日記4日分

11月3日から7日まで。
11月3日の文化の日は、朝8時から試験監督のバイトがあったため6時半起床。
前夜から若干緊張気味だったためか、目覚まし時計が鳴る前に目を覚ます。
お昼の休憩時間に蕎麦屋でかけそばとおにぎり一つを食べ、アイスコーヒーを飲む。
17時に終了。
帰宅し、ポテコだのピザだのやけにジャンクなものを食べながらビールを飲み飲み『ジェイン・オースティン』を鑑賞する。
あれ?終盤ものすごく感動したところがあったんだけど、どういう場面だか忘れてしまった。
その後ラジオを聴いているうちに意識を失う。
4日の木曜日も自然と6時ごろに起床。
コーヒーを飲みながらいつものサイトを巡回する。
奥さんが起きてきて、牛乳が切れていることに気付いた途端、床にへたりこむほど衝撃を受けているのを見て腹を抱えて笑う。
後から考えるとココで「なんで牛乳切らしちゃうのよ」なんて責められ「なにおう」と応戦したりして小競り合いが起こってもおかしくはない状況だったんだけど、奥さんは僕が爆笑しているとなんだか楽しくなってしまうひとなので、とくに問題にはならないのであった。
朝食はハンバーグサンド。
昼過ぎから『卒業の朝』という映画を観る。
ケビン・クライン扮する歴史教師が、転校してきたわがままな政治家の息子に手を焼く、というのが話の大筋。
その転校生が見せる一瞬の情熱や知性のきらめきに教師が覚える喜びや、不正を発見してしまったときの落胆に一つ一つ共感を覚える。
夕方から仕事へ。
宿題を出さない男の子を感情にまかせて怒鳴りつけてしまう。
彼はまたさらに勉強が嫌いになったことだろう。
唐木順三という人の、『詩とデカダンス』からの抜粋を題材に問題演習をする。
唐木が問題にするのは「人間の断片化」だ。
人間が個人的な時間の連続性から切り離され、瞬間的刹那的存在へと変容していくことにより、過去を思わず未来を見ず、生きて年輪を重ねることのない人間らしからぬ人間になってしまうと彼は危惧する。(僕はこの論旨には同意しないけれど。)
その原因として挙げられているのは2点。
一つはラジオやテレビなどの「電波ジャーナリズム」。
もう一つは労働の「分業化、専門化、機械化」だ。
労働について語っている部分、中でも機械化によって労働者に個性や経験が求められなくなる、という部分に触発されて、期待されてもいない思い出話を一つ披露する。
こんな話だ。
学生時代、友人に誘われて「治験」のアルバイトをやりかけたことがある。
誘ってくれた友人は都合が悪くなってしまい、僕は一人で説明会場となる病院へ向かった。
たしか、渋谷からバスに乗っていったと思う。
会場には数名の白衣を着た研究者風の男女と、これから被験者となる五六人の男性がいた。
実験は2週間ほど。一日数度薬を飲む。不規則な生活と飲酒を避ける。
それでいくら貰えるはずになっていたのかは覚えていない。
被験者に課せられる義務に、特段の不満はなかった。
けれど、僕は結局「2週間禁酒するのは厳しい」という理由で、アルバイトを断ってしまった。
研究者の人達が「わざわざ足を運んで下さったのにすみません。事前にしっかり説明しておくべきでした」と(彼らから僕が説明を聞く機会なんてなかったのに)謝ってくれたのが、かえって心苦しかった。
僕は嘘をついたのだ。
禁酒するのがイヤだったのは本当だけど、それで断ったわけじゃない。
真の理由は、他の参加者達にあった。
よく覚えているのは初老の男性と、三人組の僕よりも年下の男の子達だ。
初老の男性からは、人間らしい生気のようなものが一切感じられなかった。
金髪で派手な格好をした三人組の男の子達は、喃語のような未分化の単語を発しては、ただひたすら笑いあっていて不気味だった。
僕はそこにいて、その人達と一緒に実験に参加するのが恐ろしくて仕方がなかったのだ。
今になって冷静に振り返れば、別に参加したからといって、その人達と共同生活を送らなければいけなくなるわけでもない。
ただその場と、終了後に再度顔を合わせる機会をやり過ごせばよかっただけの話だ。
でもその時、僕は心底恐怖を感じていた。
とにかく、その場から一刻も早く立ち去りたかった。
断りの挨拶を入れて、僕は実際すぐにその病院を後にした。
そうして、バスの停留所のそばの公園で『武器よさらば』を読んでしばらく時間を潰してから、バスに乗って帰った。
いつごろからそう考えるようになったのかははっきりしない。
帰宅する途中だったか、その出来事からずいぶん経ってからなのか。
「あそこで求められていたのは、ただ『ヒトであること』だけだった。」
この言葉にたどり着いた時、僕はあの時感じた恐怖の根源にあったものの正体を突き止めたような気がした。
と、そんな話をして、勉強することの意義を語りまくる。
塾や義務教育課程で「個性や経験」を身に付けるというのもおかしな話なのだけど、不思議と話している最中には気にならなかった。
授業後に二人面談。
やけに長引かせてしまって、色々と反省する。
帰りの電車で網野善彦の続きを読む。
まだ古墳時代
ふと、吉本隆明の兄が働いていた商店街の会長さん(だったかな?)の「お墓は、ちいさいほどいいんだよ」という言葉を思い出す。
帰宅すると、奥さんは金沢への旅行に出発した後だった。
友人の編集者の付き添いで、宿と食事は全額向こう持ちなのだそうだ。
ただ、取材のために食事の回数が異常に多くて大変らしい。
書き置きが残されていた。
「たんたろへ
  いってきます
   泣くなよ
     まんた」
僕は泣きません(つよがり)。
その後何をしていたのか、さっぱり覚えていない。
金曜日は昼頃起きた。
油そばを食べるべく三時前に要町の麺舗十六に行こうとするも、返却するDVDを忘れて一旦マンションに戻ったためタイムオーバー。
気を取り直して要町に行き、コーヒー豆買って、DVD借りて(『戦場でワルツを』と『スティング』)、ラーメン食べて、ドトールでアイスコーヒー飲んで、と判で押したような金曜日を過ごす。
マンションに帰ってきてから、某女子大の学生さんの修士論文をWEBで読む。
全共闘運動経験者のオーラルヒストリー その実践と考察」というのがそのタイトル。
全共闘運動を主題にした本を読んだことがなかったので、非常にありがたかった。
新左翼の定義を誤解していたことに気付いたり、様々なセクトについての知識を整理したりすることができた。
そういえば僕もむかし、卒論をWEBにアップするからデータで頂戴、と言われていたのにさっぱり忘れていたな。
ま、それはいっか。
読み終えて肩がバリバリになってしまった。
明日はもうすこし早起きしよう、と思いつつも三時ごろまでサイト巡りを続ける。
土曜日は昼から坂本龍一のust中継を聴いた。
居間から風呂場までドアを全開にして、ゆっくりとお湯に浸かりながら、響いてくる音楽に耳を澄ませる。
最高の気分。
いい時代に生まれたなあ、とか、坂本龍一の音楽にはバリアがないなあ、とか、のんきなことをつらつらと考える。
何の脈絡もなく、自分を愛するというのはその自分を作り上げた世界を愛することで、世界を愛することは、飢餓や貧困や暴力や差別や不正や搾取も「込み」でなければ愛したことにはならないのではないか、という無体な想念が湧く。
4時ごろ、ロコモコ丼を作成して遅い昼ごはん。
食後すさまじい眠気を覚えて、ベッドにバタリと倒れこむ。
6時過ぎに昼寝から覚め、あ、あれ読もう、と思って山形浩生の翻訳した『アイアンマウンテン報告』を読み始める。
途中豚汁と、牛肉ともやしと玉ねぎの炒め物で夕食。
ビールを飲みながら、ひたすら続きを読む。
『アイアンマウンテン報告』というのは、1967年にアメリカで出版された偽書のタイトルだ。
ユーモアに溢れた筆致で、まずは出版についての経緯が書かれている。
1950年代にイエール大学で生まれた風刺雑誌「モノクル」。
その編集者兼出版者ヴィクター・ナヴァスキーとその同僚達は、雑誌の売れ行き低迷から、低俗で下らない本の出版にばかり手を染めるようになる。
けれど生来の生真面目さ(?)からか、やがて学究的な本を作り始め、それと同時に売り上げも下がっていく。
ある日彼らのオフィスで、ニューヨーク・タイムズの一面の見出しが注目を集めた。
「平和におびえて」、証券市場が暴落したというのだ。
この見出しが、『アイアンマウンテン報告』が書かれる、直接のきっかけとなった。
彼らは想像力を働かせて、政府の召集したタスクフォースが戦時経済から平和経済への移行を不可能だと結論付ける報告書を提出し、それが発禁になったという設定で本を一冊作る企画を立ち上げる。
そして偽書の著者、レナード・リュインは、同僚達と多くの人々の助けを借りて、この報告をでっち上げた、というわけだ。
報告は、とにかく刺激的な言葉に満ちている。
例えばこんな具合だ。
「永続的な平和は、理論的には不可能ではないが、おそらく実現困難である。達成できるにしても、それが安定した社会の最大利益と一致しないことは、ほぼ確実といえる。」
「戦争は確かに、国家および社会の政策ツールとして「利用」されるが、何らかの戦争準備態勢を中心に社会が組織されているという事実は、その経済構造や政治構造に先立っているのである。戦争そのものが、基本的な社会システムなのであり、その中での合従連衡は、副次的な社会組織の様式によるものでしかない。」
「経済システムや政治哲学や法体系のほうが、戦争システムに奉仕し、それを拡張するものであって、その逆ではないのだ。」
「明文化された法の起源は、軍事における勝者が敗北した敵を扱う際に定めた処理規則にあり、それが後に配下の人民すべてに適用できるよう変更されたと信じるに足るだけの理由がある」
「転換期にある社会の好戦的な者、虚無的な者など、潜在的な不穏分子を制御するツールとして、徴兵は「軍事的」必要物なのだ、という説は筋が通っているし、非常に説得力があると言えよう。」
「美的基準と道徳的基準は、文化人類学的に共通の起源を持つ。それは勇敢さの発現、すなわち部族間戦争においてすすんで敵を殺し、おのれの死の危険をすすんで冒そうという意志の表明なのである。」
調子に乗って、少々書き抜きすぎたかもしれない。
ところどころで「ひえー」とか「ぐはー」とか言いながら盛り上がってしまうので、どうにも読むのが止まらなくなってしまった。
この報告には悲しいオチが付いている。
著者は出版から5年経って、それが自身の手になるでっち上げであることを告白した。
ところが、極右団体はそれを「隠蔽工作」と捉え、より一層この報告が真実であると信じ込む結果を招いた。
さらに著者が嘆くのは、「現実が創作物を越えてしまった」ことだ。
国民を欺いてベトナム戦争を拡大していったアメリカ政権の内幕を暴露した「ペンタゴン文書」。
続く括弧のなかに恐ろしい言葉が入った「パックス・アメリカーナ」調査(ラテンアメリカ征服法)→これについてはネットを調べるも未詳。
中立を装いつつパキスタンのインドへの攻撃を支援する方途を探るために設立されたキッシンジャーの「特別アクショングループ」。
「道徳的にも知的にも荒唐無稽」でしかない代物が、「高次戦略思考」として政府内で流通する現実は、「『アイアンマウンテン報告』とどっちがどっちのパロディだかわからないほど」だった、というのだ。
「悪ふざけもここまでくるとアートだな」と思って笑いながら読んでいたけど、さすがに笑えなくなってしまった。
読み終えたのは早朝だった。
僕はツイッターに、
「やっと『アイアンマウンテン報告』を読み終わった。山形浩生みたいなひとの仕事を見てると、本当に誤字の指摘なんかして足を引っ張りたくないな、という気持ちになる。誤字は美を損ねる、というところは譲れないけど、知的運動体の活動を阻害しないことも同じくらい大事だ。」
という書き込みを残して寝た。
サイト上の『アイアンマウンテン報告』は誤字脱字の嵐だったけれど、きっと出版されたものはあれほどひどくはなかっただろう。
以前山形浩生が紹介していた『プルーストイカ』という本についてツイッターに書いたとき、僕は自分自身の気持ちを山形浩生に仮託して「悪意」だのなんだのと書いてしまったので、何だか申し訳ないような気持ちもあった。
その後訂正する機会もなかったのでここに書いておくけれど、山形浩生が『プルーストイカ』をあれほど絶賛していたのは、ディスレクシアの息子の前で葛藤するメアリアン・ウルフに、もどかしくも進まない途上国支援系の業務の前で幾度も絶望を味わってきた彼自身の姿を読み込んだからではないかと、今では思う。(これも「投射」かもしれないけれど。)
日曜日は昼前に起きた。
起きてすぐにパソコンの電源を入れ、ツイッターのタイムラインを眺める。
心なしか、画面から深い疲労感とため息の気配が漂っている。
気のせいだな、うん。
夕方からしこたまブログを書きました。
遅くに奥さんも金沢から帰ってきて、お土産に「柿の葉寿司」と「チャンピオンカレー」と「富山黒醤油ラーメン(2食入り)」等々を入手。
いつの間にやら、早朝4時になってしまった。
さ、そろそろ寝よ。