無名草子 十四 今とりかへばや(原文)

 十四 今とりかへばや


 「〔げに〕源氏よりはさきの物語ども、宇津保を始めてあまた見て侍るこそ皆いと見どころ少く侍れ。古代にし古めかしきことわり、言葉遣ひ歌などはさせる事なく侍るは、萬葉集などの風情に見え及び侍らぬなるべし。など唯今聞えつる『今とりかへばや』などの本にまさり侍るさまよ。何事も物まねびは必ずもとには劣るわざなるを、これはいとにくからずをかしくこそあめれな。言葉遣ひ歌なども惡しくもなし。夥しく恐ろしき所などもなかめり。本には女中納言の有樣いとにくきに、これは何事もいとよくこそあれ。かゝるさまになる、うたてけしからぬ筋にはおぼえず。誠にさるべきものの報などにてぞあらんと推し量られて、かゝる身の有樣をいみじくくちをしく〔思ひ知りたる程いといとほしく〕、尚侍もいとよし。中納言の女になり〔かへり〕、子産む程の有樣も、尚侍の男になる程も、これはいとよくこそあれ。本のはもとの人々皆失せ、いづこなりしともなくて、あたらしう出で來たる程、いとまことしからず。是は互(かたみ)にもとの人になりかはりて出で來るなど、かゝる事思ひよる末ならば、かくこそすべかりけれとこそ見ゆれ。
 四の君ぞこれはにくき、うへはいとおほどかにらうたげにて、
  春の夜も見るわれからの月なれば心づくしの影となりけり
と詠むも、何事のいかなるべしと思ひて、さばかりまめにわくる心もなき人をもちながら、心づくしに思ふらんと思ふだに、おいらかならぬ心の程ふさはしからぬを、
  上にきるさよの衣の袖よりも人しれぬをばただにやは聞く
と詠みたるこそいとうたてけれ。又宮の宰相こそいと心おくれたれ。さしも深く物を覺えずば、なでふいたらぬくまなき色好めかしさをか好まるゝ。女中納言とりこめて、今はいかなりとも、心やすく思ひあなづる程、先づいとわろし。さばかりになるたる身を、さしももてやつして、さる目覺しき目を見てあるべしと、何事を思ふべきぞ。又その後正(まさ)しき男になりて、いでまじろはんを、女なる四の君だに『ありしそれとも思はぬは。』とこそ詠みたるに、けざやかにさしもむかひ見る見る、あらぬ人ともいと思ひもわかぬ程、むげにいふかひなし。先づこの人のみの有樣を思はんにも、かの麗景殿の尚侍の靜まり、つきづきしくひきくゝみて、かくべくもあらざりし氣色(きそく)を、思ひあはせよかし。」といへば、又、「それも樣異(こと)にて、吉野の中の君、婿とられて、さばかりの恨み殘りたりしあたりと思ひしられて、ほけ歩くなどこそいみじく心劣りすれ。」などいふ。