喫茶店で本を読んでいると

七月三十日。


授業を終え、職場近くのドトールに入る。
アイスコーヒーを買って席に着き、さあ読むぞと『困難な自由』を鞄から取り出す。
女性性について語られているところを、頭からぷすぷすと煙を出しながら(口からはタバコの煙を吐き出しながら)読んでいると、そばからお声がかかる。
「営業さん?」
ん?と思って顔を上げると、目の前に座っていた老人がスポーツ新聞を広げつつこちらを見ている。
「営業さん?」
「いやいや、営業ではないです。」
「あ、そうなの?この暑いのにスーツ着てるから、てっきり営業さんだと思って。」
「はは、この近所で働いてますけど、営業はしてませんよ。」
「どうなの、景気は?」
「いやー、あまりよくはないですね。」
「こっちもだよ。オレは鋼材を扱ってんだけどさ、まあスクラップよ、客がやめちまってな、仕事なんてさっぱり来やしねえ。」
「鋼材……ってのは、鉄なんかですか?」
「うんまあそうだね。鉄とかアルミとか。」
「お客さんがやめちゃうって……。」
「中小企業を相手にしてるんだけどさ、倒産しちまうんだよな。赤字のほうが多いからってよ。」
「うわー、そうなんですか。大変ですね。」
「おう、今日はもう雨も降ってきやがったし、やめにして帰ってきちまった。」
「そうですか……あの、景気って、どのくらいから悪くなってきました?」
「そりゃあれよ、去年の十月のリーマンブラザーズの倒産からよ。」
「でも、いきなり仕事がぱったり来なくなったわけじゃないですよね?ご自身の仕事に直接的な影響が来たと感じたのは、いつごろでした?」
「そーだなあ……2、3月くらいからオレの仕事も減っちまったなあ。」
「なるほど、45ヶ月はタイムラグがあったんですね。」
だいたい自分の実感とも一致しているな、と思いながら、私はしばし考え込んでいた。
老人は私の手元にある本にチラチラと視線を送りながら、自分語りを始める。
「オレはもう73なんだけどよ、まだまだ働かなきゃいけねえんだ、自営だからよ。でもな、まだまだ80キロでも100キロでも持ち上げるぜ。」
そういって腕まくりをして力瘤を作ってみせるその二の腕には、確かに隆々と盛り上がる筋肉の塊がある。
「いやあ、ご立派ですねホントに……73にはとても見えません。」
「オレはまだまだ働かなきゃいけねえからな。退職金も厚生年金もねえんだから、この体だけが頼りよ。」
「73てことは……1936年生まれですよね。いや、こんなところで貴重な歴史の生き証人に会っちゃいましたね。」
終戦時に9歳。
大江健三郎と近い歳だ。
価値の「崩落」現場に立ち会ったと言える歳ではないだろうけれど、なにかしら感じるところはあったかもしれない。
私はぐっと身を乗り出して、身を乗り出すだけでは足りずに、荷物をまとめて老人の席の隣に移動した。
「これはお話をじっくり伺わせていただかないと。」
そうして私は老人と一時間以上に渡って話をした。
自分の好奇心ばかりを優先させるわけにもいかず、終戦直後の話を聞くことは叶わなかったけれど、十分に愉快な時を過ごした。
それは「秩父事件」や「菊池寛平」や「井上伝蔵」や「アイシンギョロ」や「大塩平八郎」や「復明坑清」や「大逆事件」や「幸徳秋水」や「中江兆民」や「ルソー」や「モンテスキュー」や、「足尾銅山」や「田中正造」や「平塚らいてふ」や「芥川」や「太宰」や「金融」や「資本主義」や「民主主義」や「中華思想」や「八路軍」や「国民党」や「共産党」を巡る長い長い話で、中高のころに習った歴史知識をフル回転させての(全然足りなかったけど)会話になった。
「私たちは同じ事柄を知っている。」
ただそれだけのことが、42年隔たって生まれた私と老人を、ひどく簡単に結びつける。
教育の意味を十分すぎるほどに感じた一時間だった。
けれどその時間の中に、老人が大学に行っていないことを恥じる時間や息子さんが私の出身高校の受験に失敗した話(その息子さんはいまは某有名企業の部長さんになっているのだそうだ)があったのには、後ろめたい思いをさせられた。
ふとしたきっかけで話がいくらでも続いてしまうので、老人はふんぎりをつけるのに苦労したようでもあった。


アイスコーヒーは空になっていたので、私は河岸を変える事にした。
大宮に帰り、一番街のドトールにまた入る。
そこでも私は同じように本を開き、頭から煙をぷすぷす出しながら(だって難しいんですもの)読みふけっていた。
すぐそばにいた若い女性の二人組は、席に座るときに私が彼女たちの荷物を動かしてもらったこともあって、どうも私と本のことを気にしているようだった。
その彼女たちは、ひたすら大きな声で性的な話に終始していた。
そんな言葉を聞き取っていたという事実すら恥ずかしいのだが、それは例えば「おっぱい」とか「乳輪」とか「パイ毛」とか「やっちゃう」とか「略奪愛」とか「いまの職場なら誰と付き合う」とか「男のひとのあそこってどうしても見ちゃう」とかそんな話を延々と続けていたのである。
一人は、「ほらほら、ちょっと見てよー」と言いながら自分の胸元を開けて、友人に見せてさえいた。
絶対に見ない。
死んでも見ない。
私は眼前の書物に集中力を結集しながら、涼しい顔を保つのに一苦労だった。
キミたちは、きっと中学や高校でも、勉強しているひとを見かけては周りで騒いでいたんだね。
勉強のできない自分に焦りを感じて、でも日々の生活を変える事ができずに、ただ周りのひとたちが勉強ができるようになって自分とは違う世界に行ってしまうことを恐れていたんだ。
そうして、きっとキミたちは友達だと思っていた人たちがどこかに行ってしまって、寂しい思いをしたんだろう。
自分が勉強ができるようになるなんて夢にも思わないまま、これからの人生を生きていくんだろう。
いまならできるようになるのに。
やってみれば、わかるのに。
私は心の中で念仏を唱えるようにして彼女たちに語りかけながら、かろうじて注意を奪われていないふりをつづけることに成功した。
帰り際にも一切そちらは見なかった。
よくやったぞオレ、と思った。
だが残念ながら、私がレヴィナスの文章をさっぱり理解できなかったという点で彼女たちの目論見は大成功を収めていた。