無名草子七 源氏物語 ハ 男の論(原文)

ハ 男の論


 又例の人、「をとこのなかには誰々か侍る。」といへば、「源氏の大臣の御事はよしあしなど定めむも、いとことあたらしくかたはらいたきことなれば、申すに及ばねども、さらでもと覺ゆるふしぶし多くぞ侍る。先づ大内山の大臣、若くより互に隔てなくて慣れ睦び思ひ交して、雨夜の御物語を始め、
  もろともに大内山を出でつれど行くかた見せぬいざよひの月
といへる、又源典侍の許にて太刀抜きて脅し聞こえし樣のことはいひつくすべくもなし。何事よりも、さばかり煩はしかりし世の騒にも觸らず、須磨の御旅住みの程尋ねまゐり給へし心深さは、世々を經とも忘るべくやはある。それ思ひ知らずよしなきとりむすめして、かの大臣の女御といどみきしろはせ給ふ、いと心憂き御心なり。繪合の折、須磨の繪二巻とり出でて、かの女御負けになし給へるなど、返す返すくちをしき御心なり。また須磨へおはする程、さばかり心苦しげに思ひ入り給へる紫の上も具し聞えず、せめて心澄まして一筋に行ひ勤め給ふべきかと思ふ程に、明石の入道が婿になりて、日ぐらし琵琶の法師と向かゐて、琴ひきすましておはする程、むげに思ひ所なし。又さまざまなりし御ことしづまりて、今はさるかたに定まりはて給ふかと思ふ世の末に、立ち歸りて女三の宮もうけて若やぎ給ふだにつきなきに、右衛門督(のかみ)のこと見あらはして、さばかり怖ぢ憚りまうでぬものを、強ひて召し出でてとかくいひまさぐり、果てには睨み殺し給へる程、むげにけしからぬ御心なりかし。すべてかやうのかたにづしやかなる御心のおくれ給へりけるとぞ覺ゆる。
 兵部卿の宮、さしてその事のよしあしなどは覺えぬ人の、源氏の大臣の御同胞(はらから)いと多かるなかに、とりわき御仲よくて、何事もまづ聞え合せ給ふいと心にくきなり。玉鬘の御事えしえ給はむむげに心おくれたり。
 大内山の大臣いとよき人なり。まして須磨へ尋ねおはしたる程など返す返すめでたし。まめ人をいたく侘びさせたるこそ怨めしけれど、そも理なりや。名殘なく思ひ弱りてゆるす程などは、いとよくこそせられためれ。
 まめ人の大將、若き人ともなく余りにうるはしだちたるはさうざうしけれども、づしやかなるかたは大臣にも勝り給へり。様々聞ゆることどもにも靡かで藤の裏葉のうらとけ給ふを、心長く待ちつけ給へる程ありがたし。女だにさる事はいかでかはとぞ覺ゆる。さていと思ふやうに住みはて給ひにたる世の末になりて、よしなき落葉の宮まうけて、まめ人の名を改め、さま變り給ふぞ思はずなるや。
 柏木の右衛門督、初めよりいとよき人なり。岩漏る中將などいはれし程より、藤の裏葉のうらとけし程なども、いとをかしかりし人の、女三の宮の御ことのさしも命に換ふばかり思ひ入りけんぞもどかしき。諸共に見奉り給へりしかど、まめ人はいでやと心劣りしてこそ思へりしに、さしも心にしめけんぞいと心劣りする。紫の上はつかに見て、野分の朝(あした)眺め入りけむまめ人こそいみじけれ。
 失せの程いとあはれにいとほしけれど、そも余りの身の程思ひ屈(くん)じ、人わろげなるぞさしもあるべきことかはとぞ覺ゆる。その弟(おとゝ)の紅梅の大納言といふ人韻塞(ゐんふた)ぎの折、高砂謠ひしより初め、辨少將などいひて、藤の裏葉にて芦垣謠ひし程なども、いといたかりし人の、源氏など失せ給ひて、末の世に鳥なき島の蝙蝠とかやして、薫大將の帝の御婿になり給ふを妬みて、呟きごとなどし歩(あり)く程こそ心づきなけれ。匂兵部卿の宮若き人の戲(たは)れたるはさのみこそといふなるに、怪しからぬ程に色めきすき給ふさまこそふさはしからね。紫の上のとりわき給へりしゆゑ、二條院にすみ給ふこそいとあはれなれ。
 薫大將、初めより終りまで、さらでもと思ふふし一つ見えず、返す返すめでたき人なんめり。まことに光源氏の御子にてあらむだに、母宮のものはかなさを思ふにはあるべくもあらず。紫の御腹などならばさもありなん。すべて物語のなかにもまして現(うつゝ)の人の中にも、昔も今もかばかりの人はありがたくこそ。」などいえば、又人、「さはあれど、けぢかくまめまめしげなる方はおくれたる人にや。浮舟の君・巢守の中の君などの、兵部卿の宮には思ひおとし侍るこそくちをしけれ。」といふなれば、又「そは大將の咎にはあらず。女のせめて色なる心の樣よからぬゆゑとぞ侍る。巢守の君は心にくき人の樣なれば、匂ふ櫻に薫る梅と、こよなく立ち勝りてこそ侍るめれ。」などいへば、