「玉藻」13

「触らないでよ、ぼくの本に。」
 マコ姉はさっきの出来事なんて覚えてないみたいに、いつもの調子で答えた。
「いーじゃん。どーせあんた読めやしないんだから。」
 この一言で、またぼくの理性は決壊してしまった。
「いいから返せよ。勉強してすぐに読めるようになってやる。」
 まだ、マコ姉は手放さない。
「放せよ、ブスマコ。」
 ぼくは手に軽く力を入れていた。マコ姉は、「ブスマコ」という言葉に一瞬反応して、ページをめくっていた手に力を入れてしまった。
ビッ。
二人が飛び退るようにしてその場を離れたのは、ほとんど同時だった。聞こえてはいけない音がした。マコ姉は身体をのけぞらせたまま、硬直していた。元々大きな目が、さらに大きく見開かれていた。ぼくだけが、ふらふらと本のそばに近付いていった。
確かめたくはなかった。でも、確かめないわけにはいかなかった。確かめずにいられなかった。ちょうど開かれていたところ、右側のページ。綴じたところから一センチくらいの上端に、ほんの三ミリほどの、けれど否定することのできない破れが生じていた。
もう、わけがわからなかった。ぼくの胸の真ん中に突然ブラックホールができて、すべての内臓を飲み込もうとしているような、今まで味わったことのない苦しみが襲ってきた。ぼくの口からは、そんなつもりもないのに、う、う、という音が漏れた。マコ姉と目が合った。不思議と怒りは湧かなかった。マコ姉の表情は悲痛な叫びに満ちていた。ぼくもきっと、同じような顔をしているんだと思った。ぼくの口から、言葉がこぼれ落ちた。
「お、おじ、おじいちゃん、おじいちゃんがぼくに託してくれ、たんだ、し、信頼してたから、信頼してくれたからぼくのものだって、言って、言ってくれたのにぼくは、だい、じにしようと思ってたんだ。思ってたからおばあちゃんに端切れをもらって包んでたんだ。それなのに、それなのにそれなのにぼくは……。」
 それから先は嗚咽にしかならなかった。泣いたらダメだ、泣いたら涙がこぼれる、涙がこぼれたら本が濡れちゃう、ダメだダメだと思っているうちに、パタッ、パタタッと本に涙が落ちる音がした。どうしようもなかった。ぼくはただわあわあと泣くことしかできなかった。他に何もできなかった。
 不意に顔から肩、背中にかけて圧力を感じた。ぼくはわあわあ泣き続けていた。マコ姉がいつの間にか起き上がり、ぼくを抱きしめているのだった。
「ゴメンゴメンゴメンゴメン、翔太ゴメン私が悪かったよ。全部私が悪いんだ、ゴメンよ、ゴメンよ、許して翔太ゴメンよゴメンよう……。」
 ぼくはわあわあ泣き続けて、マコ姉はゴメンゴメンと謝り続けた。その時間はいつまでもいつまでも続くような気がした。背中にサラサラとマコ姉の長い髪が当たっていて、ぼくはなぜか天使に抱きしめられて慰められているような幻影を見た。マコは、悪魔の革命姉ちゃんのはずなのに。諸悪の根源のはずなのに。