無名草子八 狭衣物語(原文)

八 狭衣物語


 又、「物語のなかにいみじともにくしとも思されむこと仰せられよ。」といへば、「そも諳には。」など憚りながら、「狭衣こそ源氏につぎてはよ〔う〕覺え侍れ。『少年の春は。』とうち始めたるより、言葉遣ひ何となくえんに、いみじく上ずめかしくなどあれど、さしてそのふしと取り立てて、心にしむばかりのところなどはいと見えず。又さらでもありなんと覺ゆる事もいと多かり。一品の宮の御心用ひ有樣、愛敬なくぞあれど、いとあてやかによき人なり。物語にかやうなる人のあるは、いふかひなく、ほれざらねば、行ひなどこそしためるに、これはいとよし。女二の宮の尼になるこそ又いとうれしけれ。一品〔の〕宮の御事出で來て後、
  思ひきや葎の門を行きすぎて草のまくらにたびねせんとは
と聞えたるに、
 『故里は淺茅が原となりはてて蟲の音しげき秋にぞあらまし
今こそうれしく。』と院の仰せられたるもいみじ。
 大宮の失せいとあはれなり。『誰かはさやうの事心憂く思はぬ人はあるべき。』といふなかに、忽ちに命にかふばかり思し入りけむ、いとあはれなる事なり。
  雲ゐまで生ひのぼらなむたねまきし人も尋ねぬ峰のわか松
と詠み給へるこそいと悲しけれ。女ニ〔の〕宮しばしも思しのどめず、思し捨て給ひけん事もことわりなり。源氏の宮こそいといみじげなる人の、いとかたびかしくなどもなけれ。少し物など思へるこそ人は心苦しきふしにてあれ。道芝いとあはれなり。『明日は淵荑に。』といふより、
  天の戸をやすらひにこそ出でしかどゆふつげ鳥よ問はばこたへよ
などいふ程も。
  早き荑の水屑(みくづ)となりにきと扇の風の吹きもつたへよ
などあるも。又常盤にての手習どもなどもいみじくあはれに、さばかりの人にさほどに思ひとめられけん程めでたきを、見出でられたるはじめ、法の師と乗り具したる程、いと心憂く疎ましきを、又後の振舞さへこそ、心より外のことといひながら、人しもこそあれ、この君の御もとなる人にしもとりもちていかれたる程は、あはれもさめて、くちをしき人のすくせなり。さりとならば、又しばしの命だにありて、心ざしの程をも見果てよかし。かたがたいとくちをしき契りなりかし。
 さらでもありぬべき事ども。大將の笛の音めでて、天人の天下りたる事。粉河にて普賢の現れ給へる。源氏の宮の御もと〔へ〕賀茂大明藭の御懸想文遣したる事。夢はさのみこそといふなるに、餘りにけんてうなり。齋院の御かうどのなりたる事。何事よりも、大將の帝になられたる事。返す返す見苦しく淺ましき事なり。めでたき才(ざえ)・才覺優れたる人世にあれど、大地六反震動する事やはあるべき。いと恐しくまことしからぬ事どもなり。源氏の院になりたるだに、さらでもありぬべき事ぞかし。されどもそれは正しきみこにておはする上に、冷泉院の位の御時、我が御身の有様を聞きあらはして、ところおき奉り給ふにてあれば、さまでの咎にはあるべきにもあらず。太上天皇に擬(なずら)ふ御位は、たゞ人も賜はる例(れい)もあるを、これは今少しくづしてまねびなされたる程に、いと見苦しきなり。さりとて帝の御子にてもなし。孫王(そんわう)にて父大臣の世より姓(しやう)賜はりたる人のいと淺ましき事なり。なにのいたりなき女のしわざといひながら、むげに心劣りこそし侍れ。大臣さへ院になりて堀川院と申すかとよな。物語といふものいづれもまことしからずといふなかに、これはことの外なる事どもにこそあんめれ。