うんだけどなー。
10分近く経った頃だろうか。
また、彼の携帯が鳴る。
「ハイ、ハイ、あっ、そうですか!全額もらえるんですね!わっかりました!ハイ、ハイ、了解です!はーい。」
全額もらえる、と聞こえた瞬間に、どおおおおーとどよめきが起こる。電話を切った彼が、誇らしげに宣言する。
「全額もらえるそうです!通常通り受け取りに行って下さい!」
わははははは!おーい、なんだよ、いいのかよ。色んなところから色んな声が聞こえて、全部嬉しそうだ。
ラッキーだなあ、とは思うものの、あんまり喜ぶのも恥ずかしい。そうですか、全額もらえちゃうんですか。そんな事を言いながら特に表情を変えない僕を、不思議そうに見るメンバーもいる。
じゃ、今日はこれで解散です。お疲れ様でした!
みんな笑いながら「おつかれ〜」と言って、それぞれの帰路につく。僕は電車で逆方向。来て、帰って、満額支給。なんだかなあ。今日は夜勤だから、今までで一番稼げるはずだったんだけど、それが不労所得になっちゃったよ。
うーん。
でもまあ、こんな日があってもいいのかな。
民宿とか旅館だって、当日キャンセルは全額支払う事になってるもんね。
それでは、気を取り直して。
んんんー、ひゃっほーい!!