郵便配達は二度ベルを鳴らす/ボブ・ラファエルソン(最終版)

フランク(ジャック・ニコルソン)がヒッチハイクしてたどり着いたのはツイン・オークスというガソリンスタンド兼食堂だった。
経営者はニック・パパダキスというギリシャ系移民。
見え見えの演技で食い逃げしようとするフランクに、ニックはしかし、「うちで働かないか?」と誘いかける。
フランクを同意させたのは、ニックの美しい妻、コーラ(ジェシカ・ラング)の存在だった。
ニックが出掛けた隙を突いて、フランクはコーラを暴力的な仕方で屈服させる。
二人の関係は、ニックの目を盗んで続けられる。
二人は駆け落ちを試みるが、駅でギャンブルに興じるフランクにあきれ果てたコーラは、彼を置いてツイン・オークスに帰ってしまう。
フランクもまたツイン・オークスに戻る。
ギャンブルで勝ち取った金をコーラに渡す。
コーラは再びフランクとの生活への欲望を沸き立たせる。
二人は、ニック殺害を思い立つ。
一度目は、突如の停電で失敗に終わる。
ニックは回復し、二人の陰謀に気付かないどころか、フランクに「命の恩人」として感謝を捧げる。
二人は再びニック殺害を試みる。
前回よりも周到に計画を練って。
ところが、アクシデントが発生し、フランクまで大怪我を負ってしまう。
入院中のフランクを検察官が訪問する。
検察官は、フランクの前科を数え上げる。
そしてニック・パパダキス殺害容疑でコーラとフランクが公訴されることを告げるのである。
フランクはその場で、ニックに一万ドルの生命保険が掛けられていたことを知る。
フランクは動揺する。
検察官はフランクに迫る。
「お前が罪を逃れたいのなら、方法は一つしかない。この書類にサインしろ。」
その書類とは、コーラを傷害罪で告訴するための訴状である。
フランクはサインする。
弁護士キャッツの登場。
「二度とサインするな。」
「本気じゃなかったと彼女に伝えてくれ。」
法廷。
検察官は保険会社の人間を証言台に呼び、彼女の殺害意図を説明させる。
畳み掛けるように、フランクからコーラに対する訴状を読み上げる。
狂乱状態に陥るコーラ。
キャッツは有罪を認めざるを得ないと発言し、休廷を要求する。
控え室にて、コーラの供述書が作成される。
コーラはすべてを告白する。
すべては終わった、かに見えた。
だが、それはキャッツの仕組んだ茶番だったのである。
暗躍するキャッツ。
彼は二つの保険会社の人間を引き合わせる。
そして、取引を持ちかけるのである。
一方にニックの死亡保険金一万ドルを支払う会社がある。
もう一方に、フランクに賠償金二万五千ドルを支払う会社がある。
コーラの有罪が確定すれば、フランクへの賠償金が発生する。
コーラが無罪になれば、支払いは一万ドルで済む。
ならば賠償金を支払う会社が保険金を引き受けることで、トータルの支払額は一万ドルに留まり、その場の誰もが得をする、というわけだ。
取引は成立し、コーラとフランクは無罪放免となる。
二人はツイン・オークスの新たな主人となる。
スキャンダラスな報道によって有名人となったコーラの店に、大勢の客が押しかける。
フランクはろくに働こうとしない。
そんなフランクに苛立つコーラ。
店に、コーラと同郷の男がやってくる。
そして彼女の母の健康状態が芳しくないことを伝える。
コーラは郷里へ帰る。
フランクはしばらくは働くものの、やがて店を閉める。
そこに、サーカスに動物を運ぶ男がやってくる。
フランクはその男の車に同乗し、サンディエゴに旅立つ。
サーカスの女と一夜を過ごして、フランクはツイン・オークスに戻る。
コーラもツイン・オークスに戻ってくる。
店から客の姿は消えている。
しかし、コーラはフランクを叱りつけはしない。
それどころか、フランクに「あなたがすべてなの」と涙ながらに告げる。
ツイン・オークスを、弁護士キャッツの助手だった男が訪ねる。
かつてコーラがすべてを自白したときに、供述書をタイプしていた男だ。
あの供述書はいま、オレの手元にある。
銃を片手に、男はフランクに一万ドルを要求する。
フランクは男をねじ伏せて銃を取り上げる。
そして、男に車を運転させ、供述書が保管されている銀行へと案内させるのである。
供述書を取り戻したフランクを待っていたのは、態度を豹変させたコーラであった。
寝室には、「怠惰で使い物にならないケダモノ」が横たわっている。
フランクの留守に、サーカスの女がやってきて置いていったのである。
コーラはフランクの浮気を知って怒り狂っているのだ。
「あなたは変わらないのよ、永遠に。」
夜が明ける。
フランクはコーラにプロポーズする。
コーラはプロポーズを受諾する。
教会から出てくる二人。(ここでフランクはおそらく、二度目の「サイン」をしている。)
幸福なピクニック。
帰ろうとするとき、コーラは気分が悪いと訴える。
帰り道に事故が起こる。
車から放り出されてコーラは死ぬ。
その脇で泣き崩れるフランク。
映画は終わる。


原作は1934年に出版されたジェームズ・M・ケインの小説。
そこでは、コーラの事故死によってフランクが罪を問われ、死刑になるまでが描かれている。
この映画における解釈の「正解」は、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』というタイトルと、翻訳者による文庫版後書きで明かされている。
アメリカでは郵便配達はいつも玄関のベルを二度鳴らすしきたりになっている。つまり来客ではないという便法である。それに郵便配達は長年の知識でどこの何番地の誰が住んでいるかをちゃんと知っているから、居留守を使うわけにはいかない。二度目のベルは決定的な報を意味する。それと同じようにこの小説では事件が必ず二度起こる。パパダキス殺しは二度目で成功する。法廷の争いも二度ある。自動車事故も二度、フランクも一度去ってまた帰る。そしていつも二度目の事件が決定打となるのである。この題名はこの本が献げられた脚本家ヴィンセント・ロウレンスの示唆によるものだそうである。」
上記で挙げられた以外にも、「二度」あるいは「再帰性」のモチーフは対象を変えて繰り返される。
フランクの女遊び。(一度目はコーラ、二度目はサーカスの美女。)
猫。(一度目は猫、二度目はライオン。)
過去からの訪問者。(一度目はフランクの前科を知っていた検察官、二度目はコーラの同郷の男。)
車の落下。(一度目はパパダキスを乗せた予定通りの、二度目はフランクを乗せた予定外の。)
二度目には、常に「死」や「破滅」がまとわりついている。
おそらく「郵便配達人」は神の比喩であり、神の鳴らす一度目のベルは人間の登場(生誕)を知らせ、二度目のベルは人間の退場(死去)を知らせる、ということなのだろう。
けれど、同じ「正解」を繰り返すために映画をリメイクする人間はいない。
再帰するもの」は、そこにはらむ微細な差異を検知せよと視聴者に迫っているはずである。
果たして、私がボブ・ラファエルソンのメッセージとして検知したのは、見事なまでの「女性嫌悪」であった。


最初の「王」はパパダキスである。
コーラは「家臣」の地位にある。
そこにフランクがやってくる。
彼は「奴隷」の位置から始めなければならない。
フランクはまず、「家臣」に対して「革命」を試みる。
その手段は「暴力」と「快楽」であった。
しかし、コーラはまさにその革命が成就されようとする瞬間、権力の回復を企図する。
みずからフランクを受け入れ、主導権を奪うのである。
権力闘争は騎乗位の図像によってコーラの勝利を示す。
コーラが狙うのはパパダキスの「王」の座である。
パパダキスの「ギリシャ性」は、まさに王権の象徴として描かれている。
「ほら、ギリシャ語で言うんだ。ター、フォッシャムール、イネ、オームルファー。」
彼はコーラに、自らの美をギリシャ語で称えることを要求するのだ。
たどたどしく復唱させられたコーラは、屈辱に震える。
直後に、コーラは泣きながらフランクに告げるのである。
「子どもが欲しいって言われたわ。あんな男の子どもを産むなんて……あなた以外の子どもを産むなんて……。」
「子ども」は権力の上位から下位に要求される「供物」なのである。
映画の中で、子どもが出てくるシーンは一度しかない。
ツイン・オークスボーイスカウトの少年たちが大挙して押し掛ける場面である。
子どもは純粋なカオスである。
フランクはその時、厨房でひたすら料理している。
「供物」を通じて「労働力」を提供しているのである。
女性嫌悪」に併置されるのは「小児嫌悪」であることが、ここで明らかになる。
パパダキスの死後、二人の権力闘争はより露骨なものとなる。
コーラはツイン・オークスの新たな「王」となり、フランクはその権力の行使に「サボタージュ」をもって抗する。
「鞭を手にしたサーカスの美女」と「怠惰で役立たずのケダモノ」となって、この構図もまた繰り返される。
このボブ・ラファエルソン版の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』でフランクの死刑が描かれないのは、「観客にフランクのその後を想像させることで不気味な後味を残すため」ではないだろう。
王の死はすでに二度描かれている。
パパダキスとコーラの死である。
コーラの死は、身ごもった「子ども」を巻き込んだ二重の死だった。
死にまつわる死。
残されたフランクは、王となる資格をすでに喪失している。
「野蛮な前科もの」は「よき父」という名の家畜に変貌していたのである。
家畜は主人を失っても、その死を嘆き悲しむことしかできない。
新たな王として立つことはできない。


「自由」が不動の価値として崇め奉られた国の自壊。
「階級」が不動の価値基準として要請する騒乱。


運動せよ、と彼は言う。


ためらえ、と彼は言う。