無名草子二 月

二 月


 「花・紅葉を弄び、月・雪に戲るゝにつけてもこの世は捨てがたきものなり。情なきをも、あるをも嫌わず、心なきをも、數ならぬをも分かぬは、かやうの道ばかりにこそ侍らめ。それにとりて夕月夜ほのかなるより有明の心細き、折も嫌わずところもわかぬものは、月の光ばかりこそ侍らめ。春夏も、まして秋冬など月明き夜は、そゞろに心なき心も澄み、情なき姿も忘れられて、知らぬ昔・今・行くさきもまだ見ぬ高麗(こま)・唐土(もろこし)も残るところなく、遙かに思ひやらるゝことは、たゞこの月に向ひてのみ〔こそ〕あれ。されば王子猷(わうし〔い〕う)は戴安道(たいあんだう)を尋ね、簫史(せうし)が妻(め)の月に心を澄まして雲に入りけんも理とぞ覺え侍る。この世にも月に心を深くしめたる例、昔も今も多く侍るめり。勢至菩薩にてさへおはしますなれば、暗きより暗きに迷はむしるべまでもとこそ、褚みをかけ奉るべき身にて侍れ。」といふ人あり。又「『かば〔か〕り濁り多かる末の世まで、いかでかゝる光のとゞまりけむ。』と昔の契も恭く思ひ知らるゝことは、この月の光ばかりこそ侍るを、同じ心なる友なくて、只ひとり眺むるは、いみじき月の光もいとすさまじく、見るにつけても、戀しきこと多かるこそいとわびしけれ。


<現代語訳>


 「花や紅葉に慰めを求めたり、月や雪で楽しんだりするにつけてもこの世は捨てがたいものです。風流を解する心があろうとなかろうと、思慮のないものも、つまらないものをも分け隔てしないのは、そういう生き方だけでしょう。そんな生き方をするとき、夕月夜(夕方、日も沈まぬうちに輝く月)が仄かであったり有明(朝、日が昇ってからも残る月)が心細かったりして、時も場所も選ばないのは月だけでしょう。春夏も、まして秋や冬などの月が明るく輝く夜に、なんとはなしに頭は冴え、つまらぬ姿も忘れられて、知らない昔や今、未来、見たことのない高麗や唐も残らず、遠く思いを馳せることができるのは、ただこの月に向かっているときだけでしょう。だからこそ王子猷(四世紀ごろ、東晋の人)は戴安道(その友)を尋ね、簫史の妻(秦の穆公の娘)が月に心を澄ませ雲に入っていったというのも、自然なことであったように思うのです。生きている間に月に心を奪われた人は、今も昔もたくさんいたようです。勢至菩薩までいらっしゃるのですから(かつて月そのものが菩薩だとする説があった。)、暗闇に迷ったときの道しるべであってほしいと、私は頼りに思っているのです。」と言う人がいる。また「『これほどまでに穢れきってしまった末法の世に、どうしてこのような光が残っていることがあろうか。』という昔の言葉に思い知らされてしまったのですが、この月の光だけがあって、同じ気持ちでいる友人もなく、ただ一人で眺めているときに、強い月の光がほんとうにものすごくて、見れば見るほど、恋しくなることが多いのがとてもやりきれないのです。