「玉藻」10

 結局、作業完了までには一週間かかった。ぼくとおじいちゃんは毎朝早めに朝食を済ませ、日が高くなる前に作業を終え、昼食をとってから午後の時間を過ごした。午後には近所の市民プールに泳ぎに行ったり、おじいちゃんに映画館や喫茶店に連れて行ってもらったり、セミやカブトムシの取り方を伝授してもらったりした。そんないかにも夏休みといった時間も、もちろん楽しかった。でも、午前中の蔵の整理には、どこか自分を特別な存在だと感じさせてくれるような、そんな喜びがあった。尊敬するおじいちゃんと一緒に過ごして、たくさん話を聞けること。おじいちゃんが、ぼくの話に真剣に耳を傾けてくれること。そして何よりも、貴重な本の扱いを、ぼくに任せてくれること。蔵の中には、昭和や明治どころか、江戸時代や、なんと室町時代の古書まで所蔵されていた。一度テレビで、白い手袋をつけた博物館のひとが、とても大事そうに古書を扱っているのを見たことがある。そんなものを、おじいちゃんはぼくに運ばせてくれたのだ。おじいちゃんは毎日のように「ありがとう」と言ってくれたけど、それはぼくからおじいちゃんに伝えたい言葉でもあった。
 ただ、蔵の整理を終えて、ひとつだけ問題が残った。
 目録に載っていない古書が見つかったのだ。それは他の古書に比べてひときわ古びて見える本だった。室町時代の古書よりもずっとだ。おじいちゃんとぼくは、この本を碁盤のようにじっと見つめながら、すっかり考え込んでしまった。すると、おじいちゃんが突然言った。
「よし、翔太。この本はお前のものだ。」
 ぼくは口を開けて呆然とする以外に、どうしようもなかった。しばらく放心状態で、ようやく口にすることができたのも、言葉にならないような言葉ばかりだった。
「で、な、だ、ダメだよそんな。こまっ、ぼくっ。」
 でもおじいちゃんは、冗談で言っているつもりはまったくなさそうだった。
「まあいいじゃないか。こうして私たちが見つけなければ、いつまでも埋もれたままで、火事で焼けていた可能性だってある。学術的な観点からは私の振る舞いは完全に失格しているだろう。だが、もしかしたらこの一冊が、お前を大きく育てるかもしれない。どうだろう、翔太。受け取ってくれないか。」
 おじいちゃんの目は、真剣そのものだった。ぼくには、断ることができなかった。

 その日の晩、ぼくは布団に入る前に、居間の縁側にそっと本を置いた。おばあちゃんから端切れをもらって包んでおいた、その包みを開いた。ぼんやりと、表紙を眺めた。改めて、とんでもないことになった、と思った。なんだかとてつもなく貴重なものなのに、その持ち主たるぼくは、この表紙に書かれたくねくねした文字すら読めないのだ。どうしたらいいんだろう、と途方に暮れてしまった。途方に暮れたまま、じっと本を眺めていた。
「月明かりに学ぶか少年よ。ずいぶん渋い絵だな。」
 突然の声に振り向くと、マコ姉が立っていた。マコ姉はドスドス布団を踏みつけながらこっちに歩いてきた。ぼくはとっさに本をかばうような体勢を取った。
「どったの、それ。」
 マコ姉は顎で本を示しながら尋ねた。
「蔵の整理してて、おじいちゃんにもらったんだ。」
 ほほう、と言いながら、マコ姉はぼくをグイと押しのけて本をまじまじと見た。ぼくはなんとか本を守ろうとしたけど、マコ姉は押しても引いてもビクともしなかった。