小津安二郎/浮草
近所のゲオが新装開店した、と思ったら小津の映画が消え失せていた。
「あの、すみません。新装開店前の店舗から商品をすべて移したわけではないんですか?小津安二郎の映画が見当たらないんですが……。」
「はあ、はい。すべて、というわけではないようです。」
店員さんの目が泳いでいる。
「もう一度お名前伺えますでしょうか?」
「小津安二郎です。」
「小津安二郎さんですね……(カチャカチャ)……申し訳ありません、当店には置いていないようです。」
「そうですか。お手数お掛けしました。」
と言って店を辞したのが数ヶ月前の話。
そのゲオで半額セールをやっていたのでいそいそと出掛け、グルグルと店内を歩き回っていると、もう置くのをやめてしまったのだと思っていた小津の作品がいくつかある。未見の『浮草』を借りる。(その他に借りたのは『蝿の王』『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』『ツォツィ』『サテリコン』。)
鑑賞。
……すごい。
何がすごいって、杉村春子が「美人」なのが一番すごい。
だって、あの杉村春子なのだ。うざったらしくて、嫌味で、覗き趣味があって、おせっかいで、口うるさい、そんな「近所のおばはん」を演じさせたら天下一品のコメディエンヌだと思っていた杉村春子が、どっからどー見ても美人なのだ。
女優って怖い。
いわゆる「男が夢見る女性像」を完全に演じ切っているからこんなにも美しいと感じてしまったのだろうか。(「待つ女」「耐える女」「許す女」「子を思う母」だし。)だが、そういうキャラクターなしでも杉村春子の一挙手一投足は完全に「美人(としてずっと扱われてきた女性)」のものに他ならず、観ているこちらも彼女を「もっとも大事な女性」として扱う中村鴈治郎に違和感一つ抱かない。
京マチ子や若尾文子の美貌も異常なレベルにあるのだけど(とゆーか小津映画に登場する女優さんたちは悉く恐ろしく美しいのだけど)、今回は杉村春子の存在としての説得力のようなものに圧倒されてしまった。いやはや。
そんな杉村春子の終盤のセリフ。
「いいのよ、行かせてあげなさい。ずっとそうだったんだから。お父さんがここを出て行くときは、ずっとあんな気持ちで出て行ったんだから。このままでいいのよ、このままで。いいのよ、このままで。
あんたさえ立派になってくれれば。」
内田先生の「いいじゃないか、このままで」という言葉が瞬時にダブって、映画を観終わってからも、「あんたさえ立派になってくれれば」という言葉が脳裏を去らない。
うむ、困った。