ベルナール・ラップ/私家版

ベルナール・ラップは寡作の映画監督なので、ご存じない方も多いかもしれない。
1945年生まれのフランス人で、どうも本業はジャーナリストらしい。
彼には1996年の『私家版』、2000年の『趣味の問題』と二本の作品がある。
私の生涯の十本に入るかもしれない傑作は『趣味の問題』の方なのだけれど、ここでは『私家版』について語らせていただこう。


主人公のエドワードは編集者で、作家ニコラとは30年来の友人関係にある。
そのニコラから、新作の原稿を預かることから物語は始まる。
それはチュニジアを舞台にした、ロマンチックなラブストーリーだった。
エドワードはしかし、その小説に登場するヒロインに激しい既視感を覚える。
かつてチュニジアで愛し、失った女性の面影を見る。
エドワードには深刻な懐疑が兆す。
「ヒロインのモデルは、彼女なのではないか?」
エドワードはチュニジアに飛び、彼女の妹やその娘に会う。
そして、彼は確信する。
彼女が自殺したのは、ニコラにレイプされたのが原因だった。
ここから復讐劇が始まる。
エドワードが復讐の手段に選んだのは、「アイデンティティ・クライシス」である。
ニコラの作品『愛に生きて』を出版させ、文学賞を受賞させ、ベストセラーに仕立て上げるのは、復讐の前段に過ぎない。
エドワードは小説を偽造する。
チュニジアのロマンス』と題されたその小説は、ニコラの『愛に生きて』とほぼ同じ内容だ。
ただし、いくつかの点で改変されている。
ニコラの小説で主人公とヒロインが愛し合う場面は、まがうことなき「強姦」として描き出されている。
それから、戦前に存在し今は潰れてしまった出版社から発行されたように奥付を書き換えてある。
エドワードは、『チュニジアのロマンス』を批評家に送りつける。
盗作騒動が巻き起こり、法廷闘争へと発展してゆく。
ニコラは当然、「盗作はしていない」と主張する。
だが、『チュニジアのロマンス』を読んだ彼は動揺する。
彼が「創作」した美しい愛が、事実にすりかえられているからだ。
さらに証言が追い撃ちをかける。
「彼は交通事故にあい、一時的な記憶喪失に陥ったことがある。」と。
「わたし」の存在基盤である「記憶」への確信を失いつつある彼にとどめを刺すのは、エドワードの役目だ。
ニコラは自らの書庫で、エドワードが忍び込ませておいた『チュニジアのロマンス』を発見する。
ニコラは自殺し、復讐は完了する。
物語は幕を閉じる。


私は今まさに、この『私家版』的恐怖の中にいる。
内田先生のブログや大量のアーカイブを読み込んでいくうちに、私の身体には奇妙な変化が現れ始めた。
まず、右下の歯茎が痛むようになった。(内田先生も同じ疾患を持っている。)
げげげ、と思っていたら、まったく関係のない二つの場所で、「何か武道でもなさっているんですか?」と尋ねられた。(これまで「姿勢がいいですね」と言われることはあっても、「武道」という言葉が出てきたことはなかった。)
文を読むことが、身体的な影響を及ぼすとは思ってもみなかった。
精神的な影響に関しては言うまでもない。
最近、内田先生の日記の過去ログを読み返している。
今の私には、かつての自分が内田先生に「同意」したのか、それとも「影響」されたのか、判別することができない。
自分の最近の文章を読むと、時々無自覚にパクッている。
私はそれを「自分の文章」だと思って書いたのだ。
「新しいものとは、忘却されたもののことである。」と言ったのは、フランシス・ベーコンだったか。
開き直って「師弟関係のエロス性」について書いてみたけれど、どうもうまくない。
「ことば」を扱う以上、「無主体的な主体の自覚」はしているつもりだった。
「祖述者」という立ち位置から自分自身を「立ち上げる」ことは可能だと思っていた。
これだけ内田先生にはまったのも、そもそも「あ、この人28年早く生まれた『僕』だ」と感じたのがきっかけだったし、違う時代に生まれ違う場所で育った人がこれだけ自分と似ているということが、面白くて仕方がなかったからだ。
にも関わらず、私は無自覚に同じことを書いたという事実に耐えられない。
「自分自身が書くこと」の「必然性」を見失ってしまう。
「祖述者」どころか、単なる「紹介者」でいいじゃないか、百聞は一見に若かずだよ、と思ってしまう。
私の病気は、「作家になりたい」だと思っていたけれど、その本質は「個別性への執着」にあったようだ。
私もまた、「自分の病気を治すつもりのない病人」なのだろうか。


<追記>

自分に似た人を好きになる、というのは自己愛の延長だと思われる。しかし……うまくいかないものだ。


<ついでに追記>

黒澤と小津の映画をしっかり観るまで、私の好きな映画監督はパトリス・ルコントフランソワ・オゾンアルノー・デプレシャン、ベルナール・ラップとフランス人ばかりだった。後はキェシロフスキ(ポーランド)とか。不思議とクストリッツァはそうでもなかった。「蓮實重彦とセゾンが映画館をオシャレなデートスポットにしやがった!」と町山さんが叫ぶとき、「うわー、オレ映画は完全にそっちだわ」とついつい思ってしまうのである。
では、そんな町山さんの映画批評は「あっち側」のものか、と言われれば決してそんなことはない。
そこが町山智浩のスゴイところだ。