「玉藻」12

ぼくははしゃぐマコ姉をじっと睨みつけていた。何も答えなければ、すこしは頭を冷やしてくれるかと思ったからだ。信じられない。ぼくは身体の芯から震えるような怒りを覚えていた。マコ姉は、ひたすらお祭り騷ぎを続けていた。
「勝手なことしないでよ。誰が売っていいって言ったんだ。絶対に売らないよ。ごめんなさい売れませんって謝罪のメール、今すぐ書いてきてよ。」
 ぼくは自分でも聞いたことがないような声で喋っていた。マコ姉もようやくぼくが本気で怒り狂っているのに気付いて、すこし落ち着いたらしかった。
「なんだよ、そんなに怒るなよ。いーじゃないか、どうせ昨日まで翔太のモンじゃなかったんだろ?最初っから貰わなかったと思えばいいじゃないか。百万円が空から降ってきたみたいなもんなのに。」
「売らないったら、売らない。いい加減にしろよ!」
 ぼくは全身全霊を込めて怒鳴った。その直後、ぼくをかわいい孫だと思ってくれているおじいちゃんおばあちゃんを、もしかしたら悲しませたんじゃないかと思ってすこし後悔した。でも、どうしても譲れない。
 マコ姉もぼくの剣幕にさすがに諦めたらしく、あーあ、興醒め、とぶつぶつ言いながら、またパソコンのある部屋に去っていった。ぼくはイライラが止まらずに、ずっと部屋を歩き回っていた。誰かにどうしたのと聞かれて、事情を話すような羽目には陥りたくない。とにかく気持ちを落ち着けよう、と思って、ぼくは散歩をすることにした。

 一時間ほどして、ぼくは家に戻った。イライラはなかなか消えなくて、景色もほとんど目に入らなかった。でもなんとか平常心らしきものを取り戻して、すくなくともマコ姉以外の相手なら普通に話ができそうな精神状態だ、と判断してから帰ってきた。
 ところが、家に上がり、居間に入ったぼくの目に飛び込んできたのは、寝っ転がって『玉藻』のページをめくる、マコ姉の姿だった。ぼくはこめかみのあたりに激しい痛みを感じながら、かろうじて問い掛けた。
「マコ姉、何してるの?」
「おかえりー。いや、気になっちゃってさ、百万出しても買いたいっていう奇特なひとがいるって、本の内容が。あ、断りのメールは出しといたから、安心しなよ。」
 ぼくは自制心を最大限に発揮しながら、マコ姉に近付いた。自分を必死で抑えなければ、飛び掛ってしまいそうだったからだ。ぼくはゆっくりゆっくりマコ姉の隣に座ると、『玉藻』の端を掴んだ。直接手で触るのを避けられるほどには、理性は働いてくれなかった。