無名草子七 源氏物語 ロ 女の論(原文)

ロ 女の論


 この若き人「めでたき女は誰々かは侍る。」といへば、「桐壺の更衣、〔藤壺〕の宮。葵の上のわれから心もちひ。紫〔の〕上さらなり。明石も心にくくいみじといふなり。又いみじき女は朧月夜の内侍(ないしのかみ)。源氏流され給ふもこの人のゆゑと思へばいみじきなり。「如何なる方に落つる涙にか。」など、帝の仰せられたる程などもいといみじ。槿の宮さばかり心強き人なめり。世にさしも思ひそめられながら、心づよくてやみ給へる程、いみじくこそ覺ゆれ。空蝉もそれもそのかたはむげに人わろき。後に尼姿にてまじらひゐたるまた心づきなし。」などいへば、「空蝉は源氏にはまことに打解けず、打解けたりと、とりどりに人の申すはいかなることにか。」といふ人あれば、『帚木』にいふ『なにとて打解けざりけり。』とは見えて侍る物を惡しく心得て、さ申す人々もときどき侍るなめり。」といふ。「宇治の姉宮こそ返す返すいみじけれ。〔又〕六條の御息(みやす)所の中將こそ宮仕人のなかにいみじけれ。好もしき人は、花散里。なにばかりまほならぬかたち有樣ながら、めでたき人々に立交りて、をさをさ劣らぬ世の覺えにて、まめ人の大將子にしなどせられたるが、好もしくいみじきなり。」といへば、又、「まめ人をば養君(やしなひぎみ)にして侍らむ。さばかりめでたかりし葵の上の御腹の君も、など人わろき後の親をばまうけ給ふべき。」とていと腹立たしげなめれば、誰もうち笑ひぬ。又、「末摘花好もしといふとて、にくみ合せ給へど、大貳の誘ふにも心づよく靡かでしにかへり、昔ながらの住居改めず、終に待ちつけて、『深き蓬のもとの心を』とてわけいり給ふを見る程は、誰よりもめでたくぞ覺ゆる。みめより始めて、何事もなのめならぬ人のためには、さばかりの事のいみじかるべきにも侍らず。その人がらには佛にならむよりもありがたき宿世には侍らずや。六條の御息所は余りに物怪(もののけ)に出でらるゝこそ怖しけれど、人ざまいみじく心にくゝ好もしく侍るなり。御子の中宮も我から心もちひなどいといみじく、心にくき人のなかにもまぜ聞えつべきが、などやらん、そねましきは、源氏の大臣(おとゞ)の余りにもてなし給ふが心づきなかるべし。玉鬘の姫君こそ好もしき人とも聞えつべけれ。みめかたちを始め、人ざま心ばへなど、いと思ふやうによき人にておはする上に、世にとりてとりどりにおはするおとゞ達二人ながら左右に親にて、いづれもおろかならず數まへられたる程、いとあらま〔ほ〕しきを、その身にては唯内侍にて、冷泉院などに思し時めかされ、さらずば年頃心深く思しわたる兵部卿の宮の北方などにてもあらばよかりぬべきを、いと心づきなき髯障テ(ひけぐろ)の大將の北方になりて、隙間もなくまもりいさめられて、さばかりめでたかりし後の親も、見奉ることは絶えて過す程ぞいといぶせく心やましき。又いとものはかなかりし夕顏のゆかりともなく、余りに誇りかにさがさがしくて、『この世にかゝる親の心は』などいへるぞ、あの人の御さまにはふさはしからず覺ゆる。又筑紫下りも余り品くだりて覺ゆる。されど大方の人ざまは好もしき人なり。
 いとほしき人、紫の上。限りなくかたびかしく、いとほしく、あたりの人の心ばへぞいとにくき。父宮を初め、おほぢの僧に至るまで思はしからぬ人々なり。繼母などの心ばへさるべき仲なれど、さばかりになりぬる人の爲に、いとさしもやはあるべき。夕顏こそいといとほしけれ。母にも似ず、いみじげなる女(むすめ)持ちたるぞ、その身の有樣にはさらでもありぬべき。かやうならん人は、たゞ跡方もなくやみなむこそ今少し偲び所もあらめ。まめ人の大將の北方、藤の裏葉の君、むげに優にえんある樣なんどぞ見えざめれど、何となく幼くいとほしき人に思ひ初(そ)めてし人なり。宇治の中の宮こそいとほしけれ。初めはいとさしも覺えざりしかど、兵部卿の宮まめ人の壻になりて、物思はしげなるがいとほしきなり。まして『かばかりにてやかけ離れけむ』などいへる所は、見るたびに涙もとまらずこそ覺ゆれ。〔女〕三の宮こそいとほしき人ともいひつべけれど、『袖濡らせとや蜩(ひぐらし)の』と詠みて『月待ちてもといふなるものを』などある程は、いと心苦しきを、余りにいふかひなきものから、さすがに色めかしき所のおはするが心づきなり。かやうの人は一筋に子めかしくおほどきたればこそらうたけれ。あさましき文大臣に見ゆる事も、その御心のしわざぞかし。さることありと思さむには、とゞまらんをだに強いてそゝのかしいだしてんとぞ思さるべきを、さかしらに心苦しげなることどもいひとゞめて、さる大事をばひき出し給へるぞかし。手習の君こそ憎きものともいひつべき人。さまざま身を一方ならず思ひ亂れて、
  鐘の音の絶ゆるひゞきに音を添へて我が世つきぬと君に傳へよ
と詠みて、身を捨てたるこそいとほしけれ。兵部卿の宮の御事聞きつけて、薫大將、
  浪越ゆる頃とも知らで末の松まつらむとのみ思ひけるかな
と宣へるを、所違えならんとて結びながら返したる程こそ心まさりすれ。」