無名草子五 涙

五 涙


 又、「あまた世にとりていみじきことなど申すべきにはあらねど、涙こそいとあはれなるものにて侍れ。情けなき武士(もののふ)の柔ぐことも侍り。色ならぬ心のうちあらはすものは涙に侍り。いみじくまめだちあはれなるよしをすれど、少しも思はぬことにはかりにもこぼれぬことに〔侍るに〕、はかなきことなれどうち涙ぐみなどするは、心にしみて思ふらむ程、推し量られて、あはれに心深くこそ思ひしられ侍れ。亭子の帝の御使にて、公忠(きんただ)の辨の、『なくを見るこそあはれなりけれ。』と詠みけん、理にぞ侍るや。」といふ人あれば、


<現代語訳>


五 涙


 また、「本当に人生において大事なことなど語ることができるとは思いませんが、涙ならば間違いはないでしょう。情けなど持ち合わせぬ武士ですら穏やかにさせるのです。誰にも見せない心のうちを、涙は表すことがあるのですから。どんなに深刻な思いがあっても、伝わらなければ涙などこぼれるはずもないのに、ふと涙ぐんでしまったりするのは、ああそれほどの思いがあったのだと思われて、しみじみと感じ入ってしまいます。宇多天皇さまのお使いであった公忠さまが『なくを見るこそあはれなりけれ。』とお詠みになられたももっともなことではありませんか。」と言う人もあれば、