「玉藻」9

「ごちそうさまでした。おいしかったあ。」
 何はともあれ、晩ご飯は終了した。自分の食べた食器ぐらいは片付けようとしたら、シホとマコ姉にギロリと睨まれ(私たちまでしなきゃいけなくなるだろ、って意味だと思う)、しかも台所の前で京子伯母さんに、
「男子厨房に入らず。」
と言われて追い払われてしまった。その後縁側でおじいちゃんと囲碁を打っていたら、
「『孟子』に書かれている内容はすこし違っているんだが……まあ、千代子と京子の意思だからね。尊重してあげるといい。」
と穏やかに諭された。
ぼくはその晩、気付いたときには敷かれていた布団で、ぐっすりと眠った。


「翔太、ちょっと手伝ってもらえないか。」
 翌朝、朝食を食べ終えると、おじいちゃんは言った。何を、と聞くと、蔵の整理なんだが、という答えが返ってきた。詳しく聞いてみると、裏庭にある蔵には先代までに収集された文字通りの蔵書が詰まっていて、かなり乱雑になっていたのを整理したいと思っていたのだという。
「汚れ仕事になるよ。頼めるかい。」
ぼくは仕事次第で断ろうと思って詳しく聞いたんじゃない。最初から引き受けるつもりで聞いてたんだ。もちろん、と答えると、おじいちゃんは、そうか、助かるよ、と言って微笑んだ。
 おじいちゃんとぼくは、手ぬぐいをマスク代わりに巻いて、蔵に向かった。まず、おじいちゃんから手順の説明を受ける。蔵の入り口の前に新聞紙を敷く。その上に蔵から運び出した蔵書を積み上げる。中の棚が空いてきたら、蔵書目録どおりの順序で棚に入れていく。
ということで、ぼくとおじいちゃんはいそいそと働き始めた。蔵は六畳ほども広さがあって、明り取りの窓はそれほど大きくない。薄暗いところではわからないけど、外に出ると、本にはかなり埃が積もっていたことがわかる。服にもかなり埃がつく。確かにこれは汚れ仕事だ。とりあえずひとつ棚を空けないことには話にならない、ということで、重点的に片付ける棚を決め、片っ端から本を出していく。新聞紙の上にできるだけ本のタイトルが見えるようにおいて、目録と照らし合わせてみると、それらの本が置かれていた棚に戻せる本は、半分くらいしかない。
「おじいちゃん……ご先祖様、ずぼらだったんだね。」
「いや、まさかこれほどとは。」
二人で顔を見合わせて、ぼくたちはひとしきり笑った。
 どうやら、手順を変更したほうがよさそうだ。棚は一面に四段あって、計十二の棚がある。新聞紙を棚の数だけ広げておいて、ひとつだけ分配用のスペースを用意する。まずは分配用のスペースに蔵書を運び出して、そこから各棚に割り当てた新聞紙の上に置いていくことにしよう。
「じゃあ、ぼくが蔵から本を運び出すから、おじいちゃんは目録を見ながら本を配っていって。」
 ぼくはせっせと本を運び出し、おじいちゃんはパラパラと目録をめくりながら、本を置いていく。おじいちゃんも最初は分厚い目録から本のタイトルを探し出すのに苦労していたみたいだったけど、そのうち分類の規則を掴んで、パッパと本を配れるようになってきた。
 けれど、夏の太陽がぼくたちの行く手を阻んだ。朝の八時ごろから働き始めて、三時間もすると日差しも気温も、働き続けられるレベルではなくなっていた。本の運び出しはまだ四分の一程度でしかなかったけど、今日のところはこれくらいにしよう、というおじいちゃんの提案に、ぼくは一も二もなく賛成した。表に出していた本にはブルーシートをかけておいた。おばあちゃんに外から声を掛けて出してもらった麦茶が最高においしかった。
「こうなったら最後までとことんやろうよ、長期戦の覚悟で。ね、おじいちゃん。」
「そんなに甘えてもいいものかな。いや、少々見積もりが甘かったようだ。」
「気にしないでよ。これはぼくの意思だからね、尊重してもらわなくちゃ。」
 ぼくが昨日のおじいちゃんの言葉で反撃すると、おじいちゃんは、これは一本取られたね、と言って、気持ち良さそうな笑い声をあげた。